ダン・ブラウンの小説『シークレット・オブ・シークレッツ』de いながら旅(1)

10 シークレット・オブ・シークレッツ
10 シークレット・オブ・シークレッツ● ダン・ブラウン

 小説をガイドブック代わりに、登場人物たちの足跡を辿りつつ、時には寄り道もして、写真観光資料、地図データなどを基に、舞台となっている世界各地を紹介しながらバーチャルに巡礼する、【小説 de いながら旅】の第10シーズン。今回は、再びダン・ブラウンの作品を取り上げます。

 いながら旅をしていて楽しいのが小説に記されている登場人物の行動等を手掛かりとして舞台となっている場所等を探し当て、Googleマップで辿ってみたり、その場面にベストマッチする画像を見つけて紹介したりすることです。一方、一番苦労するのもベストマッチする画像を見つけることで、物語の舞台が創作された場所である場合や施設の中など公開されていない場合など適当な画像が見つからないときは文章だけとするか、関連する絵画の画像を差し込んだり、イメージに近い他の場所等の画像を加工するなどしてきましたが、今回は最近流行りのAIに支援してもらって、場面のイメージに沿った画像を作成してもらうことも試してみました。

 これまでのいながら旅を引用する場合は、シーズン番号に応じて、第〇旅(例えば、第1シーズンの場合は第1旅)と表記します。

この旅のガイドブック

 今回の旅のガイドブックは、2025年に刊行されたダン・ブラウンの最新作『シークレット・オブ・シークレッツ』です。同作は、ハーバード大学の宗教象徴学専攻の教授ロバート・ラングドンを主人公とするシリーズの6作目(原題も同じ『The Secret of Secrets』)。ラングドンは、最近恋仲になった純粋知性科学者キャサリン・ソロモンの講演を聴くため、プラハを訪れていました。キャサリンは、「人間の意識」の謎を探求した著書を発表する予定でしたが、講演の翌朝、忽然と姿を消し、出版社のサーバーに保管されていた原稿データも何者かによって消去されてしまいます。ラングドンは、キャサリンが見た悪夢に出てきたとおりの女に出くわしてパニックに陥ったり、残虐な殺人事件に巻き込まれたり、チェコの対外情報局から追われたりする中、懸命にキャサリンの行方を捜し、未来の科学や謎めいた伝承と苦闘しながら、人間の意識についての常識を根底から覆す「秘密のプロジェクト」の真相を明らかにしていきます。物語は、プラハとニューヨークで同時進行します。

 第5旅で旅したフィレンツェでも、ダン・ブラウンの『インフェルノ』のヒット後に関連ツアーが企画されましたが、プラハでも、本作の発表後に物語に登場する名所を巡るツアーが企画されています。プラハには、2013年に旅行で訪れましたが、機会があればもう一度訪れてリアル巡礼してみたいですね。

 本作でも、地名や場所名のスペルを確認したりするため、原書もKindle版(英語版)で参照しました。

 なお、引用する頁数は単行本のそれによっており、見出し(部・節)は投稿に際して私が付けたものであり、小説のそれとは一致していないので、ご留意ください。


プロローグ

 物語は、チェコの神経科学者で医師のプリギダ・ゲスネル博士の死で始まります。ゲスネルは、意識が肉体から分離する体外離脱体験(アウト・オブ・ボディ・エクスペリエンス)により、古い街に建ち並ぶ尖塔の上に漂っているという感覚に襲われ、自分は死んだと考えます。浮かんでいるのは「百塔の都」と称されるプラハの街で、眼下には聖ヴィート大聖堂のライトアップされた塔が輝いています。

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 しかし、ヴァルトシュタイン宮殿(原書にはヴァレンシュタインと表記)の庭園の上を漂い、精神は浮遊しているが、自分は生きていると感じます。ヴァルトシュタイン宮殿は、三十年戦争の軍司令官アルブレヒト・フォン・ヴァルトシュタインによって1623~30年に建設されたプラハ初のバロック宮殿で、現在はチェコ共和国の上院が置かれており、幾何学模様の植え込みと石の彫刻がシンメトリーに配置されたフランス式の庭園は、入場無料で、映画『アマデウス』や『ベートーヴェン/不滅の恋』のロケ地としても使われました。

(イメージ画像をAIで作成)

 街を蛇行して流れるヴルタヴァ川を見つめながら、これは幻覚だと確信します。スメタナの連作交響詩『わが祖国』の第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ)』が有名ですね。

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 そして、自ら造った機械の中で仰向けに縛りつけられていることに気付きますが、厚い粘土の仮面を被った怪物に全てを話すようにと拷問を受けます。ゲスネルは自分と仲間たちがプラハの街の地下深くに造ったものを明かしますが、仮面の人物は、「ひとり残らず、死に値する」と言って、機械を再び稼働させて去っていきます。


第1部 キャサリン・ソロモンの原稿

1 フォーシーズンズ・ホテル・プラハ

 グリーグの《朝》の旋律が流れる中、ロバート・ラングドンが目を覚ましたのは、ヴルタヴァ川の畔、カレル橋の近くにある、5つ星ホテルの〈フォーシーズンズ・ホテル・プラハ〉のフラシ天の手編みのカーペットが敷かれたロイヤルスイートの寝室でした。隣にいたのは、ラングドンがプリンストン大学の学生だった当時の助教授で、プロトニックな関係から最近急接近した気鋭の純粋知性科学者キャサリン・ソロモン博士でした。ラングドン・シリーズ3作目の『ロスト・シンボル』にヒロインとして登場していた、ラングドンの恩師の妹です。

フォーシーズンズ・ホテル・プラハのウエブサイトから引用)

 こちらがブランドピアノがあるというリビングルームです。ラングドンは、ベッドにキャサリンを残して、日課にしている朝のスイミングに出かけます。

フォーシーズンズ・ホテル・プラハのウエブサイトから引用)

 古い館を4軒買い取ってバロック、ルネサンス、ネオクラシックの様式の建物をつなぎ合わせた構成になっており、ラングドンとキャサリンが宿泊しているロイヤルスイートがあるのは、ヴルタヴァ川に面した別館(ヴィラ)です。

フォーシーズンズ・ホテル・プラハのウエブサイトから引用)

 昨夜、キャサリンの講演後に、ラングドンがキャサリンと共にゲスネルと出会い、ベーコン味のカクテルを飲んだのは、ホテルのレストラン・バー〈コットクルード〉でした。

Googleマップ

 ラングドンは、別館から本館のロビーへと歩きながら、昨夜のキャサリンの講演を思い出します。玄関前では、警官が犬を連れて何かを捜索していました。

Googleマップ

 ストラホフのスイミング・プールまでの約3kmをジョギングして向かいます。


2 旧市街広場

 粘土の仮面を被り、伝説の怪物ゴーレムを自認する人物は、雪道のカブロヴァ通りを足を引きずりながら歩いていました。ヴルタヴァ川のマーネス橋と旧市街広場を結ぶ通りで、正面に見えている塔は、聖ミクラーシュ教会です。

Googleマップ

 聖ミクラーシュ教会は、1732~37年に建築家キリアン・イグナツ・ディエンツェンホファーによって建設されたバロック様式のファサードと二つの塔を持つ教会で、現在はフス派教会が使用し、クラシック音楽のコンサートなども開かれています。写真は2013年の旅行時のもので、このときは白亜の外壁でした(現在はこちらの写真のとおりベージュの外装になっています)。

 プラハで俗にスタロマク(Staromák)と呼ばれている旧市街広場は、旧市街の中心にあり、かつては市場として栄え、時代を隔てた様々な様式の美しい建物に囲まれた広さ約9000㎡の広場です。

 広場中央にあるのは、1415年に処刑されたプロテスタントの先駆的宗教家ヤン・フスの記念碑です。処刑から500年目に当たる1915年にラディスラフ・シャルーンによって造られました。

 ラングドンがキャサリンと過ごした初日にアーチ形の入口で雨宿りしたという、広場の北東にあるゴルツ・キンスキー宮殿です。後期バロック様式で建てられ、ロココ調と新古典主義の装飾が施されたピンクの建物です。

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 ゴルツ・キンスキー宮殿の右隣にある石の鐘の家です。ティンスカ通りの角に、名前の由来となっている石造りの鐘が付けられています。14世紀に建てられたプラハでも貴重な中世の建物で、所有者が変わるたびに改修が重ねられ、1988年の復元工事により元のゴシック様式のファサードが復元されました。

 広場の南東にある、高さ約80mの双塔が目を引くティーン教会は、正式名称を「ティーンの前の聖母マリア教会」といい、「ティーン」とは税関のことでかつてここに税関があったことに由来します。14世紀半ばから現在のゴシック様式の教会に建て替えられ、16世紀に完成しました。15世紀にはフス派の教会となりましたが、1620年の白山の戦いに敗北後、カトリック教会に変えられたため、怒ったフス派の信者が広場の前を建物で塞いでしまったとされています。

 ティーン教会の前に2020年に再建された、高さ16mの聖母マリアの柱です。元のマリア柱は、三十年戦争でスウェーデン軍に勝利したことに感謝して1650年に建てられましたが、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊に伴い、1918年に取り壊されました。

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 広場南西の石畳には、1621年6月21日に処刑されたチェコ・エステート蜂起の指導者の処刑場跡を示す27個の白い十字架が見られます。

 広場の南西角に建っているのが、1338年にルクセンブルク家のボヘミア王ヨハンの認可を得て建設された旧市庁舎で、1364年に完成した高さ69.5mのゴシック様式の時計塔がひときわ目を引きます。41mの高さに設置された展望台には、エレベーターと階段で昇ることができ、プラハ城や旧市街の景観を一望することができます。上の聖ミクラーシュ教会や旧市街広場の写真は、展望台から撮影したものです。

 旧市庁舎(時計塔)の南側に取り付けられた天文時計は、1410年に時計技師ミクラーシュと天文学者ヤン・シンデルによって造られた世界で3番目に古い天文時計で、現在動いている最古の時計です。1865〜6年の大改造によって十二使徒の人形が付け加えられ、現在の形となりました。

 ラングドンがキャサリンと初めて唇を重ねた場所です。ゴーレムは素通りしますが、じっくり見てみましょう。

 この旅のガイドブックのブックカバーにもなっている、中央の天文時計は、天動説に基づき、地球を中心とした天体の動きを示します。中央の青い円が地球で、2本の針の上を動く金色が太陽で銀色と黒の球体が月。太陽が上の青い位置にあると昼、オレンジ色の左側が夜明け、右側が夕暮れ、下の黒い位置にあると夜を示し、月の球体が回転し、銀色の部分で月の満ち欠けを示しています。文字盤が3つあり、一番外側のドイツ文字は日没から始まる24時間の古チェコ時間、その内側のローマ数字は現在のプラハ時間、青い部分に書かれたアラビア数字は日の出から日没までの時間の1/12に対応するバビロニア時間で、日の長さに応じて変化します。内側を時計回りで動く星座記号が記された環は、十二宮環といい、太陽の黄道上の位置を示します。

 下側の暦表盤は、チェコの国民的画家ヨゼフ・マーネスが1865年に制作したもので(こちらは複製で、オリジナルは博物館に保管)、中心にプラハの市章、その周りに十二宮、その周りに12の月の寓話、外側の輪には、4つの区分に分けて内側から、暦日、曜日、365人の聖人の名前、ツィスィオヤヌスという16世紀の詩形式の暦が記されています。左右4体の人形は、大天使ミカエル、哲学者、天文学者、修辞学者を表しています。

 正時になると、天文時計右側の「死神」を表す骸骨が砂時計を横に倒して鐘を鳴らし、「悦楽」を表すリュートを持つタークが首を振ります。

 左側の「虚栄心」を表す鏡を持つバニティも首を振り、「貪欲」を表す小銭袋を持ったグリードが「金は一銭もやらん」と首とステッキを振ります。

 続いて、上部にある後期ゴシック様式の天使の両側の窓が開き、十二使徒がヤコブとピエトロ、アンドリューとマタイ、サデウスとフィリップ、トマスとパウロ、ヨハネとシモン、バルナバとバーソロミューの順に、現れます。

 最後に、窓が閉まるのと同時に、その上の黄金の鶏がひと鳴きし、そのあとに時刻を告げる鐘が鳴ります。

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 ゴーレムは、広場を離れ、自分のアパートメントに向かう曲がりくねった細い路地に入ります。作中(上巻27頁)に東南へ向かってとあることからジェレズナー通りを進んだものと思われます。ゴーレムの住まいについては、物語の終盤に改めて探索します。

Googleマップ

 その頃、ロンドンでは、エヴェレット・フィンチというアメリカ人がゲスネルと連絡が取れずに苛立ち、プラハで取り返しのつかない間違いが起こっているのではないかと強い不安に襲われます。


3 カレル橋

 クシジョブニツカー通りを南へ走り、プラトネーシュスカー通りを渡った左手には、ラングドンのお気に入りで昨日もキャサリンと最新の展示品を観に訪れたというクレメンティヌムのバロック様式の巨大なファサードがそびえています。国立図書館の建物で、物語の中盤に登場します。

Googleマップ

 カレル橋に向かって右に曲がる角には、緑とピンクのドームを載せた高さ約40mのアッシジの聖フランチェスコ教会が建っています。フランス人建築家のジャン=バティスト・マタイが設計し、ガウデンツィオ・カサノヴァとドメニコ・カネヴァッロによって1679〜85年に建設されたバロック様式の教会です。写真は、2013年の旅行時にカレル橋の旧市街橋塔から撮影したもので、正面に見えているのは聖サルヴァトール教会です。

 ラングドンは目を留めませんでしたが、カレル橋の手前のクロイツェレン広場には、カレル4世の記念碑が立っています。カレル大学500周年を記念して1848年に彫刻家エルンスト・ジュリアス・ヘーネルの設計により制作されたものです。

 1346年に教皇クレメンス6世によって、ルートヴィヒ4世の対立王として、ルクセンブルク家二人目の神聖ローマ皇帝に擁立されたカレル4世は、金印勅書の発布や教皇のローマ帰還への尽力などで知られ、カレル橋の建設やカレル大学の設置をはじめ、プラハを帝都として整備し、「祖国の父」と崇敬されています。

Googleマップ

 こちらが橋塔の展望台から撮影した、プラハ城をバックにしたカレル橋です。カレル4世の命によりペトル・パルレーシュが設計し、1357年に建設が始まり、1402年に完成したヴルタヴァ川に架かる最古のです。かつてはヴルタヴァ川の東西を結ぶ唯一の橋として東欧と西欧の重要な交易路の役割を担い、歴代王の戴冠式の行進も行われたことから「王の道」とも呼ばれました。橋の長さは515.7m、幅は9.5mあり、両サイドの欄干に15体ずつ合わせて30体の聖人像が並んでいます。

 プラハ随一の観光名所であり、絵葉書やガイドブックの表紙にも使われるプラハの代表的な景色です。

 次の画像は、プラハ市観光局のウェブサイトに掲載されている、ガス灯の琥珀色の光で照らされ、汚れひとつない雪の帯には一つの足跡もなく、ラングドンがカレル橋をひとり占めだ思ったという作中の描写に沿ったイメージ画像です。

プラハ市観光局から引用)

 上巻31頁に世界最大の複合建築物で、本格的な庭園が6つ、独立した宮殿が4つ、キリスト教の教会が4つあると紹介されているプラハ城。東西約430〜570m、南北約70〜140mで、広さは70,000㎡と言われています。

 ラングドンがプラハ城での出来事を思い出しながらくぐったという、カレル橋の西側マラー・ストラナ(レッサータウン)橋塔です。低い方(約30m)のユディト塔は、ロマネスク様式で、元々はマラー・ストラナ地区の要塞として建設され、カレル橋の前身のユディト橋の一部でした。高い方(約45m)の塔は、旧市街橋塔をモデルに(上巻40頁には14世紀とありますが)1464年からゴシック様式で建設されたものです。

 その頃、街の反対側では、ゴーレムが自分のアパートメントに着いていました。


4 ストラホフ __ カレル橋

 ラングドンが到着したストラホフ・スイミング・センター(Plavecký Bazén Strahov)は、25mプールのほか小さなスライダーを含む子供用プールがあり、トランポリン、卓球台、バレーボールコートなどもある複合施設です。

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 巨大な鏡のように見える水面を見渡し、古代ギリシャ人が未来を見るために水盤をのぞきこんで鏡占いしていたことを連想したラングドンは、キャサリンとの未来を考えます。そして、泳ぎながら頭の中を巡ったのも、昨夜のキャサリンの講演のことでした。

Googleマップ

 30分程水中瞑想したラングドンは、スイミング・センターを出て、ホテルに歩いて戻ります。途中、「小地区」と訳される、プラハ城の丘の麓に開けた城下町マラー・ストラナを通りますが、マルタ広場に面する写真左の在チェコ日本大使館(トゥルブ宮殿)の前を通ったかもしれません。向こうに見えているのは、広場中央に立つ洗礼者聖ヨハネの記念碑です。

Googleマップ

 こちらは、この地区の中心にあるマラー・ストラナ広場で、奥にそびえているのが、ディーツェンホーファー親子によるバロック建築の傑作とされる聖ミクラーシュ教会です。モーツァルトが弾いたというオルガンが残っています。教会の前の歴史のありそうな建物は、〈スターバックス〉になっています。

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 ヴルタヴァ川近くの観光情報センターは、マラー・ストラナ橋塔の袂のモステッカー通り沿いに入口がありますが、ラングドンが6時52分の時刻を確認したというデジタル時計は見当たりません。

Googleマップ

 かつてはハプスブルク家の支配に異を唱えた者の末路を教えるために、杭に刺した生首をさらしたと作中にある、新しい橋塔がそびえるマラー・ストラナ橋塔。ラングドンが「境界」を越えたと感じた二重のアーチをくぐります。

Googleマップ

 カレル橋の欄干に17世紀から19世紀にかけて増設された聖人像を見ていきましょう。ラングドンも、帰りは歩いて渡りましたので、じっくり見たことでしょう。こちらは、北側2番目に設置されている、フェルディナンド・ブロコフによって1714年に制作された聖ヴィート像です。

 南側2番目も、ブロコフが1714年に制作した、マタの聖ヨハネとヴァロアの聖フィリックス・聖イワンの像です。身代金を払ってトルコ人からキリスト教徒を解放した聖人で、下方では犬を連れたトルコ人が牢屋の中にいるキリスト教徒を見張り、牢獄の上で囚人から手枷を外してやっているのが聖フィリックスで、更に上方から聖ヨハネと聖イワンが見守っています。

 北側3番目は、カレル橋の彫像の中で唯一大理石で彫刻された、1714年作の聖フィリップ・ベニティウスの像です。

 北側4番目は、ブロコフが1709年に制作した、プラハのテアティン修道院の創始者の聖カエタノスの像です。

 南側4番目は、30体の彫像の中で最も美しいと言われる、1710年作のマティアス・ブラウンによる聖ル―トガルディスの像です。シトー会の盲目の修道女ル―トガルディスのキリストとの神秘的な結合の幻を表しており、十字架に磔にされたキリストが傷口に接吻しようとする聖女のために身をかがめています。

 南側5番目は、1708年作のトレンティーノの聖ニコラスの像です。イタリア中部マルケ地方の街トレンティーノで生きたアウグスティノ会の修道士で、煉獄の魂の守護者として知られます。

 カレル橋を渡るラングドンは、向こうに見える〈フォーシーズンズ・ホテル〉(写真中央)に目を留めます。

フォーシーズンズ・ホテル・プラハのウエブサイトから引用)

 こちらが作中にも登場するネポムクの聖ヨハネの像です。北側8番目にあり、カレル橋の彫像の中で唯一のブロンズ像で、最も古く1683年にフェルディナンドの父ヤン・ブロコフによって作られました。聖ヨハネは、橋の守護聖人と言われ、第6旅(第33節)や第7旅(第41節)にも登場しましたが、ヨーロッパ各地で見られます。

 作中にある、ネポムクの聖ヨハネが王妃の告解の内容を明かすようにとの国王ヴァーツラフ4世の命令を拒んだために殺されたという伝説は、1961年に公式に否定されており、プラハ大司教と対立していた国王が大司教の企てを聞き出そうとして大司教総代理であった彼を拷問にかけたというのが事実のようです。聖ヨハネは1393年3月20日に落命し、遺体はカレル橋から川に投げ込まれたとされており、台座の右側のレリーフにはその場面が描かれています。逆さに吊るされた聖ヨハネを触ると良いことがあると言われていて、橋を通る人々が触っていくためにピカピカに光っています。

 また、少し東に行った北側の欄干には、投げ込まれた場所を示す十字架レリーフが設置されています。聖ヨハネの図像では、五つ星と棕櫚の枝がシンボルとなっていますが、川に投げ込まれて水中に消えていったときに五つ星が現れて水面に輝き、水面の上の天が開いて神の祝福を示す棕櫚の枝を持った天使が降りてきたという伝説に基づくようです。

 北側10番目は、1857年のヨゼフ・マックス制作の洗礼者ヨハネの像です。プラハ城をバックに撮ってみました。

 南側11番目は、日本でも有名な聖フランシスコ・ザビエルの像です。フェルディナンド・ブロコフが1711年に制作したオリジナルは1890年の洪水で流され、現在立っているのは複製されたものです。

 ザビエルを下で支えているのは、彼が布教したアジアの人々で、そのうち左の像は丁髷を結い刀を差した日本人を表しています。

 北側13番目は、キリストの十字架像です。カレル橋建設当時は公開処刑場としても使われており、処刑される者が最後の祈りを捧げたとされ、現在のブロンズの十字架は1629年に制作されたものです。左右の聖母マリアと聖ヨハネの像は1861年に追加されたものです。

 カレル橋から南側を見通した景色です。左から、国民劇場、スラヴ島、レギー橋が横断するストジェレツキー島などが見えます。

 物思いにふけっていたラングドンは、頭にスパイク状の光輪を身につけ銀の槍を持った黒ずくめの女が向かってくるのに気付きます。

Wikimedia Commons他の画像

 ラングドンが渡った朝の時間帯は上の写真のようだったと思いますが、日中は観光客で溢れています。

 すれ違いざまに女から死の臭いが漂うのを感じ、恐怖が押し寄せて混乱したラングドンは、ホテルに向かってカレル橋を全力で疾走し始めます。


5 混 乱

 ラングドンは、衝動に突き動かされるように112番に緊急通報し、ホテルから避難させるよう叫びながらクシジョブニツカー通りを走ります。

Googleマップ

 正面玄関からホテルに駆け込むや、支配人に全員の命が危ないから退避させるよう叫び、ロビーの火災報知器を発報させます。

Googleマップ

 すぐさま別館の2階へ階段を駆け上がりますが、ロイヤルスイートにキャサリンの姿はなく、教会の鐘が鳴るのを聞き、押しつぶされそうな恐怖に襲われたラングドンは、出窓に走り寄り、ヴルタヴァ川へ飛び込むのでした。

Googleマップ

 ただ、実際は、この写真のとおり、川沿いに通路があって、飛び込むのは無理そうです。

Googleマップ

 恐れていた爆発は起こらず、ラングドンは、濡れた服の重さと水の冷たさで水中に引きずり込まれそうになるパニックを抑えこみながら、必死に手足を動かしてホテルの桟橋へ泳ぎます。

Googleマップ

 桟橋に上がったラングドンは、支配人になぜ警報を鳴らしたのか問われ、ただ混乱したとだけ答えるのでした。

Googleマップ

 ラングドンは、当局の事情聴取を受けるため、ロイヤルスイートに戻されると、ベッド脇のテーブルに、ゲスネル博士のラボまで歩いて会いに行くとのキャサリンの手書きのメモを見つけます。

Googleマップから切り抜き)

 ラングドンがシャワーで温もりながらキャサリンが昨夜見た悪夢と自分が見たものとの一致について考えを巡らしていると、バスルームにUZSI(チェコの対外情報局)のヤナーチェク警部が事情聴取のため入ってきます。

Googleマップ

 こちらが警部が見せた身分証にある「怒りも偏りもなく」という評語が添えられたUZSIの「片脚立ちのライオン」のロゴマークです。

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 遅れてやって来たアメリカ大使館の法務担当官マイケル・ハリスの立会の下、事情聴取を受けたラングドンは、キャサリンが昨夜悪夢を見たこと、その夢の中で頭にスパイク状のかぶりものを載せて銀の槍を持ち死の悪臭を放つ黒ずくめの女が現れ、キャサリンが死ぬと告げると、ホテルが爆発して全員が死亡したこと、カレル橋で夢に出てきたとおりの女を見てパニックに陥ったことを説明しますが、警部はキャサリンの本のための宣伝行為だと主張し、キャサリンからも話を聞くため、ラングドンと共に、キャサリンが向かったゲスネルの研究所があるという十字架砦に向かうことになります。車で10分程です


6 ゴーレム

 「ゴーレム」とは、16世紀のプラハの伝説に登場する怪物で、イェフダ・レーヴという名のユダヤ教のラビが、ユダヤ人街を守るため、夢のお告げに従いヴルタヴァ川の粘土で作った泥人形に魂を吹き込んで創り出したものです。プラハの新市庁舎の南西角には、ラディスラフ・サルーンによるラビ・レーヴの像があります。

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 プラハの伝説では、神の名を記した羊皮紙の護符をゴーレムの口に入れて動かし、停止させるには護符を取り出したとありますが、作中では、ミコラーシュ・アレシュが1899年に描いた《プラハのマハラルとゴーレム》(プラハ国立美術館)の絵のように、額にヘブライ文字の「אמת」(右から左にアレム・メム・タヴ=emet(真実))を刻んで命を与えるとしています。

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 ある時、(伝説では、停止させるべき安息日に護符を取り出すのを忘れ、労働が禁止された日に起動していることでパニックとなったためとありますが)ゴーレムが暴れて制御できなくなったため、ラビ・レーヴが額の「א」の文字を消して「met=死」に変えてゴーレムの命を止めたとしています。写真は、再び起動させる必要が生じたときのため、砕けたゴーレムの残骸を屋根裏部屋に隠したとされる旧新シナゴーグです。

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  1782年の寛容勅令でユダヤ人を解放した神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世に因んでヨゼフォフ地区と呼ばれる旧ユダヤ人地区にあります。

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 ゴーレムは、プラハの伝統と民話を伝えるシンボルであり、旧ユダヤ人地区などでは、フィギュアやTシャツ、キーホルダー、クッキーなどゴーレムをモチーフにした様々な土産物を見つけることができます。

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 プラハでユニークな土産物を見つけたければ、選択肢のーつとなるでしょう。


7 ペンギン・ランダムハウス本社

 世界最大の出版社ペンギン・ランダムハウスのアメリカ本社は、ニューヨーク・マンハッタンのミッドタウン地区のブロードウェイ、ランダムハウス・タワー内にあります。

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 親友であるラングドンを介してキャサリンの新著の編集を引き受けたジョナス・フォークマンは、真夜中の23階のオフィスで、今日の午後にキャサリンから託された原稿に目を通そうしていました。

Googleマップ

 ドアを強くノックして現れたセキュリティ担当のアレックス・コナンから、キャサリンの原稿データが保存されているサーバーがハッキングされたと聞かされます。パソコンを立ち上げて確認すると、バックアップサーバー共々キャサリンの原稿データがパーテーションごと消去されていました。


8 ブラック・エンジェルズ・バー

 ゴーレムは、自らを守護天使として「彼女」を救う計画のため、必要な技術情報を得ようと、ゴーレムの姿ではなく、地味ないでたちでアパートメントから街に出ます。写真は、ゴーレムが通ったメラントリホヴァ通りで、車一台さえ通れないほど狭いとの記述から、コジュナー通り(写真左)からメダリオン形の記念銘板が見えるエゴン・エルヴィン・キッシュ生家の建つ交差点に出て北(写真奥)に向かったと考えられます。

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 ゴーレムが前を通った性交機械博物館は、性的快楽を促進するための装置や道具を展示した珍しい博物館です。どぎつい陳列を見たゴーレムは、「彼女」の姿を心に浮かべ、新たに恋人となった男を排除することを強く決意します。

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 メラントリホヴァ通りを抜けて着いた街の広場というのは、旧市街広場(旧市庁舎南側)のことですが、正面には、フランツ・カフカが1889〜96年に住んでいたという黒地にギリシャ神話や聖書の物語がスグラッフィット装飾で描かれた一分の家黄金の角の家と呼ばれる黄色の外壁の建物が見えたことでしょう。

 ゴーレムが向かったのは、その向かい(南)にある〈ホテル・ウ・プリンツェ〉でした。12世紀に建てられたウ・チェルネーホ・アンジェラという建物を改修し、アンティーク家具で飾られたスタイリッシュなホテルで、屋上テラスでは天文時計を眺めながらチェコ料理やカフェを楽しむことができます。

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 ホテルの入口の前に置かれた翼のある天使の像に導かれて、地下の〈ブラック・エンジェルズ・バー〉へ向かいます。1930年代のアメリカのパブを模して設計され、禁酒法時代のバーの雰囲気を再現したお店となっており、ニューオーリンズで開催されるコンテストで毎年「世界のトップ10ホテルバー」に選出されています。

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 作中にあるとおり、建物改築中に発見されたゴシック様式の地下室で、螺旋階段を降りたホテルの地下2階にあり、「ここでは不可能が可能になる」という標語を冠したウェブサイトでは、アロイス・クルチャの日記発見の動画を見ることができます。

Googleマップ

 ゴーレムは、バーカウンターの先を曲がったところに置かれた、ディスプレイからブラック・エンジェルズのロゴが光を放つ旧式のコンピューターに近づき、ゲスネルとその仲間が「界域」と呼ぶ施設を壊滅させるための技術を検索します。

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 正確な実行方法がわかると、ゴーレムは、検索履歴を消去し、階段を上って、旧市街広場をタクシー乗り場へ向かいます。

 ゲスネルから奪った、界域に入るための無線周波数識別(RFID)カードのほかに必要な品を求めて、ゴーレムがタクシーで向かったのは、ラングドンが向かった十字架砦でした。車で10分程度です


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 今回の投稿では、プラハの旧市街広場やカレル橋など、2013年に巡った名所を懐かしくいながら旅できましたが、物語は冒頭から謎の怪物ゴーレムによるゲスネルの殺害に始まり、ラングドンが混乱に陥り、キャサリンの原稿データが何者かによって消去されてしまうという波乱の展開です。舞台は、ラングドンとゴーレムがそれぞれ向かった十字架砦に移るようですが、ラングドンは無事キャサリンに会えるでしょうか。

 次回は、第1部の続き、第9節からいながら旅を続けます。

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