パスカル・メルシエの小説『リスボンへの夜行列車』de いながら旅(1)

● パルカル・メルシエ
● パルカル・メルシエリスボンへの夜行列車

 小説をガイドブック代わりに、登場人物たちの足跡を辿りつつ、時には寄り道もして、写真や観光資料、地図データなどを基に、舞台となっている世界各地を紹介しながらバーチャルに巡礼する、小説 de いながら旅の第8シーズン。今回は、今年(2025年)3月のポルトガル旅行に際して(旅の様子は、4travei.jpに掲載しました)、リスボン等を舞台とする小説や映画を検索して見つけた、パスカル・メルシエのペンネームで知られる、スイスの作家で哲学者のピーター・ビエリの作品を取り上げます。ポルトガル旅行では、リスボン、シントラ、コインブラ及びポルトで、昨年のヴェネツィアとフィレンツェへの旅に引き続き、これまでのいながら旅を実地に追体験する実践旅とメイキングとなる取材旅として、リアル巡礼を行いました。リスボンで撮った写真の一部は、第7シーズンでも紹介しましたが、本シーズンでも、各地の巡礼結果等を利用し、いながら旅を進めていきます。過去の旅を引用する場合は、シーズン番号に応じて、第〇旅(例えば、第1シーズンの場合は第1旅)と表記します。

この旅のガイドブック

 今回の旅のガイドブックは、2004年にドイツ語で(英語では2008年)刊行後、世界的なベストセラーとなり、2012年7月に早川書房から浅井晶子さんの翻訳で発行された哲学小説リスボンへの夜行列車』(原題は『Nachtzug nach Lissabon』)です。主人公ライムント・グレゴリウスは、スイスのベルンのギムナジウムでギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語を教える、57歳の古典文献学の教師。ある朝、橋から飛び降りようとする謎のポルトガル人女性に遭遇し、その後導かれるように入った古書店でポルトガル語で書かれた一冊の本『言葉の金細工師』に出会います。著者アマデウ・デ・プラドに強く惹かれていき、取り憑かれたようにリスボンへの旅に出ます。プラドの人生を辿りながら、彼と関係のあった人たちにも出会い、グレゴリウス自身の人生も見つめ直していきます。各所に哲学的で難解な場面もあり、これまでの旅のガイドブックのようにはいきませんが、人生の探求といった部分にはあまり深入りせず(一部の物語は割愛して)、グレゴリウスが辿った足跡に着目して、ベルン、リスボン、コインブラ、ポルト、サラマンカほかを巡ってみたいと思います。

 なお、投稿場面や舞台をイメージしやすいように、各節に原作にはない見出しを付けております。

 おって、本書は、既に販売を終了しており、新品を購入することはできませんが、中古品はまだ出回っており、また、kindle版(英語版)もあります。

 本作では、ポルトガルの舞台について、場所を特定するには情報が十分でない場合が多いので、適宜、2013年に名匠ビレ・アウグストがジェレミー・アイアンズを主演に映画化した映画『リスボンに誘われて』(原題は『Night Train to Lisbon』)のロケ地もサイドトリップして参考にしました(画像下には引用元のリンクの代わりに映像の時間を表示しました)。ロケ地の探索においては、私と同じように自宅にいながら旅(映画のロケ地巡り)を楽しんでおられる方のこちらのサイトを参考にさせていただきました。


第1部 出 発

1 奇妙な邂逅

 古典言語における豊富な知識から「ムンドゥス(世界)」と呼ばれる、主人公ライムント・グレゴリウスが、勤めているギムナジウムに向かって、いつもと同じように歩いてきたブンデステラッセというのは、ベルン連邦議会議事堂の南に沿って延びる連邦議会通りのことです。

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 ブンデステラッセを曲がって渡り始めるのが、1881~83年に建造された、キルヒェンフェルト橋で、ベルン旧市街のカジノ広場とキルヒェンフェルト地区のヘルヴェティア広場のを結ぶ、アーレ川に架かる長さ229mの橋です。

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 橋を渡るグレゴリウスが前方のベルン歴史博物館の尖塔を眺めたとき、橋の半ばにいる女に気づきます。

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 映画でも、歴史博物館が映りますが、サラ・シュパーレ・ビュールマン演じる赤色のコートの女が橋の欄干に上って、まさに飛び降りようとしています。

(3分44秒)

 小説では、怒りの表情を浮かべ、持っていた手紙を丸めて放り投げた女が、欄干に腕を伸ばして靴を脱いだことから、グレゴリウスは、女が橋から飛び降りようとしているものと思い、鞄を投げ捨て、中のノートが滑り出るのも構わず、止めようと大声を出して近づきます。映画では、女の体を掴んで止めますが、小説では、女が振り向き、彼の額にフェルトペンで電話番号を書きつけます。

(3分55秒)

 グレゴリウスは、一緒にいたいと言う女を伴って、ギムナジウムに向かいます。キルヒェンフェルト通りの北側にある、1528年に設立された神学校を起源とする、ギムナジウム・キルヒェンフェルトのことで、原作者パスカル・メルシエの母校です。

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 母国語を訊かれて(どこから来たとかではなく、母国語を尋ねるあたりが言語学者らしいですね)、「ポルトゥゲージュ(ボルトがル語)」と答えた女を、グレゴリウスは、教室に連れて入りますが、女は授業の途中で立ち上がり、唇に指を当てて微笑み、出ていきます。グレゴリウスは、教壇に鞄を置いたまま、映画ではすぐに後を追い、小説では2時間目の途中で教室を後にします。

(5分42秒)

 キルヒェンフェルト橋が見えてきたとき、グレゴリウスは、57歳にして初めて人生を完全な形で手に握るところなのだという、奇妙で心細い、だが同時に解き放たれたような気持ちになるのでした。


2 プラドの本

 小説では、グレゴリウスは、キルヒェンフェルト橋を渡ってすぐのブンデステラッセ沿いにあり、いつも前を通ってはいたものの、一度も中に入ったことがなかった〈ホテル・ベルヴュー・パレス・ベルン〉に、革命的で禁じられたことをしているような気持ちで入ります。レストランのテーブルにつきますが、運ばれてきた朝食とコーヒーに手を付けないまま、ホテルを後にします。

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 次に訪れたのは、ヒルシェングラーベンにあるスペイン語書店でした。ヒルシェングラーベンに該当の書店はありませんが、こちらの情報によれば、短編映画「ヒルシェングラーベンの古書店」の題材となった、2011年に閉店したハイメ・ロマゴサの古書店がそのモデルのようです。

journal-b.ch

 映画では、女が置いていったコートのポケットから古本を見つけ、古本に押されたスタンプに表示されている〈ヴェモス古書店〉を訪れます。

(7分9秒)

 映画では、その本は昨日あのポルトガル人の女が買ったものだとわかります。

 小説のグレゴリウスは、女子学生が離れがたそうに古書店の机の上に置いていった、ポルトガル語で書かれた『言葉の金細工師』という本を手に取り、書店主に訳してもらった序文や「我々が、我々の中にあるもののほんの一部分を生きることしかできないのなら __ 残りはどうなるのだろう?」という文章を聞いて、その本を買うことにします。書店主はグレゴリウスのことを覚えていて、その本を彼に贈ります。

(7分30秒)

 映画では、古本から15分後に発車するリスボン行きの乗車券が見つかり、グレゴリウスは古書店を出ます。

(8分9秒)

 一方、小説では、古書店を出たグレゴリウスは、ブーベンベルク広場で立ち止まり、彼にとって自分の住む街とは家のようなものだと改めて考えます。ヒルシェングラーベンからベルン駅に接続する広場で、角に1476年のムルテンの戦いの英雄でベルン市長も務めたエイドリアン・フォン・ブーベンベルク記念碑が立っています。

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 メグレ警視シリーズの作者ジョルジュ・シムノンの小説『汽車を見送る男』を原作とした白黒映画(作者の創作で、実在しません)のポスターに歩み寄ったというブーベンブルク映画館は、通りを渡った北西角にあります。

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 手に入れた本を見るためにカフェに入ったグレゴリウスは、著者アマデウ・デ・プラウの写真から彼の人物像を想像します。そして、ポルトガル語の語学講座を買うために、さきほどの書店に戻ります(映画のグレゴリウスはポルトガル語も読める設定です)。


3 ベルン中央駅

 レンクガッセの家にこもって、語学講座のレコードを聞き、徐々にポルトガル語の表記と発音を理解していったグレゴリウスは、電話に出ず、玄関の呼び鈴も無視して、本を翻訳していきます。そして、24時間にも満たない間に心の中で途方もない距離を歩いてきたと感じ、この静かな旅をなかったことにはできないと思い、リスボンまで鉄道で行こうと考えます。朝になって、友人のギリシャ人眼科医コンスタンティン・ドクシアデスに電話で相談すると、立派に意味をなすことだと背中を押してくれ、いつでも電話してくださいと返してくれるのでした。

Googleマップ

 6時になると、鉄道会社の情報センターに電話して、ベルンを7時半に出る列車の乗車券を予約します。そして、校長へ旅に出る旨の手紙を書き、で投函します。ベルン中央駅は、チューリッヒ中央駅に次いでスイスで2番目に大きな駅です。

Googleマップ

 映画では、発車する列車に間に合うように急いで駅に向かいます。

(8分25秒)

 映っているのは、ベルン中央駅の5番・6番のプラットホームに間違いないようです。

Wikimedia Commonsから切り抜き)

 小説のグレゴリウスは、意を決してリスボンへ旅立ちますが、映画のグレゴリウスは、発車する列車に思わず飛び乗ってしまったという感じで出発します。

(9分13秒)

 本作では、リスボンまでは、ジュネーブから26時間、パリとスペインのバスク地方の町イルンを経由し、イルンからリスボンまでは夜行列車で、翌日11時ごろに到着する予定です。


4 ベルン __ パ リ

 列車がローザンヌ駅に停車したとき、プラットホームにベルン行きの列車が入ってきたのを見たグレゴリウスは、ベルンへ戻る誘惑に襲われますが、次第に別れの儀式へと変化し、列車が駅を出ていくときには、自分自身の一部を後に残していくような気がします。

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 1856年に開業したローザンヌ駅は、スイス連邦鉄道(SBB)が通過駅として運営しています。フランスへのTGV Lyriaも運航されており、2014年の旅行時、ここからパリへのTGVに乗車しました。

(2014年の旅行時の写真)

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 眠りに落ちたグレゴリウスが目覚めたのは、ジュネーブの駅に到着したときでした。フランスへの特急列車に乗り換えたグレゴリウスは、フランス人旅行者グループの優雅でヒステリックなおしゃべりを避け、1等車に移ります。

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 第6旅(第20節)で紹介しましたが、ジュネーブの鉄道駅は、コルナヴァン駅といいます。

Wikimedia Commons

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 食堂車のテーブルにつき、窓の外の明るい早春の日差しに目を向けると、空想ではなく、本当にこの旅をしているのだと実感するのでした。そして、これまでの人生で今ほどはっきりと覚醒している瞬間はないと気づいたとき、パリ12区にある、リヨン駅に到着します。第6旅(第18節)にも登場したリヨン駅(Gare de Lyon)は、パリからリヨン方面(南東方面)へ向かう列車のターミナル駅です。

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 グレゴリウスは、まるで生まれて初めてまったき自覚をもって列車を降りたような気がします。


5 パ リ __ イルン

 リヨン駅が別れた妻フロレンスと訪ねた最初の駅であったことを思い出します。現在の駅舎は、1900年のパリ万博に合わせて、マリウス・トゥドワールが設計した3代目の建物で、ルイ・アルマン広場に面したファサードには、4面に直径6.4mの文字盤のポール・ガルニエの時計を備えた、高さ67mの時計塔があります。

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 タクシーでモンパルナス駅に向かったグレゴリウスは、モンパルナス大通りのブラッスリーラ・クポール〉に立ち寄ります。フロレンスが博士課程の学生だったとき、フランス文学会に招待された彼女をパリまで迎えに来た際、彼女の新しい友人たちの機知に富んだ発言を徹底的に粉砕してしまったという苦い思い出があります。

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 「丸天井」という名のアール・デコ調の店は、1927年に創業し、ピカソやヘミングウェイなども通った老舗で、店内には池袋駅東口にあるものと同じ、ルイ・デルプレの《大地の像》があります。

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 タクシーに急いでもらって、なんとかイルン行きの列車に間に合います。モンパルナス駅は、1840年に開業した、パリから西方面又は南西方面に向かう列車のターミナル駅です。列車が動き出したとき、グレゴリウスは、自分をこれまでの人生から連れ去っていくこの旅がさらに続くことを決定するのが自分ではなく、列車であるという感覚に襲われます。

Wikimedia Commons

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 グレゴリウスは、かつてギムナジウムの生徒だったころ、病の母に海を見せたくて、ベーレン広場の出店から札束を盗んだものの、自宅の前の階段を上ったときには後悔し、広場に戻って札束を封筒に入れてこっそり出店の野菜の下に押し込んだときのことを思い出します。そして、ボルドー駅をビアリッツに向けて出発するときには、今回の行動が過去の発作的行動と共通点があるか考え、プラドの本の例の一文を探すのでした。

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 ワインで有名なボルドーの玄関口、ボルドー=サン・ジャン駅は、1855年に開業した、アキテーヌ地域圏最大の駅で、プラットホームが巨大なガラス屋根に覆われています。

Wikimedia Commons他の画像

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 ひと組のポルトガル人の男女が乗ってきたというビアリッツは、第7旅(第23節)で紹介したとおり、バスク地方にある海辺の町ですが、ビアリッツ駅は内陸の方にあります。グレゴリウスは、彼らが話す言葉に意識を集中しますが、聞き取れる単語はわずかで、理解できない言葉が自分の脇を通り過ぎていくそういう街に降り立つことになるのだと改めて思うのでした。

Googleマップ

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 アンダイエ駅に着くと、周りの乗客が降りていくのに驚いて、ポルトガル人の男女が網棚の荷物に手を伸ばしました。グレゴリウスが、言葉を一つずつ並べたような、たどたどしいポルトガル語で「イスト アインダ ナン エ イルン(まだイルンではありません)」と話しかけると、駅の表示板を確認した女から感謝の言葉が返ってきます。アンダイエは、フランスの最南西端の街で、スペインのイルンとの間の国境を流れるビダソア川の右岸に位置します。

Googleマップ

 数分後、イルン駅に到着します。国境の駅だけあって、アンダイエ駅とは川一つ隔てた目と鼻の先の距離にあります。フランスとスペインでは列車の軌間(ゲージ)が異なるので、ここで乗り換えます。

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 グレゴリウスは、初めて発したポルトガル語が通じたことで、言葉の持つ神秘的な魔法の力に改めて感動し、ホームに足を降ろしたときには、それまでの不安がすべて消えてなくなり、確かな足どりで寝台列車に向かうのでした。


6 イルン __ リスボン

 イベリア半島を縦断する列車がイルン駅を発車したのは、その晩の10時でした。

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 2週間に1度この列車に乗るというビジネスマンのジョゼ・アントニオ・ダ・シルヴェイラと知り合います。ふたりはフランス語で会話を始め、ひととおり身の上話をしたシルヴェイラからグレゴリウスが列車に乗っている理由を聞かれたのは、列車がバリャドリド駅(正式名はバリャドリッド・カンポ・グランデ駅)に停まったときでした。バリャドリドは、カスティーリャ・イ・レオン州の州都であり、スペイン北西部最大の都市です。シルヴェイラからどうやって著者を見つけるつもりかと訊かれ、まず「赤い杉」という出版社を探さなくてはならないことを思い出します。自主出版の可能性もあるのですが。

lh3.googleusercontent.com昼の画像

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 朝6時ごろ目を覚まし、窓からサラマンカ駅が見えたとき、グレゴリウスに40年間封印してきた思い出が襲ってきます。サラマンカは、スペインを代表する大学街で、旧市街が世界遺産に登録されています。ショッピングセンターを併設した近代的な駅舎は2002年に完成したものです。グレゴリウスに蘇ってきたのは、ギムナジウムを卒業したら行くつもりだったペルシャのイスファハンという街の名前でした。かつてグレゴリウスは、オリエント学者を志望し、イスファハン在住のスイス人子弟の家庭教師の職に応募したことがあったのですが、オリエントの熱砂が襲ってきて目の中に入ってくるという夢にうなされるようになり、その道を閉ざしたことがありました。列車が駅を出るとき、一つの人生の扉が開き、同時に閉じてしまった当時の感覚を再び追体験していました。

Wikimedia Commons

 その後、グレゴリウスが食堂車に行くと、シルヴェイラが彼のために予約してくれたリスボンのホテルの住所を名刺の裏に書いて渡してくれます。それから、人生を昔の言葉に捧げたことを後悔したことはないかと訊かれ、グレゴリウスは、自分で望んだ人生ですからと答えます。断固とした言葉の中に苦々しさが隠れていることを感じながら・・・

 列車がテージョ川と並走し、車窓に川が見えてくるのは、リスボン地域でテージョ川を最初に渡るマレシャル・カルモナ橋を越えた辺りからでしょう。闘牛祭りで有名なヴィラ・フランカ・デ・シーラという地域で、写真左に見えている線路沿いの円形の建物は、1901年に建てられたパリャ・ブランコ闘牛場です。

Googleマップ

 駅でいうと、白壁に施されたアズレージョが美しいヴィラ・フランカ・デ・シーラ駅から先で線路がテージョ川に沿って並行します。

Googleマップ

 列車は、リスボンのサンタ・アポローニャ駅に着きます。1865年5月1日に開業したリスボンで最も古いターミナルです。

(2025年の旅行時の写真)

 グレゴリウスは、旅行鞄を手に取ってホームに降り、シルヴェイラにタクシーまで送ってもらいます。2025年に訪れた時は、駅前が工事中で、駅舎のファサードを正面から撮ることができませんでした。

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 映画では、この駅に到着します。

(10分42秒)

 同じ場所で撮った写真がこちらです。

(2025年の旅行時の写真)

 入口の上に見えている特徴的なデザインのアーチから、リスボンの中心部にあるロシオ駅であることがわかります。ホセ・ルイス・モンテイロが設計し、1890年に完成した駅で、ネオ・マヌエル様式のファサード(入口のアーチ上部)には、以前の名称「Estação Central(中央駅)」との表示があります。

(2025年の旅行時の写真)

 かつては、リスボンにおける中心的なターミナル駅でしたが、現在はシントラなどへの近郊列車だけが発着しています。

(2025年の旅行時の写真)

 映画では、歩いてホテルに向かっています。こちらも参考にロケ地を巡ってきましたので、跡を追ってサイドトリップしましょう。まず、後方に人物像を頂く記念碑が見えるこの場所に駅から歩いてきます

(10分47秒)

 ここはロシオ広場の北東に接するサン・ドミンゴス広場で、後ろに見えているのは、ロシオ広場に立つペドロ4世の記念碑です。

(2025年の旅行時の写真)

 続いて、こちらの階段を上ってきます。

(10分47秒)

 ここは、ロシオ駅からサン・ロケ教会に向かう階段で、先ほどのサン・ドミンゴス広場とは逆方向ですね。

(2025年の旅行時の写真)

 登り坂に疲れて、この公園の水飲み場に辿り着きます。

(11分7秒)

 噴水のある石畳の公園(上)と幾何学式庭園(下)の2階層からなり、サン・ジョルジェ城やバイシャの街並み、テージョ川まで一望できる美しい展望台として紹介されている、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台です。

(2025年の旅行時の写真)

 2025年に訪れたときには、グレゴリウスが使った水飲み場はなくなっていました。

(2025年の旅行時の写真)

 次に、ケーブルカーが通るこの坂を横切ります。

(11分9秒)

 ここは、第1旅(第26節)で紹介した、1892年開業のビカのケーブルカーが通る坂の中程辺りで、先ほどの展望台とはまた逆方向に進んでいます。

(2025年の旅行時の写真)

 そして、このあとホテルに辿り着きます


7 接触事故

 映画のグレゴリウスが宿泊したのは、「Silva」の看板が出ているところで、ケーギ校長との電話(63分ころ)の中でグレゴリウスは〈ホテル・シルヴァ〉と言っています。

(11分18秒)

 同じ場所で撮った写真がこちらで、Googleマップの過去のストリートビューによれば、このサンタ・カタリーナ通り30番地には、実際に2018年までは〈ペンション・シルヴァ〉という宿泊施設があったようです。

(2025年の旅行時の写真)

 小説のグレゴリウスは、ホテルに到着すると重い眠りに落ち、目が覚めたのは午後の遅い時間でした。真夜中になりかけて、ホテルのある小路からリベルダーデ大通りに曲がり、バイシャのカフェスタンドでサンドイッチを食べます。その後、衝動的にカフェの最後の客の男をバイロ・アルトの家まで追って行きます。各地区の位置関係は、下の3Dマップのとおりで、ホテルは大通りのすぐ東側辺り(緑色の枠線)に位置するのではないかと思います。

Googleマップに書き込み)

 リベルダーデ大通りは、1879~82年に建設された、リスボン中心部のレスタウラドーレス広場とマルケス・デ・ポンバル広場を結ぶ、道幅90m、長さ1100mの大通りで、複数の車線に沿って、モザイク模様の歩道とプラタナスの街路樹が続き、各所に彫像や記念碑が設置された、ヨーロッパで最も高価な通りの一つです。2025年の旅行時、雨の中を車で通りました。

Wikimedia Commons

 第1旅(第28節)にも登場する、「低い地区」を意味するバイシャは、バイシャ・ポンバリーナともいい、1755年のリスボン大地震後、コメルシオ広場からロシオ広場の間、東西300m、南北500mのエリアに碁盤の目のように整備されたリスボン随一の繁華街です。

Wikimedia Commons

 バイシャの中央を南北に貫く目抜き通りが、歩行者天国になっているアウグスタ通りです。カフェやレストランも多く、夜遅くまで賑わっていることから、グレゴリウスが入ったカフェスタンドもここにあったかもしれません。

(2025年の旅行時の写真)

 映画では、彼がシャツを買う場面に映ります。

(20分55秒)

 男を尾けて向かった、「高い地区」を意味するバイロ・アルトは、北はサン・ペドロ・アルカンタラ展望台とプリンシペ・レアル公園、南はルイス・デ・カモンイス広場、東はミセリコルディア通り、西はオ・セクロ通りの間にある、リスボンの中でも古い地区で、細い路地に沿って第7旅に登場する建物(第23節)のような住宅が並ぶほか、第1旅(第26節)に紹介したとおり、ファドの聴けるクラブやレストランが集まっています。写真奥に見えているのは、第1旅(第28節)に登場する〈Café Luso〉です。

(2025年の旅行時の写真)

 自分がこの男だとしたらどんなだろうと、新しい種類の好奇心が芽生えるグレゴリウスですが、家の窓から男の姿が見えなくなると、小路を下り、それから急な坂を大通りが見えるところまで戻ってきます。

 その時、突然、後ろから近づいてきたローラーブレードを履いた男の肘が顔に当たり、グレゴリウスは、こめかみを怪我した上、吹っ飛んだ眼鏡を踏みつけてしまいます。写真は、大通りに向かって一直線に下っていくコイセンサン・ダ・グローリア通りという坂ですが、このような場所だったのではないでしょうか。

Googleマップ

 映画では、第9節で訪ねるプラドの墓地からの帰りに、自転車と接触します。

(17分25秒)

 28番トラムが通るトラヴェッサ・サン・トメがサン・トメ通りから分かれる分岐点近くです。

(2025年の旅行時の写真)

 映画のグレゴリウスは衝動的に旅に出ましたので、持っていませんでしたが、小説では、友人の眼科医ドクシアデスの忠告に基づき予備の眼鏡を持ってきていたので、ホテルで予備の眼鏡をかけ、安堵のあまり涙します。私も海外旅行に行くときは予備の眼鏡を持参します。


8 マリアナ・エッサ、シモンエス

 翌朝、シルヴェイラに電話して、眼科医マリアナ・コンセイソン・エッサを紹介してもらい、アルファマ地区にある診療所を訪ねます。向かい側に典雅な建物、周囲に弁護士事務所、ワイン会社、アフリカのとある国の大使館がある(102頁上)とのことですが、診療所の場所はわかりません。

 第1旅(第26節)にも登場する、アラビア語で「泉」を意味するアルファマ地区は、サン・ジョルジェ城とテージョ川の間の丘陵地帯で、リスボン大地震の被害を免れたため、昔ながらの街並みが残る、最も古い地域です。

(2025年の旅行時の写真)

 くねくねと続く狭い路地を黄色いトラムが走る風景も見られます。写真に映る赤壁は、装飾博物館です。

 流暢なドイツ語を話し、大きな瞳が印象的なエッサ医師は、視力検査を3度繰り返してグレゴリウスを感動させ、彼の仕事についても話を聞きました。彼は、検査で出たディオプトリ数がいつもと大きく違ったことに戸惑いますが、彼女がとりあえずこれで試してみましょうと言って彼の腕に触れると、心の中で信頼が拒絶を上回るのでした。そして、プラドの本を出して「赤い杉」について相談すると、彼女は知り合いの古書店主ジュリオ・シモンエスを紹介してくれます。

(2025年の旅行時の写真)

 グレゴリウスは、処方箋を持って、テージョ川のフェリー乗り場の近くにある、セザール・センタレームの眼鏡店を訪れます。テージョ川北岸にフェリー乗り場は3か所にありますが、アルファマ地区の診療所から徒歩で30分かかる(100頁上)とのことから、カイス・ド・ソドレのフェリー乗り場の方だと思います。眼鏡店が実在するかどうかはわかりません。グレゴリウスが予備の眼鏡を手渡すと、もっと軽いものにできると言われ、新しい眼鏡のフレームについても、軽くて現代的で粋なものが勧められます。

Googleマップ

 映画では、マルティナ・ゲデック演じる眼科技師マリアナ・エッサが検眼しながら、グレゴリウスが話すプラドや彼の本の話をじっくり聞いています。

(20分9秒)

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 それから、グレゴリウスは、シモンエスの古書店があるバイロ・アルトに歩いて向かいます。ガレット通りにある(第10節93頁下)とのことから、1913年に設立され、1943年にガレット通り100番地に移転した、〈サ・ダ・コスタ書店〉がそのモデルではないでしょうか。シモンエスは、鋭く尖った鼻を持つ痩せた男で、黒い瞳は生き生きした知性を物語っていましたが、彼から「赤い杉」に繋がる情報は得られず、前の店主のヴィトール・コウチーニョを紹介されます。

(2025年の旅行時の写真)

 グレゴリウスは、書棚にある本に目を向け、リスボン大地震について書かれた『大地震』、14世紀と15世紀のペストについて書かれた『黒死病』、ジョゼ・マリア・エッサ・デ・ケイロースの『アマーロ神父の罪』、そして、フェルナンド・ペソアの『不安の書』を購入します。

amazon.co.jpamazon.com.brから引用した表紙と2025年の旅行時の写真)

 因みに、〈サ・ダ・コスタ書店〉のには、1732年に設立され、ギネスに世界最古と認定された、アズレージョで装飾された外壁が美しい〈ベルトラン書店〉があります。

(2025年の旅行時の写真)

 グレゴリウスが本の入った重い袋を持って今にも倒れそうなほど疲れて、しかし、この街にいることを実感してこの気持ちをもっと味わいたいと考えながら辿りついたのは、第1旅(第26節) に登場する、カモンイス広場の中央に、1867年に彫刻家ビクトル・バストスが制作したルイス・デ・カモンイスの記念碑の前でした。

(2025年の旅行時の写真)

 コーヒーを1杯飲んで(第7旅(第23節)に登場する〈カフェ・ブラジレイラ〉に入ったのかもしれません)、コウチーニョを訪ねて、プラゼーレス墓地へと向かう路面電車に乗りました


9 コウチーニョ

 グレゴリウスが乗った路面電車は、有名な28番トラムです。

(2025年の旅行時の写真)

 木の座席や天井からぶら下がる手すりの横のベルの紐などを見て、幼い頃に乗ったベルンの路面電車を思い出します。

(16分16秒)

 写真は、車窓からエストレラ通りの右側に見えるサン・ベント宮殿です。1598年設立のベネディクト会修道院を前身とし、バルタザール・アルバレスの設計で17世紀に建てられたマニエリスム様式の教会でしたが、現在はポルトガル共和国議会が置かれています。

Googleマップ

 続いて、エストレラ広場を過ぎて左側にあるのが、待望の王子が生まれたことに感謝した女王マリア1世の命により、1779〜90年に建設された、バロック様式と新古典主義の特徴を持つ、エストレラ大聖堂です。

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 路面電車が到着したのは、終点のサン・ジョアン・ボスコ広場です。広場の中央にあるのは、サレジオ会の創設者で、青少年教育制度の改革者として1934年に列聖された聖ジョアン・ボスコ記念碑で、ルイス・デ・マトスが 1985〜87年に制作した高さ6mの像です。

Googleマップ他の画像

 広場の西側に広がるのが、プラゼーレス墓地です。小説では、墓地の前に立って初めてアマデウ・デ・プラドが他界している可能性に思い及びますが、映画では、彼の死亡を知ってその墓を訪れます。

(16分23秒)

 墓地の入口の柱廊は建築家ドミンゴス・パレンテ・ダ・シルバによって設計されました。

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 コレラが流行した後の1833年に設置された、リスボンで2番目に大きい墓地で、世界で最も美しい墓地の一つとされています。

lh3.googleusercontent.com

 墓碑だけの墓もありますが、霊廟が並ぶエリアもあります。

Wikimedia Commons

 白い大理石でできたいくつもの霊廟の中に、プラド家の霊廟を見つけます。

(16分55秒)

 墓標に父母と妻かもしれない名前とともに、1973年6月20日に53歳で(映画では1974年4月25日に33歳で)没したアマデウ・イナシオ・デ・アルメイダ・プラドの名前を見つけます。台座には、反体制活動家であったかのように「独裁制が事実ならば、革命は義務である」という文字が刻まれていました。

(17分3秒)

 それから、シモンエスがメモしてくれた住所にコウチーニョを訪ねます。通りから奥まったところに隠れるように建っている、いつ崩れてもおかしくないような家とありますが、実在の場所はわかりません。

  コウチーニョにシモンエスの伝言を渡すと、彼はゆっくりとしたフランス語で、プラドは人気のある医者だったが、虐殺者と呼ばれていた秘密警察のルイ・ルイス・メンデスの命を救ってから皆が彼を避けるようになり、苦しんだ彼は償うかのようにレジスタンスとして活動するようになって、革命の1年前に脳出血で急死したと語り、本は彼の助手をしていた妹のアドリアーナが出したもので、彼の診療所を兼ねた住居はバイロ・アルトのどこかにあり、正面に青い夕イル(アズレージョ)がたくさん張られて、「青の診療所」と呼ばれていたと話しました。そして、グレゴリウスが去るときには、新約聖書のギリシア・ポルトガル語対訳版を渡して、彼の背中を優しく押し出すのでした。

(2025年の旅行時の写真)

 グレゴリウスは、路面電車の窓に頭をもたせかけ、永遠とも思える1日だったと感じ、疲れきってロシオ広場(28番トラムの終点はマルティン・モニス広場ですが)から足を引きずるようにホテルに戻りました。


11 新しい眼鏡

 仕上がった新しい眼鏡をかけると、これまでのどの瞬間よりもよく見えました。グレゴリウスは、ベンチを見つけるたびに座って眼鏡を取り換えながら、マリアナ・エッサの診療所までの道のりを4時間かけて歩きました。小さな公園では、プラドの本を取り出して、遠近両用眼鏡の老眼用の方で見てみると、プラドの文章を苦もなく理解させてくれ、新しい眼鏡を好きになっていきます。写真は、サン・マメデ通りの北側にある、コレイオ・モール広場ですが、こんな公園でしょうか。

Googleマップ

 コーヒーを飲みに入ったカフェスタンドで、鏡に映る自分の姿を見て、新しい眼鏡にそぐわないと感じたグレゴリウスは、それが気になる自分に腹を立て、古い眼鏡にかけ直して店を出ます。そして、とある紳士服店に入り、ワインレッドのタートルネックセーターと灰色のコーデュロイのスーツを購入しますが、それにも耐えられなくなり、公衆トイレで古い服に着替え、新しい服は捨ててしまいます。

 映画では、普通にシャツを買ってかえります。

(20分44秒)

 映画のグレゴリウスがシャツを買った服飾店〈Pitta〉は、アウグスタ通りにあります。

(20分48秒)

 現在のこの場所は、伝統菓子パステル・デ・ナタの専門店〈Manteigaria〉になっています。

(2025年の旅行時の写真)

 マリアナ・エッサの診療所に到着すると、彼女はカシーリャスの老人ホームに住んでいる伯父に会いに出かけるところで、一緒にテージョ川を渡ろうとフェリーに誘われます。カシーリャスへのフェリーは、カイス・ド・ソドレのフェリー乗り場から出ています。料金はこちらを参照してください。

lh3.googleusercontent.com

 二人はフェリーの上甲板に座り、マリアナは、伯父がレジスタンス活動をして国家反逆罪で刑務所に入れられ、2年後に迎えに行ったときには、拷問のせいでピアノを弾いていた手は歪んで絶えず震え、年老いた病者となっていたと話します。

Wikimedia Commons

 映画でも二人はフェリーのデッキで話をしていますが、デッキはないという情報もあります。

(22分23秒)

 映画では一緒に伯父に会いますが、小説のグレゴリウスは、このときはホームの前で別れ、路面電車に乗ってアルファマ地区へ向かい、捨てた新しい服の入った袋を拾い上げ、ホテルに戻りました。


12 青の家

 翌日、グレゴリウスは、バイロ・アルトに出かけます。最初の晩に後をつけた男を見かけ、「青い家」のことを尋ねてみます。出てきた年老いた女にアパートに招かれ、言葉がわからないながらも聞いた二人の話からは、プラドへの尊敬の念と彼への非難から生まれた躊躇いが感じられました。それから、プラドの診療所までの道を教えてもらって、二人に別れを告げ、ルース・ソリアノ通りに向かいます。バイロ・アルトの中でも新しい建物が並ぶ通りのようです。

(2025年の旅行時の写真)他の画像

 グレゴリウスが見つけた青い家は、青いタイルが貼られた3階建ての建物で、すべての窓の上にウルトラマリン色に塗られた半円アーチがかかっていました。Googleマップで探索し、現地にも訪れましたが、本作をイメージして改装したのではないかと思わせるような建物を見つけました。ルース・ソリアノ通り75番地にある〈アンジョ・アズール〉というホテルです。

(2025年の旅行時の写真)

 映画のプラドの診療所は、独立した建物で、青い家ではありません。

(12分22秒)

 この建物は、18世紀に建てられたヴェライド宮殿で、サンタ・カタリーナ地区にあることから、サンタ・カタリーナ宮殿とも呼ばれます。

(2025年の旅行時の写真)

 現在は、外装も白く塗り替えられて〈ヴェライド・パラシオ・サンタ・カタリーナ〉というホテルになっています。

(2025年の旅行時の写真)

 なお、すぐ南側には、テージョ川や4月25日橋、天気の良い日には対岸のクリスト=レイ像も望め、美しい夕日が眺められるスポットとしても有名なサンタ・カタリーナ展望台があります。

(2025年の旅行時の写真)

 ルイス・デ・カモンイスの「ルシアス」に登場する神話の巨人アダマストルの像があることから「アダマストルの展望台」とも呼ばれています。

(2025年の旅行時の写真)

 小説のグレゴリウスは、カフェバーでコーヒーを飲んだり、書店に行ったり、なかなか青い家を訪ねる踏ん切りがつかないまま時が経ちます。それから、プラドの写真を見た後、青い家に別の人間が住んでいるかもしれないという不安に襲われ、急ぎ足で青の家に向かい、呼び鈴を押しました。


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 今回の投稿での旅はここまでです(第10節は割愛しています)。次回、第2部からいながら旅を続けます。

 なお、今回利用している画像のうち、Googleマップ掲載のものの中に、引用元のリンクがスマートフォンのアプリでは表示されないものが複数あったと思いますが、必要に応じてPCからGoogleマップでご確認ください。

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