ダニエル・シルヴァの小説『ブラック・ウィドウ』de いながら旅(1)

11 ブラック・ウィドウ
11 ブラック・ウィドウ● ダニエル・シルヴァ

 小説をガイドブック代わりに、登場人物たちの足跡を辿りつつ、時には寄り道もして、写真や観光資料、地図データなどを基に、舞台となっている世界各地を紹介しながらバーチャルに巡礼する、小説 de いながら旅の第11シーズン。再びダニエル・シルヴァの作品を取り上げます。これまでのいながら旅を引用する場合は、シーズン番号に応じて、第〇旅(例えば、第1シーズンの場合は第1旅)と表記します。

 なお、本作では、シリアのラッカ等が舞台として登場します。内戦の影響により適当な画像が見つからない場合もあると思いますが、あらかじめご了承ください。

 また、第10旅に続いてAI(ChatGDPやGemini)の支援を受けてイメージ画像を作成してみました。今回は探し出した画像を場面に合わせて加工することも多用しています。AIに創作してもらった主人公や諜報機関のリーダーなどの登場人物の外見や背景画像とのマッチングにも注目してください。AIを利用してみた感想としては、イメージに沿って画像を一から作成する場合は、秀逸な画像を作ってくれますが、既存の画像を加工したり、作成した画像を修正する場合は、指示を十分理解しなかったり(左右や東西南北を逆に認識、実行してしまうこともあります)、指示以上の修正をしたり、画像に写る人物の外見を再現するのは不得手な様子です。

この旅のガイドブック

 今回の旅のガイドブックは、2017年7月年に刊行された『ブラック・ウィドウ』(原題『The Black Widow 』2016年7月)です。同作は、美術修復師であると同時にイスラエル諜報機関の元暗殺工作員のガブリエル・アロンを主人公とするシリーズの16作目。原作者自身が序文で述べていますが、2015年11月に発生したパリ同時多発テロとの関連性が話題になった作品であり、また、随所でガブリエルの来歴や過去の作品でのエピソードを振り返っています。パリで大規模な爆弾テロが発生し、友人が犠牲者となったガブリエルは、フランス当局と共同で捜査を開始します。アムステルダムでも凄惨なテロが発生したことから、次のテロを阻止するため、若きフランス系ユダヤ人の女医を“黒衣の未亡人”に仕立て、ISISのネットワークに潜入させ、黒幕サラディンに迫ります。パリやオーべルヴィリエなどの郊外、ベイルート、イスラエル(エルサレム、テルアビブほか)、アムステルダム、アンマン、ブリュッセル、サントリーニ島(ギリシャ)、シリア(ラッカ、パルミラ)を巡り、後半はアメリカ合衆国(ワシントンD.C.ほか)に舞台が移ります。

 本作でも、地名や場所名のスペルを確認したりするため、原書もKindle版(英語版)で参照しました。前作同様、Harper版のKindleの表紙は白黒茶の3色刷りのリプリント版になっているのに対し、HarperCollins版の表紙は多色刷りです。価格は、私が購入したときは、後者が680円でした。


第1部 ロジエ通り

1 マレ地区、パリ

 主人公ガブリエル・アロンの友人で、フランス国内における反ユダヤ主義の研究を行う〈アイザック・ワインバーグ・センター〉を主宰するハンナ・ワインバーグが亡くなったのは、パリ、マレ地区のロジエ通りにある同センターに各方面のパネリストを招いて開かれた国際会議の当日。開始時刻の10時に爆発するよう、通りの前に停められたルノー・トラフィックの運送用バンに仕掛けられた500㎏超の爆弾による爆破テロによってでした。「バラの茂みの通り」を意味するロジエ通りは、パリ4区に形成されたユダヤ人地区を代表する通りで、センターの建物は、通りの突き当たりの静かな一角(上巻109頁の記述から通りの西側とわかります)にある4階建てのビルとのことですが、「著者ノート」にあるとおり実在しておらず、写真は通りの西側の最も古い部分が残る辺りを見通したものです。

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 こちらの情報にあるように、作中にも出てくるイスラエルの名物料理ファラフェルのお店が見られます。写真は〈L’As du Fallafel〉という専門店です。

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 ロジエ通りでは、1982年8月9日に〈ジョー・ゴールデンバーグ・レストラン〉でパレスチナ解放機構(PLO)から分裂した過激派による爆破・銃撃事件が起こっています。

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 また、ハンナが暮らしていたアパルトマンは、パヴェ通りと交差する角を曲がったところ、24番地にあったと記述されていますが、同番地には、現在パリ市立歴史図書館が入っているオテル・ダングレーム・ラモワニョンという邸宅が建っています。

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 フィンセント・ファン・ゴッホは、1890年にオーヴェル=シュル=オワーズで過ごした最後の数か月間に、主治医であるポール・ガシェの娘マルグリット・ガシェをモデルにした作品をいくつか描いていますが、ハンナのアパルトマンの子供時代の部屋に掛かっていたという《鏡台のマグリット・ガシェ》は架空の作品です。彼の《ピアノの前のマルグリット・ガシェ》を参考にAIにイメージ画像を作ってもらいました。

(イメージ画像をAIで作成)

 目出し帽で顔を隠し、カラシニコフのアサルトライフルや拳銃、手榴弾で武装した二人組の犯人は、センターの警備員ほかを銃撃した後、ロジエ通りの西、ヴィエイユ・デュ・タンプル通りにあるパン屋にいた全員を射殺して、爆発後に現場に引き返して瓦礫の中に倒れていた人々を射殺していったのです。犠牲者の中にハンナ・ワインバーグもいました。防犯カメラには、瀕死の男性を殺す女の姿が残っていました。


2 グルネル通り、パリ

 ポール・ルソーがチーフを務める、フランスの国内治安総局(DGSI)のテロ対策ユニット〈アルファ・グループ〉(実在の組織ではありません)の建物があるというグルネル通りは、パリ7区のサンジェルマン地区にあり、アンヴァリッドの前をまたぐ全長2km超の通りですが、アメリ通りの交差点が見える場所には、中庭のある宿泊施設はあるものの、中庭と駐車場に通じる黒いゲートがある仏文学国際協会の建物も近くのアンティーク・ショップも見当たりません。

Googleマップ

 写真正面は、〈マイ・メゾン・イン・パリ-インヴァリッド〉の周辺をベースにして、作中の記述に沿った仏文学国際協会(アルファ・グループ本部建物)のイメージ画像をAIで作成したものです。

Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 ワインバーグ・センター爆破事件から3日後、ルソーの補佐役クリスティアン・ブシャールが内務省のミーティングに参加したところ、〈アルファ・グループ〉の上部組織、DGSIテロ対策部のチーフのリュシアン・ジャカールからの情報により、実行犯の女は、リュシアンが監視を中断していた通称〈黒衣の未亡人〉と呼ばれるオルネ=スー=ボワ出身のイスラム教徒で、本名をサフィア・ブリアーヌという29歳のISISメンバーだと判明。再度の襲撃の可能性が高いとのことで、大臣が〈アルファ・グループ〉への情報の移管を命じました。また、ブシャールは、ハンナ・ワインバーグが行方不明だったゴッホの絵を持っており、ガブリエルに遺贈するつもりだったことも伝えます。


3 ベイルート

 中東で禁制品の遺物取引をしているロシア系カナダ人デイヴィッド・ロストフ名義の偽パスポートを持つ、イスラエル諜報機関、通称〈オフィス〉に所属するミハイル・アブラモフが、ベイルートの支援者(サイアン)サミ・ハダドの支援を受け、情報源に接触するために宿泊したのは、マリーナに面するフォーシーズンズ・ホテル・ベイルート〉でした。

フォーシーズンズ・ホテルのウェブサイトから引用)

 ミハイルがハダドからの連絡を受け、ホテルのルーフバーに行くと、地中海を向いた奥の白いカウチで、ベイルートにおける情報源で、古代遺物を商うマンスール王朝の御曹司クロヴィス・マンスールが待っていました。

Googleマップ

 ミハイルが金を渡すと、マンスールが提供したのは、パリの襲撃事件の犯人に関する情報でした。


4 ベイルート __ テルアビブ

 ミハイル(上巻44頁によると、肌は青白くて血の気がなく、目は氷河の氷の色をした、ひょろ長い男)がオーシャンビューのデラックスルームに戻ってきたのは午前2時半。侵入者の形跡を確認し、入口にバリケードを築いてベッドで足を伸ばし、手に入れた情報を反芻します。”その男の名はサラディン・・・。”

Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 30分後にサミ・ハダドに車で送ってもらったミハイルは、空港から8時半のミドル・イースト航空のローマ行きに搭乗します。2005年に暗殺されたレバノンの元首相に因んで名付けられたベイルート・ラフィク・ハリリ国際空港(BEY)は、1954年に開港したレバノン唯一の商業空港で、同国のフラッグ・キャリアであるミドル・イースト航空の本拠地となっています。

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 ローマのフィウミチーノ空港(FCO)で2時間近くかかって入国審査ゲートを通過し、名前を変えてテルアビブ行きのエル・アル航空に搭乗しました。

Wikimedia Commonsからイメージ画像をAIで作成)

 正午を回ったでしょうから、現在(2026年9月現在)ならLY286便が該当し、B737-800で3時間20分でベン・グリオン国際空港(TLV)に到着します。

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 待っていた車で向かったのは、キング・サウル通りの西端に建つ〈オフィス〉本部ビルでした。本部ビルについては第6旅で紹介しましたが、ビルの中にビルが存在するような構造になっています。午後9時半、ミハイルは、地下の駐車場からビルに入り、長官室に向かいます。

lh3.googleusercontent.comをAIで夜景に加工)

 ミハイルは、もうじき元長官になるウージ・ナヴォト(上巻59頁によれば、ブルーの目に縁なしの眼鏡をかけ、かつてストロベリーブロンドだった髪は今では白髪交じりで、仕立てたシャツに比べて太めの体形)に、パリの事件の首謀者がサラディンと呼ばれる男であることを報告しますが、ナヴォトからは、空港でミハイルを降ろしてほどなく襲撃されて死亡したサミ・ハダドの写真を見せられます。

(イメージ画像をAIで作成)

5 イスラエル博物館、エルサレム

 ガブリエルが4か月間こもりきりで絵の修復作業を行っていたイスラエル博物館は、エルサレムのギヴァト・ラム地区の丘の上に1965年に設立されたイスラエルの国内最大級の文化施設で、約50万点のコレクションが、ベツァレル美術部門、ブロンフマン考古学部門、マンデル・ユダヤ美術文化部門の3部門に分かれて展示されています。

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 ガブリエルは、身長175cmぐらいの細身で、額が秀でていて、顎は細く、頬骨が高く、尖った長い鼻は木を彫って作ったかのようで、短くカットされた黒髪はこめかみ辺りに灰色が交じり、目は鮮やかな緑色と描写されています。昨年(2014年)12月に、キアラとの間にアイリーン(女)とラファエル(男)という名の双子が誕生しています。

(イメージ画像をAIで作成)

 修復作業が見られないよう保存修復ラボの天井から床まで黒いカーテンで覆い、お気に入りの《ラ・ボエーム》のCDをかけて、ガブリエルが修復している絵は、1969年10月にパレルモのサン・ロレンツォ同心会から盗み出され、長らく行方不明となっていたものを、彼が北イタリアのブリエンノの教会で見つけ(第6旅)、今はバチカンの所有となっている、カラヴァッジョの《聖フランシスコと聖ラウレンティウスのキリストの降誕》でした。

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 4月上旬、パリで爆弾テロが起きた日、ラボを覗いた保存修復部のチーフのエフライム・コーヘンは、ラボの小型テレビに映し出された瓦礫の中にハンナ・ワインバーグの死体を見止めたガブリエルの表情が暗く翳り、緑色の目に怒りが燃えあがるのを感じます。そして、作業の最終日、絵筆を置いたガブリエルに警護係が携帯電話を押し付け、電話で話をしたガブリエルは警護係と共に姿を消していました。


6 マーレ・ハハミシャ、イスラエル

 ガブリエルがナヴォトと会って話をしたのは、イスラエル中央部、エルサレムの西側の険しい地帯に、パレスチナ独立戦争時(1936~39年)の1938年に塔と柵で囲まれた入植地の一つとして設立されたマーレ・ハハミシャというキブツで、1972年9月、〈オフィス〉の前長官であったアリ・シャムロンから呼び出されてしぶしぶやってきたガブリエルが〈神の怒り〉作戦を背負わされた古いホテルでした。

Googleマップ

 古いホテルというのは、国境から1キロ以内で、敷地内にイスラエル独立戦争時に部隊の拠点として使われた歴史的建造物が残る、〈ヤリーム・ホテル〉(旧マーレ・ハハミシャ・ホテル)ではないでしょうか。

Googleマップ

 ナヴォトは、ベイルートにおける情報源のクロヴィス・マンスールが、古代遺物の違法取引でISISを相手にしておきながら、こちらにもすり寄ったことで殺されたと話し、ワインバーグ・センター爆破事件の実行犯の一人はアルジェリアの血をひくフランス女性、共犯はブリュッセルのモレンベークに住んでいたベルギー国籍の男で(実際に2015年のパリ同時多発テロ事件にはモレンベーク出身者が関与していました)、現在はシリアに戻っていると説明します。フランス側は、新たな襲撃の前にISISをつぶしたいと考え、差し押さえたハンナ・ワインバーグ所有のゴッホの身代金としてガブリエルの協力を望んでおり、テロ対策ユニット〈アルファ・グループ〉を率いるポール・ルソーがパリに来てほしいと言っていると話します。

Googleマップからイメージ画像をAIで作成)

 乗り気ではないガブリエルに、ナヴォトは、ハンナ・ワインバーグのために、ネットワークの内部に潜入し、サラディンが何者で、どこで活動しているかを突き止め、次の爆弾テロが起きる前に叩きつぶしてほしいと頼み、そこに作戦を了承している首相から健闘を祈る旨の電話がかかってきます。


8 ナルキス通り、エルサレム

 夜、ガブリエルが戻ったエルサレムの住まいは、第6旅で紹介したとおり、ナルキス通り16番地にあり、金属製のゲートを通り抜け、ガーデンウォークを歩いて入口に到達する、エルサレム産の石灰岩でできたアパートメントの3階です。

Googleマップの画像をAIで夜景に加工)

 ガブリエルは、血のように赤いシラーを飲みながら、ハンナ・ワインバーグが遺してくれたゴッホのためにパリに出かけなければならないことをキアラ(上巻94頁によれば、所々赤褐色と栗色にきらめき、カールした長い髪、鼻は高く、ほっそりとした顎、アラビア、北アフリカ、スペインなどの遺伝子を持つ)にどう伝えようかを考えます。

(イメージ画像をAIで作成)

 特別の夜だと言って修復の完了を祝して蝋燭を灯すキアラに、ガブリエルは、子牛すね肉のミラノ風煮込み(オッソブーコ)とリゾットを食べながら、これが最後の修復で、育児休暇は終わったと言い、選択肢は長官としての義務を負うか、フランスに協力するかのどちらかだとしつつ、その協力によってゴッホを手に入れるつもりだと話します。キアラは、長官になるのを避けるためには何でもするのではと言い、長官ならテルアビブにいられるが、作戦はパリだと難色を示します。ISISのネットワークを自分の手で粉砕すると力説するガブリエルに、何かを言おうとしますが、赤ん坊の泣き声に邪魔されたキアラは、ゆっくり食べててと言葉を飲み込むのでした。

(イメージ画像をAIで作成)

 この後、家族への愛と国の平和を守る使命感に浸るガブリエルの姿が描かれます。


9 マレ地区、パリ

 翌朝10時20分、クリスティアン・ブシャールは、ギデオン・アルゴフの名で入国審査を終えて出てくるガブリエルを確認するため、「スミス」と書かれたボードを持ってシャルル・ド・ゴール空港(CDG)の到着ロビーにいました。ブシャールが見たことがあるという、リヨン駅で爆発が起きる数秒前に防犯カメラがとらえた有名な写真というのは、シリーズ5作目『Prince of Fire』でのエピソードを指しています。

こちらの画像からイメージ画像をAIで作成)

 ガブリエルが向かったのは、廃墟となったワインバーグ・センターがあるロジエ通りでした。西端にできているバリケードの前で3分間たたずみ、東に進みます。

Wikimedia Commonsからイメージ画像をAIで作成)

 途中、ブシャールの尾行をまいたガブリエルは、自分に対する警備は不要だと言ってブシャールと並んで歩き、パヴェ通り24番地のハンナのアパルトマンに到着します。すると、サウジアラビアの大富豪ジジ・アル=バカリの身辺に工作員を潜入させるための餌とするためゴッホの絵を借りに訪れたとき(シリーズ6作目『The Messenger』でのエピソード)の記憶がよみがえってきます。アパルトマンで待っていたポール・ルソーと対面し、一緒に子供部屋にあるゴッホを見に行きます。

(イメージ画像をAIで作成)

 ガブリエルは、ルソーに、最初にはっきりさせておくとして、過去のことをあれこれ詮索したり思い出話にふけるのはやめておこうと言います。ルソーは、同意して、ガブリエルが自分たちに協力してワインバーグ・センター爆破事件の首謀者を見つけ出せば絵を渡すと話します。


10 パヴェ通り、パリ

 ガブリエルとルソー(上巻32頁によると、ツイードの上着に白髪交じりの乱れ髪、片時もパイプを放さない姿は、世事に疎い大学教授の雰囲気)は、ハンナのアパルトマンの居間でコーヒーを飲みながら、共同作戦の基本合意をまとめ、フランス国内の作戦についてはルソーが優先権を保持する代わりに、ガブリエルにフランス国内のイスラム過激派に関するファイルの自由閲覧権とフランスにおける将来にわたる無条件の免責特権が与えられます。

(イメージ画像をAIで作成)

 散歩に出たふたりは、ノートルダム寺院に向かってセーヌ川の岸辺を歩きながら、今回の大惨事の元凶やISISについて話します。

(イメージ画像をAIで作成)

 シテ島に入るときに渡ったノートルダム橋は、古代ローマ時代にパリで初めて橋が架けられた場所にあり、「グラン・ポン(大きい橋)」と呼ばれていました。1853年に5連アーチの石造橋が架けられましたが、水難事故が多発するため悪魔の橋と呼ばれることもあり、1914年に中央の三つを一つの鋼製アーチに替えた現在のスタイルとなりました。

(2014年の旅行時の写真)

 本作には記述されていませんが、ガブリエルがISISを壊滅すると言い切ったときには、第1旅に登場したノートルダム大聖堂の前のシテ通りを通っていたことでしょう。大聖堂は、2019年4月の大規模火災から5年の再建工事を経て、2024年12月から再び一般公開されています。

(2014年の旅行時の写真)

 続いて渡ったのがシテ島とセーヌ川南岸を結ぶ、「小さな橋」という意味のプティ・ポンで、こちらも古代ローマ時代から造り替えられてきたもので、現在の橋は1853年に造られました。

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 ふたりが足を踏み入れたラテン・クォーター(カルチエ・ラタン)は、中世からの大学街(ソルボンヌ大学)として知られる歴史あるエリアで、歴史的建造物、庭園などの観光名所が密集し、細い路地にカフェやビストロが並ぶグルメスポットでもあります。サンジェルマン大通りには、第6旅(第21節第23節)でガブリエルが作戦を行ったサンジェルマン・デ・プレ教会があります。

(2014年の旅行時の写真)

 ガブリエルが連れていかれたのは、ルソーが死別した妻と暮らしていたアパルトマンで、中庭の反対側には、かつてルソーの教え子だったドニーズ・ジョベールが住んでいたと話します。過激派だったという彼女がつきあっていたのが、パレスチナのテロ組織〈ブラック・セプテンバー〉のリーダーで、ミュンヘン・オリンピック事件の首謀者サブリ・アル=カリファであり、すなわちガブリエルが〈神の怒り作戦〉でこの中庭の石畳で11発の銃弾を打ち込んで殺害した相手だったと明かします。


11 アムステルダム __ パリ

 同一犯が爆弾事件を起こしたのは、アムステルダムのアルバート・カイプ市場でした。1905年に旧市街のアルバート・カイプ通りに設置された露店市場で、背後にはサドルブラウンの煉瓦のテラスハウスが続いています。爆弾の運搬にはフォード・トランジットの小型バンが使われ、運転していたのは金髪で長い脚、ひきしまったヒップ、ブルージーンズ、フード付きトレーナー、フリースのベストを着た30歳ぐらいの女性でした。

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 オランダのAIVD(総合情報保安局)は、爆弾を積んだ車を運転してきた女を追っていましたが、ISISから犯行声明が出て、マルグリート・ヤンセンというAIVDが監視を中止していた女性がビデオで話をする一方、フランスのDGSIがビデオに映るもう一人の女がワインバーグ・センター爆破事件の実行犯サフィア・ブリアーヌだと発表します。

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 ルソーがAIVD本部でのミーティングに参加します。本部はロッテルダム・ハーグ都市圏のズーテルメールにあります。ミーティングには、CIA本部からも参加がありました。

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 ルソーがAIVD本部で受け取った資料のコピーをガブリエルに渡したのは、パリ8区のミロメニル通りの〈アンティーク理化学機器専門店〉の向かいにある静かなブラッスリーでした。第6旅でガブリエルが作戦を共にする絵画泥棒のモーリス・デュランが戻ってくるのを待った場所で、反対側のテーブルに座っていた禿げ頭の小柄な男こそデュランです。写真は同旅で推定した同通り9番地の〈Cafe Beauvau〉です。

Googleマップ

 ガブリエルは、フランス側に活動拠点の場所を伏せていました。通りを遠ざかるガブリエルを見送ったルソーの携帯にブシャールからガブリエルに尾行をまかれた旨のショートメールが届きます。


12 パ リ

 ガブリエルが〈アルファ・グループ〉の尾行をまいて、地下鉄をタクシーを使って向かったのは、ブローニュの森のはずれにある小さなアパルトマンの4B、グスマン名義の部屋でした。第1旅(第31節第36節)に登場したパリ16区のコロンビア広場にほど近い緑の多い通りに面した部屋です。ガブリエルを出迎えたのはミハイル・アブラモフとエリ・ラヴォンヤコブ・ロスマンヨッシ・ガヴィシリモーナ・スターン、そして、ダイナ・サリド。稲妻という意味の ”バラク” と呼ばれるガブリエルが創設したチームでした。

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 人間データベースと言われるダイナがサフィア・ブリアーヌの監視報告書とガブリエルが持ち帰った資料から、サフィアを尾行して監視する男の存在を発見し、〈アルファ・グループ〉が男はヨルダンのアンマン生まれで現在は英国に在住するジャラル・ナセルと突き止めます。


13 アンマン、ヨルダン

 エルサレムに戻っていたガブリエルは、翌朝早く、アパートメントを出て、装甲SUV車でイスラエル(ヨルダン川西岸地区)とヨルダンの境界となっているアレンビー橋(ヨルダンではキング・フセイン橋と呼ばれます)を経て、アンマンへ向かいます。

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 ガブリエルが向かったのは、別名ムハバラート、ヨルダン総合情報部(GID)の本部庁舎でした。

こちらの画像からイメージ画像をAIで作成)

 GID長官のファリード・バラカト(上巻152・3頁によれば、長身で細身、瞳は黒く、鼻は猛禽のくちばしのよう。高級仕立てのスーツ)に対面し、甘いアラブコーヒーと長いおしゃべりに付き合った後、ガブリエルがブリーフケースから取り出した写真を渡すと、ファリードは写真の男はジャラル・ナセルだと言って、何をぐずぐずしていたのかと返してきます。


14・15 GID本部、アンマン

 ファリードによれば、ジャラルはヨルダン川東岸地区のバニ・ハッサン族の裕福な家の出身で、ロンドンのキングス・カレッジ入学後、ISISの勧誘係の助言によりロンドンで活動しているとのことでした。ガブリエルは、ジャラルがサフィア・ブリアーヌの近くに写っている複数の写真を見せ、パリとアムステルダムの件とどう関係しているかを探っていると告げます。

(イメージ画像をAIで作成)

 サラディンの名を出すと、ファリードは、サラディンは実在するが、ジャラルではなく、自分たちにとって悪夢の極致だと話します。その後、GIDとも共同体制を組むことになり、ジャラルに関する全ての情報の提供を受けます。

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 テルアビブに戻ったガブリエルは、〈オフィス〉の長官室で、ウージ・ナヴォトにサラディンのネットワークに女の工作員を潜入させると告げ、適任となる人材の心当たりを尋ねると、ナヴォトは、ガブリエルが完璧と考える女性のファイルを提示するのでした。


16 エルサレム

 ユダヤ人医師ナタリー・ミズラヒ(上巻178頁によると、肌はオリーブ色、瞳は黒く、シニョンにまとめた黒髪、引き締まった細身)が勤務しているのは、1934年に設立されたハダーサ医療センターを構成し、洗礼者ヨハネの生誕地と伝わる西エルサレムのエン・カレムに建てられたハダーサ・エン・カレム病院の外傷センターです。マルセイユで育ちましたが、フランスはユダヤ人が安全に暮らせる場所ではないと痛感した両親と共に26歳のときにイスラエルに移住しました。

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 毎日のように襲撃事件が発生し、ナタリーは搬送されてくる患者を被害者も加害者も分け隔てなく処置します。発生場所が両親が暮らすネタニアと聞くと、電話して安否を確認したりしながらシフトをこなすと、シャトルバスと自分の車でアパートメントがあるレハビア地区に帰ります。ナタリーのアパートメントは、イブン・エズラ通りから角を曲がったエルハジリ通りにあります。松とブーゲンビリアの香りのする細い路地です。

Googleマップ

 ナタリーが自宅前に到着すると、携帯が鳴ります。発信番号は実家の電話番号からでしたが、電話の相手はウージ・ナヴォトでした。


17 イズレルの谷、イスラエル

 ナタリーが自宅のアパートメントに入ると、勝手に紅茶を淹れ、テーブルに彼女のパスポートを出して、キャリーバックに荷造りをして待っていたのは、ダイナ・サリド(上巻140頁によると、小柄で、柔らかな輪郭を描く子供っぽい顔、漆黒の髪)でした。

(イメージ画像をAIで作成)

 ダイナに促され、イブン・エズラ通りに止めてあったダイナの車でハイウェイ6号線を北上します(車で2時間前後です)。

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 到着したのは、平屋の家々が並び、奥に牧場と耕作地が広がるナハラルでした。1921年にユダヤ人が初めて入植したモシャブ(家族経営の農場を村単位の協同組合がまとめているもの)で、円形の中に車輪のスポークのように放射状に農地が配置された形状が特徴です。

Wikimedia Commons

 第4旅で明らかとなったガブリエルが生まれたラマト・ダヴィドはここから南東にあり、東方向の遠方にはお椀型のタボル山が見通せます。

Wikimedia Commons他の画像

18 ナハラル、イスラエル

 庭の丸テーブルでランチをとりながら、ガブリエルは、本名や出自来歴を明かし、ミュンヘン・オリンピック事件の復讐を実行してチュニスでPLOの副司令官を殺害したこと、ウィーンで爆弾を仕掛けられ息子を亡くし妻が重傷を負ったこと(第1旅)を告白し、ウィーン出身のウージも家族を全員亡くし、ダイナの先祖は父親を除いてバビ・ヤール渓谷で虐殺されたと言って、ああいう悲劇が二度と起きないようにするのが我々に与えられた神聖な義務だと語るのでした。

(イメージ画像をAIで作成)

 自分自身のことには口が重いナタリーに、ガブリエルは、合格だとして、諜報部員を前にしても銃を突きつけられない限り自分自身のことはひと言も語ってはならないと話します。そして、彼女のことをしばらく前から監視下に置いていたことを明かし、一家がアルジェリア出身であることなど知り得た事実を話すのでした。ナタリーは、アパートメントの寝室から盗み出した手紙を返してと言い、応募した覚えはないと訴えます。


19 ナハラル、イスラエル

 自分を秘密組織に勧誘した理由をきちんと話してくれるならここに残ることにすると言うナタリーに対し、アラビア語で「シュワイヤ(少しずつ)」と言って、サラディンと呼ばれる凄腕のテロ首謀者のこと、彼のネットワークを壊滅しなければならないこと、サラディンの方からナタリーを誘うように仕向けてISISに潜入してもらいたいことなどを話します。

(イメージ画像をAIで作成)

 ナタリーは、自分は嘘が苦手で秘密を守れないし、自分には無理だ、人選を間違えているとして、誰か他の人を見つけてほしいと言って帰ることにします。


20 ナハラル、イスラエル

 既に荷解きをされたナタリーの衣服をキャリーケースに戻すダイナは、自分なら罪もない人が更に死んでいくことを止めるためどんなことでもすると言い、ナタリーの求めに応じて母親と妹たちを失い自分も足を引きずる原因となった自爆テロについて語ります。そして、ナタリーに彼女がライラを名乗り変身するために用意していたロイヤルブルーのシルクのヒジャブを付けてやります。

(イメージ画像をAIで作成)

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 ナタリーの両親が暮らすネタニアは、テルアビブの北30km、カエサレアの南15kmのシャロン平原に位置し、地中海沿いの砂丘や断崖にバルコニー付きの白い高層アパートメントがいくつもそびえ、長いビーチが続く人気の高い観光地です。

Googleマップ

 ダイナがナタリーを乗せた車を停めたのは、海岸沿いにある〈パーク・ホテル〉の駐車場でした。同ホテルは、作中にあるとおり2002年3月27日の過越祭にハマスによる自爆テロで民間人が30人死亡し、140人が負傷した場所です。

Googleマップ

 ふたりが歩いて向かったのは、市の中心に位置する独立広場で(かつてはウォルコップ広場と呼ばれていましたが、建国初の独立記念日を記念して1949年5月に現在の名前に改名)、ナタリーは、広場の奥にある〈シェ・クロード〉というカフェ(Googleマップでは確認できませんでした)のいつものテーブルにいる両親のところに向かいます。

Wikimedia Commons

 ダイナが腰を下ろしたベンチがあった噴水というのがこちらです。

Googleマップ

 ナタリーは、ガブリエルの勧誘を受けることに思い直し、彼が用意した言葉どおり、しばらく家を留守にすること、連絡をとろうとしないでほしいことを両親に伝え、別れのキスをして泣き顔でダイナの方に戻ってくるのでした。


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 今回の投稿での旅はここまでです。次回、第2部からいながら旅を続けます。仲間となったナタリーは、無事潜入を果たし、サラディンに迫ることはできるでしょうか。

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