ダニエル・シルヴァの小説『ブラック・ウィドウ』de いながら旅(2)

11 ブラック・ウィドウ
11 ブラック・ウィドウ● ダニエル・シルヴァ

 第2部からいながら旅を続けます。ナタリーが ”黒衣の未亡人” となり、ISISへの潜入を果たし、内戦によって荒廃したシリアも旅します。


第2部 われわれの仲間

21 ナハラル、イスラエル

 翌朝、たまっていた休暇をまとめてとるとのメールを職場の医療センターに送ったナタリーは、ナハラルの農場に滞在してライラとなるための訓練を始めます。3週目の5月の中旬には、イスラム教徒の女性の格好をして、エルサレム旧市街のアル=アクサー・モスクに金曜礼拝に出掛けます。神殿の丘の南にあり、銀のドームとも呼ばれ、メッカ、メディナに次いでイスラム教で3番目に重要なモスクと言われています。礼拝後にデモが起きますが、それはナタリーがライラになりきるためイスラエルに腹を立てるようわざとガブリエルが仕掛けたものでした。

(Wikimedia Commons)

 諜報の世界へライラを送り出す手筈をパリとアンマンで整えて戻ってきたガブリエルは、ナタリーにライラの家を見せると言って、アッコの街の北5kmほどのロハメイ・ハゲタオットというキブツに連れてきます。写真左の道路がふたりが車で通ったハイウェイ4号線、中央の白い円錐がヤド・ラエルドと呼ばれるホロコースト時代の子供たちの物語を伝える博物館、その右側がゲットー戦士の家という博物館、右手前に続いているのが古代の水道橋(アッコ水道)です。

(Googleマップ)

 ロハメイ・ハゲタオットのすぐ北にあるショッピング・センターというのは、写真左に写る〈BIGレグバ〉と思われ、ガブリエルがスメイリヤと呼ぶライラの家があったとするところは、その駐車場とハイウェイ4号線とにはさまれた荒れ放題の土地と記述されていることから、写真右奥の緑の木々に囲まれた雑草地のこと(こちらの地図の中央に赤く塗られたところ)ではないでしょうか。

(Googleマップ)

 どうしてここを自分の家として選んだかを尋ねるナタリーに、ガブリエルは、自分がここを選んだのではなく、ここが私を選んだと言って、この村に住む女性を知っていた、ナタリーがなるライラに似た女性だったと話します。シリーズ5作目『Prince of Fire』に登場するフェラー・アル=タマリという女性テロリストを指しています。


22 ナハラル、イスラエル

 ナハラルに戻ったナタリーは、ダイナの指導のもと、ヨルダン系パレスチナ人の過激派の恋人ジアド・アル=マスリーを監獄で亡くした、フランス系パレスチナ人の医者ラウラ・ハダウィとしての33年間の人生を、ジアドの人生とともに記憶していきます。

(イメージ画像をAIで作成)

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 ナタリーがラウラになりきる訓練が終盤に入った夜遅く、キング・サウル通りのミーティングで、ガブリエルは、ウージに、彼女にあと1回テストを受けさせたいと提案します。

(イメージ画像をAIで作成)

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 夜明け前、ナタリーは、クフィーヤで覆面をした黒ずくめの男たちに拉致され、正体を明かすように尋問を繰り返されます。

(イメージ画像をAIで作成)

 1週間ほど経ったとき、男たちはクフィーヤをはずして笑顔を見せます。あばた面のヤコブ・ロスマン、血の気のない肌と氷のような目をしたミハイル・アブラモフ、ぼさぼさの髪をした印象に残らない男でした。そして、すべて終わったと言って、ガブリエルが現れます。

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 イスラエルでの最後の夜をダイナと過ごしたナタリーは、翌朝、ライラの服を身につけ、ライラの好きなエメラルド色のヒジャブで髪を覆い、ベン・グリオン空港(TLV)に到着します。

(Wikimedia Commonsからイメージ画像をAIで作成)

 飛行機で目を閉じて眠りについた彼女の隣の席には氷の色の目と血の気のない肌をした男が、通路を隔てた席にはあばた面の男とぼさぼさ髪の男が座っていました。


23 オーベルヴィリエ、フランス

 ナタリーがドクター・ライラ・ハダウィとして勤務することになった診療所は、パリ北部の郊外オーベルヴィリエ、ヴィクトル・ユーゴー通りの24時間営業のクリーニング店とモロッコ系のドラッグの売人が出入りする煙草屋にはさまれたところに新規オープンした〈クリニーク・ジャック・シラク〉でした。実在はしておらず、写真中央が、質素な玄関の外の歩道にプラタナスの並木が影を落とし、玄関の上の3階分が淡い黄褐色の外壁に鎧戸付きの窓があるという作中の記述に近いとAIが探してくれた建物です(階数は違います)。

(Googleマップ)

 ライラは、診療所に近いフランス生まれの労働階級が暮らす地区に小さなアパルトマンを借り、夜には暗号化通信アプリを使ってバーチャルなカリフ国をウム・ジアドのハンドルネームで歩きまわりました。ある日、ISISの勧誘係がバーチャルなドアをノックして、カリフ国は医者を必要としていると接触してきます。

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 〈オフィス〉が作戦指令部に選んだのは、オーベルヴィリエから30kmほどしか離れていない(Googleマップ上では50kmくらいありますが)スランクールという村のはずれに川の流れる谷があり、手入れされた農地と剪定の行き届いた森が広がっていて、高さ3mを超える塀が設けられた敷地に、プールとテニスのクレイコート2面、32エーカーの庭園を備えた〈シャトー・トレヴィル〉でした。

(イメージ画像をAIで作成)

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 ポール・ルソーは、ライラの住まいの真向いにあるアパルトマンを借り受け、イスラエル人1名とフランス人1名で交代で張込みをさせていました。

 2か月が経ったとき、次の段階に進むことにして、ガブリエルは、ミハイル・アブラモフとエリ・ラヴォンとともにパリ北駅からブリュッセルに向かいました。


24 ロンバール通り、ブリュッセル

 ヨルダンのGIDから提供されたジャラル・ナセルのノートパソコンのデータを〈オフィス〉が再チェックしたところ、ワインバーグ・センターの写真やハンナ・ワインバーグのスナップが見つかり、更に見つかった情報からヨルダンのイルビド出身で現在ブリュッセルのモレンベーク地区に住んでいるナビル・アワドをマークすることになります。ファリード・バラカトがガブリエルと会い、見張りに使ったのは、ロンバール通りのホテルで、写真は同通りにある〈ホテル・ラ・レジャンドゥ〉です。

(Googleマップ)

 アワドがパートの仕事をしているのが、ホテルの真向かいのオフィスビルの1階に入っているとされる〈XTCプリント&コピー〉です。〈ホテル・ラ・レジャンドゥ〉の向かいには7階建ての現代的なビルはありますが、1階に印刷とコピーサービスのお店は確認できませんでした。

(GoogleマップをAIで昼間の景色に加工)

 夜、アワドがランフォール通りにある住居に向かい、いつものように運河を渡ってモレンベーク側に入ったというスプレーで落書きされた歩行者用の橋というのがこちらの橋です。

(Googleマップ)

 アワドがひょろ長い男(ミハイル・アブラモフのこと)が通り過ぎるのを待とうとしてバンの横で足を止めたとき、車から伸びた二組の手がアワドを引きずり込み、拉致します。


25・26 北フランス

 アワドが連れていかれたのは、ポール・ルソーが用意した、ベルギーとの国境近く、リールの近くの孤立した小さな農家の隠れ家でした。

(イメージ画像をAIで作成)

 金属製のテーブル、椅子2脚、太陽のような電球をはめ込んだスタンドだけの狭いダイニングルームで尋問に当たったのは、ムハバラートの長官ファリード・バラカトでした。フードを被せたまま、パリとアムステルダムの襲撃における役割、ジャラル・ナセルとの連絡方法、サラディンの正体、この三つの質問が繰り返されます。

(イメージ画像をAIで作成)

 最後にフードがはずされ、家族の写真を並べられると、アワドは涙にむせびながら、話し始めます。サファイア・ブリアーヌをモレンベークで見つけたのはアワドで、勧誘したのはジャラルでした。連絡は、暗号化したデータをUSBメモリに保存し、それをツィッターで連絡を入れた運び屋を使ってロンドンに運んで行っていたようです。ただ、サラディンの正体だけは知りませんでした。

(イメージ画像をAIで作成)

 その後、アワドの身柄がアンマンのGID本部の地下室に拘束される一方、彼の携帯電話を使ってツィッターにライラ・ハダウィというパレスチナ人医師に関する暗号化されたドキュメントの隠し場所が仕込まれます。


27 スランクール、フランス

 〈電柱のそばの缶〉と名付けられた作戦で、暗号化されたメッセージを保存したUSBメモリを入れたベルギービールの空き缶が置かれたのは、ブリュッセル効外のディルベークの牧草地の端、ケルゼラー通りの道路脇の電柱の下のハリエニシダの茂みでした。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 誰も現れず、ガブリエルが場所の選定を悔やんでいると、3日目の午後遅くになって、缶を回収する運び屋の男が現れます。

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 USBに仕込まれた追跡装置によれば、翌朝、運び屋はブリュッセル南駅からユーロスターに乗りました。現在、ベルギーで最も利用者の多い駅で、ロンドンとの間でユーロスターが運行を開始したのは1994年です。

(Googleマップ)

 ロンドンでユーロスターが着くのは、第6旅で紹介したとおり、セント・パンクラス駅で、ヤコブ・ロスマンが到着ホールで運び屋のスナップを撮影します。

(Wikimedia Commons)

 その後、徒歩で(約1時間かかります)東ロンドンへ運ばれ、バングラデシュ・コミュニティの中心として知られるブリック・レーンでジャラル・ナセルに手渡されます。

(Wikimedia Commons)

 USBメモリはチルトン通りのジャラル・ナセルのフラットのパソコンに差し込まれます。


28 パ リ

 ナタリーがその男の目を初めて意識したのは、第2旅で紹介した、パリのリュクサンブール公園でした。それまでにも何回か目にしていた男でした。

(Wikimedia Commonsからイメージ画像をAIで作成)

 そして、その男の尾行を確信したのは、勤務後にRER(パリ高速鉄道)でパリ中心部に出て、ヴァヴァン通りでウィンドーショッピングをしていたときでした。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 その後、女友達とのお茶を装ってヒジャブを付けたダイナと会ったのが、サンジェルマン大通りの〈カフェ・ド・フロール〉です。

(Wikimedia Commonsからイメージ画像をAIで作成)

 ダイナから、簡単にはなびかないよう、最初のデートでキスまで行ってはだめよと言われ、ナタリーはお酒が必要だわとため息をつきます。


29 オーヴェルヴィリエ、フランス

 角ばった顎に力強さがみなぎり、温かな微笑が魅力的な癖毛の男がナタリーに接触してきたのは、オーベルヴィリエの彼女のアパルトマンの向かいにあるカフェでした。写真は、ヴィクトル・ユーゴー通り193番地にある〈オー・シアン・キ・フュメ〉というブラッスリーです。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 ナタリーは男を警戒しているように芝居しながら話をし、席を立とうとしますが、男は、ナタリーの腕を抑えて、ジャラル・ナセルと名乗ります。ナタリーの携帯経由で送られた音声によれば、ジャラルは夢を叶えてあげようと持ちかけ、その夜の9時、ラ・クールヌーヴのルクレルク通りの公営団地の薬屋に、電子機器を一切持たずに暖かい格好で来てほしいと話していました。


30 ラ・クールヌーヴ、フランス

 分厚く垂れこめた雲が月と星々を隠した中、ナタリーが歩いたのは、作中にあるとおり、ルクレルク通りにある、巨大なトランプのカードみたいに高層で長方形の建物と、低層で横に長く伸びた建物が目の前にそびえ、緑の葉をつけた若木がたくさん植えられた遊歩道でした。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 高層棟の1階には薬局が実在しています。ナタリーが薬局の前のコンクリートのベンチのところで待っていると、ジャラルがバイクで現れます。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 ジャラルは、ピアジオのバイクにナタリーを乗せて、ル・ブルジェ空港とシャルル・ド・ゴール空港を過ぎ、ティユーとジュイリーを通り抜け、フランスチームのレーダーから消えます。

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 ふたりが着いたのは、シャンティイの森のはずれにあるサンリスという中世の歴代の王が住んだ古い町でした。

(Wikimedia Commons)

 ジャラルは、自分の組織がISISだと明かし、ナタリーに身元を確認する質問を向けながら、こじんまりしたレストランのテーブルが並ぶ広場の端に出ます。サンリス聖堂の塔と飛梁がそびえているとの記述から、ノートルダム広場にあった、閉業した〈スカラムーシュ〉のことでしょう。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 サンリス聖堂は、正式名をノートルダム・ド・サンリスというフランス最古のゴシック建築の一つで、1840年に歴史的建造物として最初のリストに登録されました。1801年の政教協約により廃止されるまでは大聖堂でした。南塔の高さは78mです。

(Wikimedia Commons)

 聖堂の中に入り、聖歌隊席を越えて主祭壇の方へ目を向けたナタリーに、ジャラルは、自分が活動している組織はISISの対外関係を扱っており、アメリカとヨーロッパの有志連合をシリアで地上戦に引きずり込むことを目指しており、パリとアムステルダムのテロは自分たちのネットワークが実行し、更に多くのテロを計画中で、その一部を近々実行に移す予定であると説明し、自分たちのために働いてもらいたいと話します。

(Wikimedia Commons)

 ナタリーは、怖いと言いつつも、イエスと答えたらと尋ねると、ジャラルは、訓練のために二、三週間カリフ国に行ってもらい、その後はクリニックの診療に戻って任務まで待つことになると告げます。


31 オーベルヴィリエ、フランス

 眠れぬ夜を過ごした次の日、一日診療所の仕事に追われ帰ろうとしたナタリーは、所長のロラン・ジラールからコーヒーに誘われます。ジラールは実は〈アルファ・グループ〉の工作員で、ナタリーが彼の運転するプジョーで連れていかれたのは、グルネル通りの〈仏文学国際協会〉のプレートがある〈アルファ・グループ〉本部でした。ガラスに囲まれた会議室で待っていたのは、ガブリエルとルソーでした。

(イメージ画像をAIで作成)

 ナタリーから昨夜ジャラルから聞いた全てを確認したガブリエルは、ルソーと共に、DGSI長官と内務大臣に、次のテロの時期と場所を探り出すためナタリーを潜入させることを報告し、勧誘者が英国側に逮捕されないようMI6のグレアム・シーモアとMI5のアマンダ・ウォレスに作戦の概要を伝えます。

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 ナタリーに航空券とホテルの予約確認票が届くと、チームは戦闘態勢に入り、ガブリエルとエリ・ラヴォンを残して、第一陣が待機地点まで移動します。ナタリーは、オーベルヴィリエの高速鉄道の駅から電車でシャルル・ド・ゴール空港に向かい、エールフランスのアテネ行きの便に搭乗しました。


32 サントリーニ島、ギリシャ

 ドクター・ライラ・ハダウィとして入国審査を終えたナタリーは、アテネ国際空港(ATH)のトイレでヒジャブをはずし、敬虔な装いも脱ぎ捨ててサントリーニ島行きの便に乗ります。現在、アテネからサントリーニ島へは3社の航空会社が運航していますが、3時台にはエーゲ航空のA3368便があり、飛行時間は50分です。

(イメージ画像をAIで作成)

 サントリーニ島は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置しており、本島のティラ島を含めた5つの島からなっています。古代に起きた大爆発によりカルデラ地形が形成され、外輪山が三日月のような形で残っています。ナタリーが飛行機の窓から目にした、カルデラ地形の水際から山々が悪魔のように鋭くそそり立った景観というのは、こんな感じでしょうか。

(unsplash.comから引用)

 ナタリーがチェックインしたのは、本島のフィラの中心部に位置し、カルデラを見下ろす絶好のロケーションにある〈パノラマ・ブティック・ホテル〉で、バルコニーから白く輝くクルーズ船が穏やかな海におもちゃのように浮かんでるのを眺めたようです。

(ホテルのギャラリー画像からイメージ画像をAIで作成)

 それから3日間、普通の観光客として過ごします。こちらはサントリーニ島ではお馴染の景色、イアの教会群の青いドームです。

(wallpaperbetter.com)

 こちらはナタリーが肌を焼いたというペリッサ・ビーチで、本島南東部、メサ・ヴノ山の麓に広がる、火山岩由来の黒い砂が特徴の美しいビーチです。

(Wikimedia Commons)

 また、ナタリーが見学に出かけたアクロティリ遺跡は、「エーゲ海のポンペイ」とも呼ばれ、紀元前1628年頃の海底火山の大噴火で火山灰に埋もれた、青銅器時代の高度な都市遺跡で、複数階の建物、排水システム、精巧なフレスコ画が当時のまま残る、歴史的に貴重な屋根付きの発掘現場です。

(アクロティリ発掘調査のアーカイブ)

 島に来て4日目、同じホテルに泊まっている、ほっそりとした金髪で、そばかすのあるミランダ・ウォードから〈タンゴ・シャンパン&カクテル・バー〉に誘われます。カルデラの断崖に位置する人気スポットで、絶景の夕日とロマンチックな雰囲気の中で本格的なカクテルやシャンパンが楽しめるサントリーニ島を代表するバーです。そこで、トルコへの小旅行に誘われます。

(こちらの画像からイメージ画像をAIで作成)

 ホテルに戻ったナタリーは、“父親”にメールを送った後、テラスバーに行きます。ミランダの姿はなく、カウンターでは血の気のない長身のロシア人がいつものように獲物を見つけていました。ウェイトレスが、カウンターのお客からと言って、頼んでいない2杯目とメモを運んできます。メモを読んだナタリーは、狩りに失敗して独りでカウンターにいる男には目もくれず、部屋に戻ります。

(ホテルのギャラリー画像からイメージ画像をAIで作成)

 シャワーを浴び、ライトを消して待っていると、ノックしたのは、話し相手が欲しいというナタリーのメールを見てやってきた”父親”、ミハイル・アブラモフでした。ナタリーは、家に帰りたい、自分にはできない、死ぬほど怯えていると彼に伝えてと言って男の腕にすがりつき、ひとりになりたくないと引き止めます。ミハイルに優しく背中を揉まれたナタリーは、いつの間にか眠りに落ちていました。


33 サントリーニ島、ギリシャ

 翌朝7時15分、日の出のピンクに染まる中、ナタリーとミランダは、ホテルから静かな通りに出て、キャリーケースをころがしながらタクシー乗り場に向かいます。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 タクシーに行ってもらったのは、アシニオスのフェリー・ターミナルでした。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 東のコス島まで4時間半フェリーに乗ります。

(Googleマップ)

 ふたりが着いたコス島は、古代ギリシャの医師ヒポクラテスの生まれたところとして知られており、北東部にはアスクレピオスの遺跡があります。

(Wikimedia Commons)

 1時間足らずフェリーに乗り、トルコのボドルム港に到着します。ベルギーの偽パスポートで入国したナタリーは、エメラルド色のヒジャブを付けます。

(Googleマップ)

 ふたりが乗り込んだ白のベンツは、高速道路D330で東のキリスへ向かい、徒歩で国境を越えて、シリアのアザズから別の車でISISが首都と宣言しているラッカに行きます。

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 ふたりは、黒衣に身を包み、アル=ラシード・パーク近くのアパートメントに入りました。街の中心部に位置し、アッバース朝の偉大なカリフ、ハールーン・アッ=ラシードに由来する歴史ある最大の公園で、かつては街のランドマークとして家族連れの憩いの場でしたが、シリア内戦が勃発し、ISISがラッカを占拠すると、西側の門にあった「アルスラン・タシュのライオン」という2体のライオン像は偶像崇拝にあたるとして破壊され、処刑された遺体が晒されるなど恐怖の象徴の場所となり、公園周辺は空爆の標的とされ、一時は廃墟と化しましたが、ラッカ解放後、徐々に修復が進んでいます。

(2021年8月23日イナブ・バラディから引用)

 その頃、ガブリエルは、ラングレーと協議するため、シャルル・ド・ゴール空港からワシントン行きの飛行機に搭乗します。


34・35 Nストリート、ジョージタウン

 ガブリエルがCIAの作戦本部長エイドリアン・カーター(下巻10頁によると、乱れ髪で時代遅れの口髭、穏やかな風貌)と会談したのは、ジョージタウンのNストリートにある赤煉瓦造りの連邦様式の建物でした。正面に曲線を描くステップがある(下巻24頁)とのことから、3316番地の邸宅がCIAの隠れ家ではないでしょうか。ガブリエルがISISの台頭について追及すると、カーターは、最後にはアメリカの非を認めます。

(GoogleマップをAIで晴天に加工)

 なお、Nストリートには、金融家ウィリアム・マーベリーによって建てられ、後にジョン・F・ケネディ夫妻が大統領当選前に購入した3307番地の邸宅があります。

(Googleマップ)

 カーターに促されて隠れ家を出ると、ジョージタウン大学近くまで歩きながら、ガブリエルは、潜入した女のことを含め、これまでの作戦の経過を話します。クリントン元大統領などを輩出しているジョージタウン大学は、1789年に設立されたカトリック系ではアメリカ最古の大学です。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 Pストリートに曲がり、修道院(ジョージタウン訪問修道院のことです)を囲む高い塀に沿って歩きます。ガブリエルは、仕入れた情報を共有するかわりに、彼女が脱出する8月末辺りまで、アル=ラシード・パーク付近への空爆を控え、訓練キャンプに手を出さないよう頼みます。

(Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 Nストリートの隠れ家に戻ってくると、カータ―は、ガブリエルの死亡記事に驚いたことを持ち出し、次からは自分に断ってからにしてくれと話すのでした。


36 ラッカ、シリア

 ナタリーとミランダが入ったアパートメントは、家具もなく、壁際に流し台が取り付けられ、土埃が入ってくる窓がった一つの狭い部屋で、むきだしの床に毛布が何枚か置いてあるだけの部屋で、渡されたアバヤを着用することを強制されます。

(イメージ画像をAIで作成)

 2015年当時のラッカの時計台は、作中にあるとおり、頂上の農夫像は首が切断された状態です。

(ブルッキングス研究所から引用)

 アラビア語で「楽園」を意味する、かつては子供たちの遊び場だったナイーム広場も、ISISによって公開処刑や斬首の場として使われ、円形噴水の周囲の鉄柵は切断された首のさらし台となり、恐怖統治を象徴する場所となっていました。写真は、2017年10月のシリア民主軍による解放を祝ったときのもので、現在、広場は復興の象徴として改修が進んでいます。

(abcNEWSから引用)

 3日目の晩になり、ナタリーだけが連れ出され、埃だらけのSUV車の助手席に押し込まれます。


37 東シリア

 ナタリーを乗せたSUV車は、ラッカを出た後ひたすら東へ向かい、イラクの国境辺りの大きな家の中庭に止まります。そこで、ナタリーは、武装した男たちの前で、イラク訛りがあり左手は親指と人差し指しかないリーダー格の男から尋問を受けます。

(イメージ画像をAIで作成)

 キング・サウル通りのオペレーション・センターでは、ウージ・ナヴォトとガブリエルほか全員がメインビデオに映し出される、CIAがトルコから飛ばしたドローンから送られてくる衛星画像を見入っていました。エイドリアン・カーターが手配したNSA(国家安全保障局)の情報によれば、ナタリーを尋問しているのは元イラク軍事情報部大佐のアル=ティクリティのようです。

(イメージ画像をAIで作成)

 尋問を終えてアル=ラシード・パーク近くのアパートメントに戻ったナタリーを待っていたのは、ミランダではなく、サフィア・ブリアーヌでした。


38・39 パルミラ、シリア

 ナタリーが翌日向かった訓練キャンプがあった、古代都市パルミラは、「ナツメヤシ」を意味するギリシャ語が語源で、シリア中央のホムス県に位置し、シリア砂漠を横断するシルクロードの拠点として栄えたローマ帝国時代の都市遺跡で、ヨルダンのペトラ、イランのペルセポリスと並び「中東の3P遺跡」と称されるシリアの代表的な遺跡です。1980年に世界遺産に登録されていましたが、シリア内戦の悪化により2013年に危機遺産とされ、2015年のISISの占拠に伴い、重要な遺跡の多くが破壊されてしまいました。

(Wikimedia Commons)
(Wikimedia Commonsに加筆)

 最高神ベルと太陽神、月神の三柱を祭るベル神殿(図11)は、パルミラ遺跡で最大級の遺跡で、コリント式列柱に囲まれた紀元後32年建設の本殿は、幅約40m、奥行き約14m、高さ約14mの規模があり、最も保存状態の良い遺構の一つでした。

(Wikimedia Commons)

 2015年8月に破壊され、ナタリーが散歩で訪れたときは、門と壁の一部だけが残る本物の廃墟と化していました。同行した若いISIS隊員が偶像崇拝を理由に破壊したとき爆弾を仕掛けるのを手伝ったと語ります。

(AFPBB Newsから引用)

 記念門(図13)は、セプティミウス・セウェルスの凱旋門とも呼ばれ、同帝の治世中に列柱道路の南側と中央部を統合することを目的として屈折部に建設されました。写真のとおり2つのファサードを持つアーチでした。

(Wikimedia Commons)

 2015年10月に破壊され、アーチは姿を消しました。

(BBC NEWS JAPANから引用 )

 ナタリーが歩いた列柱道路(図3)は、ベル神殿の入口から記念門、四面門を経て葬祭殿(図2)の方へ伸びる1.4kmに及ぶ柱廊で、まず西門から始まる西側の最も長い部分が、続いて記念門から神殿までの最も幅の広い東側部分が、最後に両者を繋ぐ部分が、西暦2世紀から3世紀にかけて順次建設されました。

(Wikimedia Commons)

 列柱道路の中間部にある四面門(図5)は、一辺約4mの4つの基壇の上に各4本の柱を備えた門でした。政府側が2016年3月にパルミラを奪還した時点では無事でしたが、同年12月にISISが再制圧後に破壊されました。

(Wikimedia Commons)

 ナタリーが涙で見ることができなかったというバールシャミン神殿(図7)は、四面門の手前から北方に伸びる方向にあり、カナン人の天空神バールシャミンに捧げるために建てられたもので、こちらもISISによって破壊されました。

 因みに、写真左奥の丘の上に見えているのは、パルミラ城(アラブ城、ファフル・アッディーン・アル=マアニー城とも呼ばれます)です。

(Wikimedia Commons)

 訓練キャンプに戻ったナタリーが夜寝ていると、男たちが部屋に入ってきて拉致されます。


40~43 アンバル州、イラク

 目隠しをしてSUV車に乗せられ、M20という高速道路を東へ向かい、連れてこられたのは、どこかのモスクから1時間ほどのところにある大邸宅のがらんとした部屋でした。そこには米軍の空爆によって負傷したサラディンが横たわっていました。ナタリーは、先日尋問を行ったイラク人からサラディンの命を救うよう命ぜられます。患者の命を救うという倫理的な義務とテロ・ネットワークを壊滅させるというミッションの狭間で、ナタリーは、サラディンの信頼を勝ち取り、その頭の中にある重大な秘密を盗むため、彼の命を救うことにします。

(イメージ画像をAIで作成)

 相当の重傷を負ったサラディンですが、ナタリーによる手術と処置により、会話ができるまで回復します。しかし、ナタリーに用意しているという作戦については教えてもらえず、ただ、ワインバーグ・センター爆破事件は、ガブリエル・アロンに打撃を与えるため、仲間のハンナ・ワインバーグとイスラエルの隠れ蓑であるセンターを標的にしたものであったと明かされます。それから、最後の措置を行った後、ナタリーは、トルコのボドルム港から、待っていたミランダ・ウォードと共にフェリーでサントリーニ島に戻り、パノラマブティック・ホテルに一泊し、アテネに着くと、返された携帯電話から”父親”に旅行は楽しかった、無事に帰ってきたとメールし、エールフランスのパリ行きの便にひとりで搭乗するのでした。


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 今回の投稿での旅はここまでです。次回、第3部からいながら旅を続けます。葛藤の末、サラディンの命を救ったナタリーの運命は・・・

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