『陽昇る国、伊勢 古事記異聞』をガイドブックとする、第9シーズン第5部のいながら旅は、この投稿が最終回です。雅は、一緒に旅する千鶴子から、伊勢の神について驚くべき考えを聞くようです。第4章の続き、第11節からいながら旅を続けます。
第4章 皇大神宮の風は招く(続き)
11 おはらい町・おかげ横丁
雅たちが遅い昼食に向かったおはらい町は、宇治橋から伊勢参宮街道に沿って蒲田交差点付近まで約800m続く鳥居前町で、石畳の通り沿いに切妻造・妻入りの建物が軒を連ね、土産物店や飲食店が立ち並ぶ観光地です。

雅たちは、おかげ横丁近くのかなり時代がかった建物の店で、伊勢うどんと手こね寿司を食べ、地ビールを飲みました。こちらは、江戸時代から続いているという老舗ではないようですが、趣きのある建物の〈手こね茶屋 おはらい町中央店〉です。

雅たちは、大きな石の常夜灯が立つ正面入口からおかげ横丁に入ります。

おかげ横丁は、「おかげ参り」に由来し、おはらい町の中程、赤福本店周辺の一画に、江戸末期から明治初期までの代表的な建築物を移築・再現して、平成5年(1993年)の第61回神宮式年遷宮の年に開丁しました。

雅たちは、田舎の芝居小屋のような外観で、江戸の町のジオラマなどが展示されている〈おかげ座 神話の館〉に入ります。

雅たちが立ち寄った〈赤福本店〉の建物は、明治10年(1877年)に建てられたもの。赤子のような素直な気持ちで、自分や他人の幸福を慶ぶという「赤心慶福」にその名が由来するという赤福餅は、五十鈴川のせせらぎと清流を表しています。

雅たちは、一旦それぞれのホテルにチェックインして、改めて夕食に出かけることにします。
12 伊勢の千木の謎
予約した鰻料理店で乾杯し、千鶴子が伊勢の「男千木・女千木」に関してどう考えたかを尋ねると、雅は、滅茶苦茶だと漏らします。振り返ってみましょう。 外宮の別宮、月読命を祀る月夜見宮の千木は、男千木でした(第3節)。

一方、内宮の別宮の月讀宮では、同じ月読命を祀る月讀宮(写真右)の千木も、その父神である伊弉諾尊を祀る伊佐奈岐宮(写真左)の千木も、女千木でした(第8節)。

天照大神を祀る内宮正殿の千木は、女千木でした(第10節)。

一方、天女であったとも言われる豊受大神を祀る外宮正殿の千木は、男千木でした(第5節)。

千鶴子は、坂十仏の『伊勢太神宮参詣記』に「内宮は日神で女神、外宮は月神で男神なり」とあるとして、外宮の祭神は月読命であり、しかも豊受大神と夫婦神で、男千木を載せた自分の社に妻神を住まわせていたという考えを示し、更に月読命と天照大神も夫婦神だったと言って雅を驚かせます。また、時代とともに本当の祭神が分からなくなっている可能性もあると言って、かつては外宮の玉串御門の前まで進んで参拝できたことがわかる『伊勢参宮名所図会』をスマホで見せ、神社は変容していると話します。

更に見せられた二見浦の図には、神社も祠もありませんでした。そして、二見輿玉神社で見た千木に話が及びます。

猿田彦神を祀るという二見輿玉神社の本殿は、女千木でした(第2節)。

そして、猿田彦神社の千木も、女千木でした(第9節)。

すると、千鶴子は、二見輿玉神社や猿田彦神社は本当に猿田彦神を祀っているのかと疑問を投げかけ、猿田彦神社は元々は磯部姓だった宇治土公氏が邸内で祀っていた神を明治になって神社にしたものだと話します。
このあと、第三旅で語られた、天鈿女命による猿田彦神の殺害(第17節)に話が移り、千鶴子が泊まっているビジネスホテルのバーラウンジに場所を変えた後、「日ユ同祖論」についても千鶴子の意見を聞きます(詳しくは小説をご覧ください)。
第5章 斎宮の夕刻は静かに
13 瀧原宮
滝原へ
翌朝、雅たちは、「遙宮(とおのみや)」と呼ばれる瀧原宮(たきはらのみや)に向かうため、伊勢市駅から参宮線に乗り、多気駅で紀勢本線に乗り換えます。三重県多気郡多気町にある多気駅は、紀勢本線から参宮線が分岐する分岐駅ですが、この部分は紀勢本線の方が後から建設されたため、まっすぐ伸びる支線の参宮線に本線の方が曲がって接続する珍しい例となっています。

瀧原宮の資料に目を通しながら、新宮行きの普通電車で約40分で滝原駅に到着します。伊勢市駅を9時20分発の快速に乗ると1時間ちょっとのようです。雅たちが見た、白地にオレンジの線が一本引かれた「たきはら」の駅名標が立っているホームの向こうに壮大な山並みをバックに数軒の家が建っている景色がこちらです。

古い無人駅舎というのがこちらです。雅たちは、予約したタクシーに乗って瀧原宮に向かいます。車で3分程度です。

タクシーが到着した神社入口横にある道の駅はこちらで、三重県で唯一木工品を中心とした道の駅〈奥伊勢木つつ木館〉です。

参道入口
雅たちは、駐車場でタクシーを降りると、「瀧原宮まで600m」と書かれた看板の向こうに立つ、こちらの大きな白い神明鳥居をくぐります。

しばらく歩くと、右手に「皇大神宮別宮 瀧原宮」という社号標が見え、衛士見張り所の向こうに鬱蒼とした木々に包まれるようにして木製の神明鳥居が立ち、奥に木漏れ日の下に参道が伸びています。

雅たちが読んだという、鳥居前に立つ由緒板がこちらで、瀧原宮は、皇大神宮(内宮)の別宮で、天照坐皇大御神御魂を祀っているとあり、倭姫命が天照大神の御杖代となって巡幸を続けていたとき、宮川河口から約40km遡り、その支流の大内山川の流域にあった「大河の瀧原の国」という美しい場所に建てられた宮が起源とされる、「元伊勢」の一つです。

神域は44haの広さがあり、杉の大木が立ち並ぶ中を約600mの参道が伸び、宮川の上流に注ぐ大内山川の支流の頓登川が参道と並行して流れています。

こちらの小さな橋を渡って宿衛屋や手水所の方へ進みます。こちらの参道に隠された「3つの不思議」も見ていきましょう。

頓登川の御手洗場
宿衛屋の手前、御手洗場への案内板が立っているところで、右(写真では奥)へ緩やかな石段を下ります。

この石段の途中には、一つ目の不思議、ハートの形をした石が2つあり、見つけると願いが叶うと人気のスポットになっているようです。行かれる方は目を凝らして見つけてみてください。


石段を下りきると、頓登川(とんどがわ)の御手洗場があり、雅たちも河辺で手と口を清めました。

ねじり杉
参道に戻ってしばらく歩くと、参道の中央に、二つ目の不思議があります。作中にあるとおり、木の表皮が所々苔に覆われ、左回りに捻じれながら天に向かって伸びている「ねじり杉」と呼ばれる樹齢数百年の杉の巨木が聳え立っています。磁気のN極とS極が互いに打ち消し合い、磁力がほとんど存在しない「ゼロ磁場」が影響しているという情報も確かにあるようです。

神の手
少し進んだ右手に、三つ目の不思議、「神の手」と呼ばれる、大地を掴むように張り出している杉の根っこを見つけることができます。

正 宮
更に進むと、作中にあるとおり、参拝順が書かれた駒札が立ち、右手に瀧原宮と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)が並んで鎮座しています。

雅たちは、駒札の指示どおり、まず右手奥にある瀧原宮の白木の神明鳥居をくぐり、白い石の道を進んで参拝します。

萱葺き唯一神明造の社殿の屋根には、内削ぎの女千木と偶数本(6本)の鰹木が見えます。

続いて、その左側にある同じ造りの瀧原竝宮に参拝します。祭神は、瀧原宮と同じ天照大御神御魂ですが、瀧原宮は天照大御神の和御魂(にぎみたま)を、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)を祀っているとされています。また、『倭姫命世記』には、両宮の祭神は速秋津日子神と速秋津比売神と記されています。

瀧原竝宮の左側には、御神体を覆う「御樋代(みひしろ)」を納める「御船代」を収納する倉とされる御船倉があります。古来以来の宮川の水上交通を象徴するものともされ、神宮の他の宮社にはない、瀧原宮のみにある建物です。

次に、瀧原宮の右(東)側の少し奥まった高台にある、所管社の若宮神社に向かいます。祭神は、若宮神と呼ばれる滝原の地に縁のある水神とされます(作中にあるように水分神とする説もあります)が、雅は、前旅(第12節・第14節)で見てきたように「怨霊を祀る宮」だと考えます。確かに、社殿に向かう石段の参道は、次の写真のとおり曲がっています。

最後に、若宮神社への石段の脇にある、所管社の長由介神社(ながゆけじんじゃ)に参拝します。祭神は、瀧原宮の御饌を司るといわれる長由介神で、豊受大神の分霊ともいわれます。 なお、同社には、同じく所管社の川島神社の祭神、川島神(かわしまのかみ)が同座しています。

雅たちは、参道を戻って参道入口の鳥居をくぐり、こちらの鳥居もくぐって、道の駅で軽い昼食をとったようです。

タクシーで滝原駅に戻り、多気行きの紀勢本線に乗り、松阪に向かいます。

現在は13時30分の電車はないようですが、多気駅で乗り換えて約1時間です。
14 伊勢の大神 ー 饒速日命
途中、千鶴子は、二見輿玉神社の主祭神とされる猿田彦神が本当に祀られているのは輿玉神石であり、社殿に祀られているのは相殿神とされる宇迦之御魂神で、同神は市杵嶋姫命と同一神で、猿田彦神の母神であるという考えを示し、更に、5世紀ごろ今の外宮に祀られ、天武天皇(大海人皇子)が壬申の乱の行軍の途中、朝明郡(現在の三重県四日市市付近)の迹太川(とおがわ)のほとりで遥拝した(天武天皇元年(672年)6月の条 『日本書紀』下巻386・7頁)のは、天照(太陽神)である饒速日命であり、しかも饒速日命は月読命で、市杵嶋姫命すなわち豊受大神と夫婦神、猿田彦神はその子孫神であったと言って、雅を唖然とさせます。伊勢の大神も三輪の大神も饒速日命だったのかと。
そして、7世紀に持統天皇が女神である天照大神を饒速日命に取って代え、内宮に祀り上げたと話し、外宮の方が先に創建されたのではないかと思っていた雅も、だから外宮先祭なのかと首肯します。

饒速日命と同一視される(前旅プロローグ参照)彦火明命は元伊勢の籠神社の伝承において市杵嶋姫命と夫婦神とされています。写真は、籠神社の海の輿宮とされる冠島と沓島の遥拝所(天橋立傘松公園内にあります)の由緒板で、その伝承が刻まれています。

また、籠神社の奥宮の真名井原では昔から豊受大神が祀られていましたが、同神が伊勢に遷った後、養老3年(719年)に本宮を現今の地に遷し、彦火明命が主祭神となっています(豊受大神が相殿神)。しかし、猿田彦神の父母神については、『出雲国風土記』の嶋根郡加賀郷の条と加賀神埼の条に、猿田彦神と同視されている佐太大神を神魂命の子の支(枳)佐加比売命(きさかひめのみこと)が産んだと記されているほかには史料がありません。
また、持統天皇の時代に『日本書紀』が編纂される過程で、女神である天照大神を中心とする皇統神話が体系化されましたが、持統天皇の治世と女帝誕生の正当性を裏付ける意図があったという見解や、その際に饒速日命の伝承が意図的に書き換えられたという見解も見られます。
15 斎宮跡
斎宮へ
松阪駅に到着すると、近鉄山田線のホームに向かいます。松阪駅は、JRと近鉄が相互乗り入れする駅で、近鉄山田線は6〜8番ホームを使用しています。

雅たちが到着した、どことなく寝殿造りの雰囲気があるという斎宮駅は、こちらです。雅が訪れた後の2013年に完全無人駅化され、2015年に史跡公園口が設置されています。

駅の北側一帯は、「斎宮跡歴史ロマン広場」とも呼ばれる上園芝生広場が広がっており、花ショウブの原種であるノハナショウブ11,000株が植えられています。

いつきのみや歴史体験館
こちらは、雅が見たものではありませんが、現在、史跡公園口近くに設置されている案内板で、後ろがいつきのみや歴史体験館です。

雅たちはスルーしましたが、平成11年(1999年)に開館したいつきのみや歴史体験館をちょっと覗いてみましょう。館内では、斎宮が繁栄した平安時代にスポットを当てており、この案内板にあるとおり、その時代の歴史・文化・技術などを身近に体験できるようです。

こちらは、天皇、皇后、斎王だけが用いた乗り物である葱華輦(そうかれん)という輿の体験コーナーです。『駒競行幸絵巻』に描かれた輿や手向山八幡宮の神輿を参考に推定復元されたものです。

こちらでは、平安時代のゲーム、貝覆いと盤双六が体験できます。

平安時代の衣装、小袿(こうちぎ)を着てみることができます。

斎宮歴史博物館
雅たちは、線路に沿って西へ歩いた後、草の広場の真ん中を通っている道を進み、左折して斎宮歴史博物館へと向かいます。歩いて約12分程度です。

途中の「歴史の道」の沿道には、明和町制50周年・史跡斎宮跡の指定30周年を記念して、斎王や斎王ゆかりの和歌が刻まれた24基の歌碑が設置されています。

斎宮歴史博物館は、昭和54年(1979年)に国の史跡に指定された、三重県多気郡明和町竹川にある斎宮跡に、平成元年(1988年)に設置・開館した三重県立の歴史博物館です。

雅たちが最初に行った映像展示室です。ハイビジョン画像で斎王の儀礼と都から伊勢への旅を再現した「斎王群行」、斎宮跡の発掘調査ドキュメントと現代の少女と斎王の出会いを描くショートアニメ「斎宮との出会い-いつきのみやのあけぼの-」の2本の映像を定期的に上映しています。

展示室Ⅰでは、「文字からわかる斎宮」として、斎王制度が最も繁栄した平安時代を取り上げ、斎王が選ばれて伊勢に赴き、都に帰るまで流れを、『延喜式』などの文献史料を手がかりにして紹介しています。雅が目を引いたのは、群行の際に斎王が乗った葱華輦と、後ろに立つ随身や唐衣の女性の像でした。

同じ展示室に展示されている群行模型です。

一番奥にある、原寸大で再現された斎王の居室です。上畳の上に晴装束姿の斎王、一段下がった廂に唐衣姿の命婦の人形が置かれています。

展示室Ⅱは、「ものからわかる斎宮」として、斎宮跡の発掘調査が明らかにした斎宮の姿を、斎宮の成立と整備、隆盛と繁栄、衰退と消滅の3期に分けた考古資料と、斎王の御殿エリアである内院推定地区の方格地割の模型によりに紹介しています。写真は、400分の1の斎宮寮復元模型です。

夕刻となり、雅たちは、機殿神社(上機殿こと神麻続機殿(かんおみはたどの)神社と下機殿こと神服織機殿(かんはとりはたどの)神社)の方角を遥拝して、斎宮駅に戻りました。
さいくう平安の杜
斎宮跡は、平成27年(2015年)には「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」として日本遺産に認定され、雅が訪れたころから整備が進められてきたさいくう平安の杜が歴史体験館の東側に完成しました。

平安時代の斎宮の役所である斎宮寮の建物3棟が復元されました。こちらは、斎宮寮の中心的な建物、床面積94.5㎡、高さ7.97m、檜皮葺き、入母屋造りの正殿です。軒高は、室生寺金堂を参考に2.37m(7尺9寸)とされています。

こちらは、大人数の儀式に利用した建物、床面積162.0㎡、高さ7.59m、檜皮葺き、切妻造りで、東面に板葺きの庇を取り付けた西脇殿です。庇の形態は、法隆寺聖霊院の前身建物を参考にしています。

こちらは、儀式の準備をした建物、床面積89.86㎡、高さ5.86m、檜皮葺き、切妻造りで、東面に板葺きの庇を取り付けた東脇殿です。春日大社車舎や同摂社の若宮神社の手水舎を参考としています。

15 エピローグ
雅たちは、松阪駅で特急に乗り換えて名古屋に向かいます。

御子神と連絡を取った雅は、御子神と千鶴子が伊勢や出雲について意見交換してはどうかと考え、名古屋で会わせようとします。ところが、駅に到着すると、千鶴子は、次は元伊勢・籠神社に行ってみようと言い残して、京都に帰ってしまいます。やむを得ず、雅は、待ち合わせ場所にやってきた御子神と、名古屋駅から新幹線で東京に戻ることにします。

車中で、御子神から、学会の様子から「日ユ同祖論」に関する意見を聞いたり、助教の波木祥子から預かったという「伊」の文字についてのメモ書きを読みながら(詳しくは小説をご覧ください)、神社はそこにいる神様の辛く悲しい歴史を学んでから参拝すべきと思い、帰途に就くのでした。
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第9シーズン第5部のいながら旅は、ここまでです。今回の旅で、雅は、御子神や千鶴子から聞いた話も総合して、外宮・内宮の男千木・女千木に関してもなんとなく見当がついたようですが、物証は何もなく、まだ隠された歴史や秘密があるのだろうと考え、誰も知らない「伊勢」を探ることを誓います。次は、京都・天橋立にある元伊勢・籠神社を千鶴子と共に旅することになりそうですが、『古事記異聞』シリーズの続編が発刊されるまで、第9シーズンは休止となります。
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