『シークレット・オブ・シークレッツ』をガイドブックとする、いながら旅第10シーズンも、この投稿が最終回です。ラングドンには、サーシャのいる場所がわかったようです。ゴーレムの正体も明らかに。第2部の続き、第40節からいながら旅を続けます。
第2部 界 域(承前)
47 ゴーレムの正体
カーブルはラングドンとキャサリンを乗せて大使館へ向かって川沿いに北へ車を走らせますが、ラングドンは、大使がこの危難を乗り切るにはサーシャ・ヴェスナを捜す必要があり、まずサーシャの部屋に行く必要があると言って、キャサリンと旧市街広場の近くで車を降ります。

ラングドンは、キャサリンを広場の端へ連れていき、反対側まで進んだということですが、こちら側かもしれません。
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サーシャのアパートメントに向かう途中、通り抜けたアーチ形通路というのは、こちらのジェレズナー通りからコジュナー通りへのアーチではないでしょうか。

ラングドンは、サーシャがまだアパートメントの中にいると言って、今朝サーシャに連れていかれた道筋を辿って、石を敷きつめた狭い路地を進みます。

ラングドンがここだと言ってキャサリンを連れてきたのは、番号やしるしなどなんの特徴もないドアの前でした。通りに面したドアには(斜めに板が張られ)防犯用の金網が取り付けられているとの記述(下巻306頁)から、ここかもしれないと思いましたが、番地の表札が上に見えますから違いますね。コジュナー通りには他にそれらしい玄関は見当たりません。

ラングドンは、今朝サーシャの部屋のドアの下にメモが差し入れられたときのことを思い出し、路地にはどこにも隠れる場所がなく、2階もゲスネルの持ち物で戸別の玄関がないことから、メモを置いた人物は2階に隠れ、ラングドンがペトシーン・タワーに向かった後、ハリスの殺害を目撃させないようサーシャを2階に行かせ、そのまま留めたに違いないと推理し、カーブル軍曹から受け取った鍵で中に入り、階段のある部屋を見つけて、2階のアパートメントに向かいます。

アパートメントの中には玄関と同じ鍵で入ることができましたが、サーシャは見つからず、内壁と天井は真っ黒に塗られ、窓は厚いカーテンに覆われ、ニスを塗った床はくすんだ色でまったく光を反射せず、ブラックライトの淡い紫がかった光で照らされた室内(上巻33・4頁)は住居というより奇怪な避難所のようでした。家具はほとんどなく、床の中央に麻のマットレス、祭壇のように置かれた低いテーブルの上には蝋燭が並び、ドライフラワーが飾られ、その上の壁にサーシャの写真が掛けられています(下巻312・3頁)。癲癇発作時に口に入れるギャグボールあることから、この部屋の謎の住人は、”サーシャの守護者”と名乗り、界域を破壊したゴーレムであり、黒髪のロシア人ドミトリ・シセヴィッチに違いないと考えます・・・。

ラングドンは、ごみ箱の中から泥にまみれた頭蓋帽を見つけると、内側に付着している髪の毛を摘まみ上げ、照明にかざしました。次の瞬間、背筋が寒くなるとともに、見落としていたと叫び、出口に向かいます。そして、目張りがあるため外からドアの下にメモを差し込むことができないことを確認すると、メモを置いた人物はずっとアパートメントの中にいたと言い、キャサリンが昨夜の講演で話した、脳が損傷を受けると信号が混乱する、ある事例を思い出します。

キャサリンが昨夜の講演で非局在型意識が存在する証拠として語った事例というのは、解離性同一性障害、多重人格と言われる心理現象でした。そして、ラングドンが導き出した結論は、ゴーレムとサーシャは同一人物であり、今朝自分が話した相手はサーシャではなかったということでした。
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その頃、ゴーレムは、十字架砦の地下のバスルームで粘土を削り取り、衣服や頭蓋帽を脱いで、シャワーで泥を落とすと、鏡に映った金髪の女に向かって「サーシャ」と呟きます。

サーシャの肉体はここにあり、共有しているものの、自分が主導権を握るようになって長く、本人には何も聞こえていないと思い、ロシアの精神科施設でのあの恐ろしい瞬間、サーシャの魂がそれ以上の苦しみに耐えられなくなったとき、自分は誕生し、夜間看護師の首を絞め続けてサーシャを救ったと思い返すのでした。そして、サーシャの守護者としてこれまでしてきたことを回想した後、まもなく自分はサーシャを自由の身にして消えると考え、アメリカ大使館へ向かいます。
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ここコジュナー通りをサーシャ(=ゴーレム)のアパートメントの所在地としたのは、第8節で示したメラントリホヴァ通りとの位置関係及び本作の舞台を巡った越前敏弥氏のYouTube動画(3分2秒過ぎ)と旅行記で紹介された、ツアーガイドのアマイさんの推理を参考にしました。

因みに、上の写真右側の建物に貼り付けられたプレートは、ハンガリー独立運動の指揮官で、1845〜48年にカレル大学で化学を学んだアルトゥール・ゲルゲイが1848〜49年にこの家に住んでいたことを示すものです。

ラングドンは、壁の電話機でカーブル軍曹から教わった番号に電話をかけると、代わったネーゲルにフィンチが爆発で死んだことを告げ、話さなくてはならないことがたくさんあると言います。ネーゲルは、ラングドンに鍾乳石の壁に来るように指示します。なるべく早く来てと。
48 鍾乳石の壁
正式名を「グロット(洞窟)」という鍾乳石の壁は、プロローグに登場したマラー・ストラナのヴァルトシュタイン庭園の南側を形成し、バロック様式の優雅な庭園の中で、自然の洞窟を模したひと際異彩を放つ場所で、恐怖や驚きを演出する寓意的な意味が込められいます。

溶けだしたかのような鍾乳石や窪みを形づくり、蛙や蛇、グロテスクな人面、骸骨のような不気味な形をした装飾も見られます。

作中にあるように、壁には実際に刻まれた顔のほか、見る者の脳の解釈、パレイドリアとして知られる心理現象により顔に見えるものがあります。

壁の右端には、ラングドンとキャサリンが通り過ぎたという、鍾乳石と一体になった鳥小屋があります。

鳥小屋の中の止まり木には、確かにフクロウがいますね。

そして、ネーゲルがカーブル軍曹とふたりを連れてきた、頭蓋骨を模した恐ろしげな構造物に囲まれている高さ1m余りの木の扉というのは、こちらかもしれません。こちらの説明板によれば、鍾乳石の壁は、秘密の通路があるとされるところから、秘密の庭とか隠された庭とも呼ばれているようです。

鍾乳石の壁が裏のファサードに面していたという、13世紀半ばに創建された聖トマス修道院は、アウグスティヌス修道会の修道院内にあるカトリック教会で、現在のバロック様式の外観は18世紀前半の再建時に形成されたものです。

物語では入っていませんが、中も覗いてみましょう。身廊の天井を覆っているのは、バロック期のチェコ人画家ヴァーツラフ・ヴァヴジネツ・ライナーによる聖アウグスティヌスの生涯を描いたフレスコ画です。

下巻335頁にある、かつて修道士の醸造所だった場所で最先端のリフレクトリー・バーに変身を遂げたというのはここです。越前敏弥氏の旅行記で紹介されている、聖トマス修道院との隣接部分(ホテル側)の白い扉がこの写真の奥に見えています。

ネーゲルが三人を案内したのは、〈オーガスティン・ラグジュアリー・ホテル〉のスパの施術の後にくつろぐラウンジでした。写真は、電気蝋燭が灯り、教会の雰囲気を醸すように設えたという雰囲気に近いバー・ラウンジです。

ネーゲルは、サーシャの守護天使がよこした例の手書きのメッセージを見せるとともに、手に入れたゲスネルが界域について知っているすべてを白状した動画がラングドンたちの最終兵器になると話します。ラングドンは、サーシャの守護天使をドミトリだと考えるネーゲルに、真実を知らせます。真相を聞かされたネーゲルは、ショックを受け、罪悪感により辞意を固めます。
49 死の定義
ラングドンがキャサリンと共にカーブルが運転する大使館の車でホテルに戻る際、ウーイェスト通りで車窓に眺めたという、ヨーロッパで最も不気味で印象的な芸術作品とある《共産主義者の犠牲者たち》は、1948~89年の間に共産主義によって人生を破壊されたすべての犠牲者を追悼して、チェコの彫刻家オルブラム・ゾウベックと建築家ヤン・ケレル、ズデニェク・ホルツェルが制作した、抵抗と忍耐を示す記念碑です。

このときの経路は、第10節でマイケル・ハリスが選んだ経路ではなく、レギー橋を通る経路でした(因みに、単純に大使館からホテルまでの最短経路をGoogleマップで検索すると、マーネス橋を渡る経路が出てきます)。レギー橋は、1898年まで使用されていた鎖橋(フランツ1世橋)に代わって1901年に開通した石橋で、当初通行料を徴収するために使用した塔が残っています。

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ラングドンは、昨日キャサリンから「死の定義」について質問され、死は”意識”に基づいて定義されているが、その意識が体の外に存在しうると証明されたら、死も再定義されると言われたことを思い出します。なお、質問されたときに出くわしたという、「ヴィシェフラド城にある聖ウァレンティヌスの肩甲骨を収めた身の毛のよだつ聖遺物箱(下巻343頁)」については、こちらの情報から、2002年に聖ペテロと聖パウロ大聖堂の宝物庫で見つかった金とガラスでできたバロック様式のものだとわかりました。

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そうこうしていると、車がフォーシーズンズ・ホテルの正面に到着します。
50 コロンバス・サークル、ニューヨーク
ラングドンからふたりの無事を知らせる電話を受け、家路についたフォークマンは、キャサリンの原稿をめぐる様々な顛末を話し合いたいというラングドンの言葉を振り返りながら、コロンバス・サークルに近づきます。セントラルパーク南西角に位置する円形交差点で、中央にはコロンブスの記念碑が立っています。

フォークマンがコーヒーの香りに引き寄せられて入った、街で一番賑やかなスターバックスというのは、駅にも近い〈59丁目&ブロードウェイ店〉でしょう。

フォークマンは、図像学的な意味を無視して、マーメイドではなく、尾が二つある海の怪物セイレーンをロゴマークに用いている会社は信用できないとスターバックスを頑なに避けているラングドンのことを思い出して含み笑いし、コーヒーをひと口飲んで、家路をたどるのでした。
51 サーシャの亡命
カーブル軍曹は、ディヴィツェにあるアパートメントにダナ・ダニェクを訪ねて、ダナが持ち帰った私物の段ボール箱からカーブルが滑り込ませた外交封印袋を回収します。大使館に戻る際、ヴィーテズネー広場の大きなロータリーを半分回ったところでネーゲルからの電話を受けます。

マイケル・ハリスに話があると言って、サーシャが大使館に訪ねてきたのです。記憶がなく、困ったことになっているようだと話し、身の危険を感じているサーシャに、ネーゲルは、「庇護」を求めるのかを聞き、”管理された拘束”という架空の手続を説明して、サーシャの両手首を拘束して立入禁止区域に案内します。
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プラハの上空高くを漂い、カレル橋を見下ろしていたかと思えば、急に落下して凍てつく川に落ちるというおかしな夢に跳び起きたラングドンは、リビングルームに移動して窓辺で外を眺めていました。冬の午後9時過ぎとのことなので、雪化粧の中でカレル橋やペトシーン・タワーもライトアップして見えるこんな景色だったでしょう。そこへ内線電話が鳴り、ネーゲル大使が至急会いたいとカーブル軍曹が迎えに来ます。

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ネーゲルは、大使の執務室を訪れたラングドンとキャサリンに、事態に大きな動きがあったとして、CIAのチームが界域の爆発について秘密調査を開始する予定であり、施設に不法侵入したラングドンたちが真っ先に調査対象になると告げ、これからのアメリカの未来は人間の意識の潜在能力を真っ先に使いこなせるかどうかで決まると考えているCIAを相手にしなければならないことを理解してほしいと主張した上、この状況を切り抜ける真っ当な方法があり、うまくやるにはラングドンの協力が必要だと言って、サーシャが生きて大使館に来て庇護を求めたことを打ち明けます。
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ネーゲル大使は、サーシャを被害者として助けるべきだとしつつ、同じ体に危険な犯罪者をかくまっており、今回の事件の調査・捜査が進められる中で物的証拠からサーシャを容疑者とするのに時間はかからないこと、サーシャの脳チップにGPSや自壊機能が埋められている可能性もあること、しかし、CIAは今後どこかで界域プロジェクトを再建することは確実で、長年の開発プロジェクトにとってサーシャはかけがえのない資産であり、生かしておいた方がはるかに値打ちがあること、一方、サーシャは心身ともに特殊な看護が必要で、それを担えるのは界域に関わった科学者しかいないことから、サーシャの精神の健康についてCIAに道義的責任があるとわからせた上で、人体実験の被験者ではなく、プロジェクトの貴重な人材として相応しい扱いを受けることを条件に彼らに返すのが一番だと話します。そして、ラングドンが最も気になる「誰が見張り番を見張るのか」という疑問に対して、ネーゲルは、自分の魂の救済になるとの誓いの下、自分がその役目を果たすと告げ、サーシャ本人の説得を彼女が信頼していると思われるラングドンに委ねるのでした。
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ラングドンは、かかわった全ての者が過去は過去として、未来のためにお互いを許し合うことができれば難しいことではないと言って、サーシャに会います。説明する前に自分が話しているのがサーシャなのかを尋ねると、ゴーレムは首を振ってサーシャの安全のためにまだ彼女を解放していないと答えます。
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30分後、ラングドンは、疲れた笑みを浮かべながら説得が成功したことを知らせます。
52 サーシャの再出発
サーシャは、カーブル軍曹が同行して、ヴァーツラフ・ハヴェル空港のプライベートジェット用のターミナルから、フィンチが乗ってきた小型ジェットでヴァージニア州ラングレー空軍基地まで行くことになります。空港までの道中、意識の表面に戻ってきたサーシャは、夢だったアメリカに行けると知り、内なる声がささやくように未来を見据えることにします。ネーゲルは、すぐにでもアメリカに会いに行くと約束し、泣きだすサーシャを母のように抱きしめるのでした。

西へ飛行するジェット機の中、サーシャがぐっすり眠っていることを確認したカーブルが手錠を外して一方の足首を座席に固定するだけにすると、ゴーレムは、陰から現れ、アメリカへ行けばサーシャは再出発でき、ようやく自分の献身と愛が報われると確信し、これから少しずつサーシャの人生から身を引いてやがて頭の中の穏やかなささやき声と化すと考え、深い眠りに身を委ねるのでした。
53 プラハ城
アルキミスト・ホテル
ラングドンとキャサリンは、ネーゲルとの最後の話し合いを終え、16世紀のバロック様式の邸宅を改修したという〈アルキミスト・ホテル〉に向かいます。

大使の勧めに従い、このホテルの名高いプロセッコ飲み放題付きの朝食を楽しむためです。ホテルのウェブサイトには、本作で取り上げられたことが明記されています。朝食会場は、作中にあるとおり、深紅の布張りの椅子、煌めくムラーノガラスのシャンデリア、コリント式の金柱といった豪華な装飾が施されています。

キャサリンは、死は終わりではなく、死を超えたところに何かが本当に存在する証拠を科学は次々に発見している、そのメッセージこそを山の頂から叫ぶべきだ、あらゆる秘密の中の秘密、それが人類の未来にどんな影響を与えるかを想像してみてと言います。ラングドンは何としてもあの本を出版すべきだと話します。国家機密に関わる段落を削除し、特許を出願しなければ、将来キャサリンがその本を出版することは邪魔しないとCIA長官が約束したとはいえ、ネーゲルから原稿データが完全に破棄されたと知らされたキャサリンは、現実に引き戻されて眉をひそめます。
プラハ城へ
ホテルを出たラングドンとキャサリンは、プラハ城を目指して、左後ろに進む石敷きのトゥルジシュチェ通りを上っていきます。ところが、10歩ほどしか進まないうちに、ラングドンは、片付けなければならないことが残っていると言って、プラハ城の七つの錠がある扉の前を待ち合わせ場所に指定して、タクシー乗り場に向かうのでした。

キャサリンは、ひとりトゥルジシュチェ通りを進んだのですが、Googleマップの経路検索ではわからない面白い場所を通ることになるのです。それは写真のモンタネッリ美術館の中を通る通路で、ここからイタリア大使館前のネルドヴァ通りに抜けられるんです。

イタリア大使館となっているコロヴラート宮殿(後にトゥーン=ホーエンシュタイン宮殿)は、1721~26年にジョヴァンニ・サンティーニ=アイチェルの設計で建設されたバロック様式の建物で、カレル橋の聖人像(第4節)も手掛けたマティアス・ブラウンによる巨大な2羽の鷲の彫像のある正面入口が特徴的です。門扉上の彫像は、古代ローマ神話の神ジュピターとその妻である女神ジュノを表しているようです。

美術館前から、かつて国王が戴冠式に向かう際に通ったとされる王の道の一部、ネルドヴァ通りとケ・フラドゥ通りの坂を上っていきます。歩いて10分弱です。

ケ・フラドゥ通りの折り返し点には、フラチャニ市庁舎への階段の左前に、カレル橋で見かけた、ネポムクの聖ヨハネの像が立っています。以前は右側に聖ヨセフの像もあったようですが、今は台座だけになっています。

ここから先は2013年の旅行時の写真も使って旅を進めます。
フラチャニ広場
坂を上り終えて、すぐ左側のサルモフスキー宮殿(国立美術館)の横には、2000年に生誕150周年を記念して除幕された、チェコスロバキア共和国初代大統領トマーシュ・ガリグ・マサリクの記念碑があります。

プラハ城の正門前の広場が、2009年4月5日にオバマ大統領が核廃絶を宣言するプラハ演説を行ったことで有名な、フラチャニ広場です。

広場の北側にあるのが、映画『アマデウス』のロケで使われた、バロック様式の白亜の大司教宮殿です。

広場の南側には、初期のルネッサンス様式の建物で、美しいズグラッフィット装飾を使用したファサードが特徴のシュヴァルツェンベルク宮殿が建っています。

プラハ城に向かいましょう。
新王宮
プラハ城は、870年にフラチャニの丘の上にボヘミア公ボジヴォイ1世(プシェミスル家)によって創建され、14世紀のカレル4世(ルクセンブルク家)時代にほぼ現在の形に整備されました。1541年の大火で大きな被害を受けましたが、1583年にルドルフ2世(ハプスブルク家)が再び神聖ローマ帝国の首都をプラハに戻し、北翼を建設するなど城の全盛期を迎えます。写真はペトシーン・タワーから見た画像です。

営業時間やチケットについては、こちらを参照してください。

プラハ城の正門は、ギガントの門と呼ばれます。ギガントとはギリシャ神話の巨人で、門柱の上に、作中に小さな男を突いたり刺したり殴ったりしている筋肉隆々の男たちと描写される、イグナーツ・プラツェルによる「戦う巨人」の像が立ち、アーチの中央には、ハプスブルク家の金色の王冠が輝いています。門の外には衛兵が2人立っており、1時間おきに交代式があります。門を抜けたところが第1中庭です。

第1中庭の奥で待ち受けているのが、ルドルフ2世が建設を命じ、弟マティアスが碑文を付けて完成したマティアス門です。左右に小さな入口と窓を有し、上部左右にオベリスクがある凱旋門のような門です。元々は独立した門でしたが、マリア・テレジアがプラハ城を再建したとき、新王宮の建物に組み込まれました。

門の上の金の碑文には、ハンガリー王、チェコ王マティアスが神聖ローマ皇帝に選出されたことを記念して1614年に建てさせたことが記されているようです。

マティアス門を抜けたところが第2中庭で、右側の建物(新王宮)が大統領府とされているところです。

屋上に立っているカラフルな旗は、チェコの国章をデザインした大統領旗で、この旗が揚がっているときは大統領が国内にいることを表しています。

突き出ているのがマリア・テレジアが建造した王家専用の礼拝堂である聖十字架礼拝堂です。

第2中庭の中央にあるのが、1686年に彫刻家イェロニーム・コールが制作したバロック様式のコール噴水(レオポルド噴水とも呼ばれます)です。2020年に頂上にチェコ王国の紋章をあしらった双頭の鷲の像が復活しました。


聖ヴィート大聖堂
トンネルをくぐると、キャサリンが視線を上に奪われたという、82mの2つの塔を持つ聖ヴィート大聖堂の大きなファサードが立ちはだかります。このファサードは1873年に追加されたものです。

聖ヴィート大聖堂は、正式名称を「聖ヴィート・聖ヴァーツラフ・聖ヴォイテフ大聖堂」といい、929年頃にヴァーツラフ1世によって創建された円形聖堂が起源で、1060年にスピチフニェフ2世の下でロマネスク様式の教会に建て替えられました。現在のゴシック様式の教会は、1344年にまだ王子であったカレル4世がプラハを大司教座に高めたことに伴い、アヴィニョンから招かれた建築家アラスのマティアスが改築に着手し、彼の死後はカレル橋を手掛けたペトル・パルレーシュが引き継ぎました。その後、フス戦争により建設は400年以上中断し、完成したのは1929年の聖ヴァーツラフ殉教千年記念の日でした(詳細はこちらを参照)。写真中央に見える高さ16mのオベリスクは、第一次世界大戦の慰霊碑として1928年に建てられたものです。

ラングドンのお気に入りという南側の鐘楼(南塔)は、高さが96.65mあり、高さ56mの展望台まで287段の階段で上ることができます。塔には縦に2つの時計があり、上の黒い時計が時間を下の透けている時計が分を示しており、時計の更に下のアーチの部分にある「R」は、1541年の火災で焼失した塔を再建したルドルフ2世を表しています。

鐘楼には、2段に分けて計7つの鐘が設置されており、一番大きく、表面に見事な装飾が施されたズィクムントと名付けられた鐘は、1549年にトマーシュ・ヤロシュによって作られた、底面直径256cm、高さ203cm、推定重量13.5~16.5tのチェコ最大の鐘で、この鐘を鳴らすには計6人の鐘撞き手が必要です。他の鐘は定期的に鳴らされますが、ズィクムントはクリスマスと復活祭など特別の日に限定して鳴らされる(2分59秒)ようです。

南塔の右側は、1370〜72年に制作された黄金の門と呼ばれる入口で、上部には《最後の審判》を描いた金色のモザイク画を見ることができます。

アラスのマティアスによって最初に建設された、フライング・バットレス(飛び梁)に支えられた東側のクワイヤです。

中に入ってみましょう。この中央扉に向かって左側が入口、右側が出口です。中央扉上のティンパヌムには、キリストの磔刑とキリストの衣服を賭けたサイコロ賭博の様子を描いた彫刻が刻まれ、扉には大聖堂の歴史をモチーフにした10の場面を描いたレリーフが見られます。

大聖堂の内部は、長さ124m、幅60m、高さ33.24mで、トリフォリムによって垂直に分割されて、天井はネット・ヴォールトと呼ばれ、網状にリブが張り巡らされています。

交差部の柱には、チェコの8人の守護聖人、聖ヴィート、聖ポネムツキー、聖ジクムント、聖ヴォイチェフ、聖ルドミラ、聖ヴァーツラフ、聖プロコプ、聖ノルベルトの金メッキされた木像があります。

ラングドンが到着するまで、キャサリンは会衆席で座って待ちましたが、少し見て回りましょう。こちらは西側ファサードの入口真上にある直径10.4mのバラ窓で、約2万7000個のガラスが使用されています。

左側3番目の礼拝堂には、1931年に取り付けられた、有名なミュシャのガラス絵《聖キリルと聖メトディウス》があります。9世紀に聖書のスラヴ語訳を完成させ、モラヴィア地方にキリスト教を布教した、聖キリルと聖メトディウスの物語が36枚のパネルに展開されています。

右上の王冠のような帽子をかぶった人物がメトディウスで、左上の修道服姿の人物がキリル。右下には、チェコの守護聖人である聖ヴァーツラフの少年時代の姿(ミュシャの息子がモデルらしいです)が描かれており、横で手を広げているのは祖母の聖ルドミラです。

そのほかのステンドグラスも素晴らしく、こちらは南側ファサードの《最後の審判》のステンドグラスです。
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《天地創造》の場面を表した後陣のステンドグラスです。
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内陣横には、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世のプラハ逃亡を描いた木製レリーフがあり、中央に描かれているのはカレル橋です。

後陣にある、洗礼者聖ヨハネの礼拝堂で、16世紀にペルンシュタイン家がこの礼拝堂を墓所として使用したことから、ペルンシュタイン礼拝堂とも呼ばれます。

聖三位一体と聖母マリア礼拝堂(皇帝礼拝堂とも呼ばれます)です。

聖ヴィートの墓(像は彫刻家エマニュエル・マックスによって制作されたもの)です。ローマ帝国時代、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒大迫害で殉教した南イタリアの聖人で、ヴァーツラフ1世が東フランク王ハインリヒ1世から聖遺物「聖ヴィートの腕」を贈られ、最初の聖堂に納めたのが起源とされます。

ネポムクの聖ヨハネの墓です。聖ヨハネの死については第4節で紹介しましたが、1729年に列聖され、1736年にヨーゼフ・エマニュエル・フィッシャー・フォン・エルラッハが設計し、2tの銀で造られた3代目の墓です。

交差部の壁面に付けられたチェコスロバキアの大紋章です。中段にある二尾の獅子は「ボヘミア」、赤と銀の格子柄の鷲は「モラヴィア」、神具を持つ黒鷲は「シレジア」を表し、“PRAVDA VITEZI”は「真実は勝つ」という国の標語です。

ここが七つの錠の扉のある聖ヴァーツラフ礼拝堂です。1344〜64年にペトル・パルレーシュが建設しました。ボヘミアのキリスト教化を推進したヴァーツラフ1世が(作中にあるとおり、生前は王子で公爵に過ぎませんでしたが、死後に神聖ローマ皇帝から王位を授与されました)、反対派に立てられた弟ボレスラフとその家臣によって935年に暗殺され、チェコ第一の守護聖人聖ヴァーツラフとして葬られています。壁の上半分には、彼の生涯の31の場面が描かれ、ゴシック様式の聖ヴァーツラフ像が付けられています。

そして、南壁の右側に見えるのが、1867年製の七つの錠の扉です。黄金の門の上の階にある、チェコの王冠が保管されている王冠の間への螺旋階段に通じているそうです。キャサリンは近づいて扉を開けようとしましたが、2013年に訪れたときは礼拝堂に立ち入ることはできませんでした。

作中にあるとおり、立派な灰色の金属板で、斜交いに張り巡らされた補強材が鋲で留められてできたひし形の模様にチェコの国章に由来する片脚立ちのライオンと鷲が飾られており、七つの鍵は、大統領、首相、プラハ大司教、下院議長、上院議長、聖堂参事会会長(首席司祭)、市長が保管しています(下巻406・7頁)。
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神聖ローマ皇帝フェルディナント1世夫妻と息子のマクシミリアン2世が眠る白い王墓の向こうに見えるのが、キャサリンが見上げた、金の尖塔がそびえ立つ主祭壇です。

こちらがキャサリンが入り組んだ彫刻の演壇に見とれ、遅れてやってきたラングドンが上ったという、頂に金ぴかの智天使たちが並ぶ六角形の説教壇です。1618年に彫刻家カスパー・ベヒテラーが制作したバロック様式のものです。

ラングドンは、周りに人気がないのを確認すると、説教壇に駆け上がり、キャサリンの魂を慰めてくれるはずだと言って読み上げたのは、聖書ではなく、クレメンティヌムの図書館で焼かれたはずの彼女の原稿でした。実は、ラングドンは、42頁分の参考文献の一覧だけを、近くにあった古い台帳の空白の子牛皮紙と一緒に燃やし、残りの原稿は図書館のバルコニーの書棚にあった古文書の裏に隠しておいたのです。仮にキャサリンが尋問されても知らなければ嘘をつかなくてもよいようにずっと黙っていたのです。キャサリンは、ラングドンに抱きつき、愛を告白するのでした。
旧王宮
キャサリンの講演が開かれたヴラジスラフ・ホールは、プラハ城の旧王宮にあります。ヴラジスラフ2世の治世下、1490〜1502年にベネディクト・レイトによって建てられた、幅16m、奥行き62m、高さ13mのリブヴォールト天井の後期ゴシック様式のホールです。

ホールの南側に突き出た部分(ルートヴィヒ翼)には、三十年戦争の発端となった1618年プラハ投擲放出事件が起こった窓があります。

本作では出てきませんが、第3中庭から東へプラハ城をもう少し巡ってみましょう。
聖イジー教会
大聖堂の東側に出たところが聖イジー広場で、写真の建物は広場北側にある新司祭館です。

赤煉瓦が鮮やかなバロック様式のファサードは、920年頃にブラティスラフ1世により建設された聖イジー教会です。プラハ城で2番目に古い教会で、内部はロマネスク様式の特徴を保つ、城内に現存する中では最古の教会です。背後にそびえる尖塔は、右側がアダム、左側がイブと呼ばれています。

尖塔の高さは、約40mあるそうです。

黄金の小路
左の建物の手前を左に曲がり、黄金の小路に向かいます。右側の建物はロジュンベルク宮殿とロブコヴィツ宮殿で、イルシュカー通り突き当たりに見えるのは12世紀に城の東門として建てられた黒塔です。

黄金の小道は、1597年ルドルフ2世が城の番兵の宿泊所を城壁の回廊下に造ったのが始まりで、錬金術師を住まわせたことから(大火で家を失った金細工師が住んでいたからという説もあります)この名前がつきました。現在は、雑貨や本、お土産品などを売るお店が並んでいます。この22番地の青い壁の建物は、フランツ・カフカが1916年11月から翌年5月まで仕事場として使ったところです。

オピシ展望台
城の東門を出てしばらく歩くと、プラハの街並みを一望できる、オピシ展望台があります。第24節で紹介した正午を知らせる大砲がかつて置かれていた場所であり、この展望台からは、この旅の舞台となった、ペトシーンの丘、ヴァルトシュタイン宮殿と庭園(鍾乳石の壁)、ヴルタヴァ川沿いのルドルフィヌム、マーネス橋、フォーシーズンズ・ホテル、カレル橋、国民劇場、レギー橋を見ることができます。

望遠レンズでカレル橋を眺めると、観光客で溢れていることがわかります。

プラハ城観光はここまでです。
エピローグ
ラングドンが目を覚ましたのは、ニューヨーク・マンハッタンのコロンバス・サークルにある〈マンダリン・オリエンタル・ホテル〉の52階でした。目覚ましの曲は、ラヴェルの《ボレロ》に変わっていました。

ラングドンは、本の題名をまだ決めていないというキャサリンに、この本は全人類が頭を悩ませてきた謎、死ぬとき何が起こるのかという疑問、すなわち秘密の中の秘密を中核にしていることから、プラハでキャサリンが話した言葉『秘密の中の秘密』(第53節)こそ相応しいと言い、ベストセラー間違いないと直感します。
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ラングドンとキャサリンは、午後にランダムハウス・タワーでフォークマンに会うまでの時間を使って、ニューヨーク観光に出かけます。サークルライン観光クルーズを楽しんだようです。人気のボートツアーとしていくつかコースがあるようですが、一番人気はマンハッタンを一周し、写真のブルックリン橋を含む七つの橋の下を通過する1時間半のコースです。

ふたりは海面から100mほどもの高さがある巨大な像が誇らしげに立つ姿に感動します。ニューヨーク港にある《自由の女神像》です。アメリカ合衆国の独立100周年を記念して1886年に建てられた総重量225t、地上からトーチまで93mある像で、1984年に世界遺産に登録されています。

ラングドンがキャサリンを連れてきたのは、この放射状冠を見せるためでした。長さ約3mの七つの突起は、七つの大陸と七つの海に自由の光が広がることを象徴していると言われていますが、キャサリンは、光線は流入しているのであり、七つの大陸から流れ込む文化、言語、観念を表し、それらすべてアメリカの精神という坩堝に流れ込んでいると考えているのです。

キャサリンは、ラングドンを見上げて、永遠にここに立っていられたらいいのにと言い、ラングドンは、賛成しつつ、君には世界に届けるべき本があると言うのでした。キャサリンが原稿を取り戻したことを知らないフォークマンは、ふたりから原稿を受け取ってきっと喜びに驚嘆することでしょう。
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第10シーズンのいながら旅は、以上で完結です。次の旅では、再びダニエル・シルヴァの作品を取り上げますので、楽しみにしてお待ちください。