高田崇史の小説『陽昇る国、伊勢 古事記異聞』de いながら旅(1)

● 高田崇史
● 高田崇史9 古事記異聞9-5 陽昇る国、伊勢

 小説をガイドブック代わりに、登場人物たちの足跡を辿りつつ、時には寄り道もして、写真や観光資料、地図データなどを基に、舞台となっている世界各地を紹介しながらバーチャルに巡礼する、小説 de いながら旅の第9シーズン。高田崇史の『古事記異聞シリーズ』を取り上げて、旅の舞台を日本に移したシーズンの第5部です。第1部から第4部のいながら旅を引用する場合は、それぞれ第一旅第二旅第三旅第四旅(又は前旅)と表記します。また、『古事記』や『日本書紀』を引用する箇所に頁数を記載している場合は、第一旅のガイドブックの項で紹介した各文庫版の現代語訳の頁数です。

この旅のガイドブック

 今回(第5部)の旅のガイドブックは、民俗学を学ぶ大学院生の主人公橘樹雅(たちばな みやび)が研究テーマの本質を探求するためゆかりの土地を巡る『古事記異聞』シリーズの5作目『陽昇る国、伊勢 古事記異聞』で、当初2020年11月に講談社ノベルス『古事記異聞 陽昇る国、伊勢』として刊行されていた作品で、文庫化(2024年11月)に伴い、主要な登場人物に松本救助作画によるキャラクターイメージを与え、題名の主複を入れ替えて発行されたものです。

 「出雲」と一体分身の関係にある「伊勢」を訪れた主人公橘樹雅は、二見輿玉神社を皮切りに、伊勢神宮の外宮と内宮の本宮、別宮及び所管社のほか、倭姫命陵墓参考地、猿田彦神社、おはらい町、斎宮跡などを、途中からは前旅でも共に旅した金澤千鶴子と一緒に巡り、千木の謎を糸口に「伊勢」の真実を探究していきます。

 なお、これまでの旅と同様、雅が担当教官の御子神伶二や千鶴子と民俗学談義をする部分については適宜割愛し、登場人物が舞台となる場所を訪れる部分を中心にいながら旅を進めます。また、見出しや章節の区切りは、私が付けたものであり、小説のそれとは必ずしも一致していませんので、ご留意ください。


第1章 二見輿玉神社の誘い

1 伊勢へ

 主人公橘樹雅は、前旅に大和出雲で出会った謎の老翁鏑木団蔵から「伊勢を知らぬと、出雲の半分しか分からん」と言われ、同行した金澤千鶴子とも次は伊勢だと話し合っていましたが、伊勢で開かれる学会に担当教官の御子神伶二が参加すると知り、現地で御子神から直接話が聞けると期待して、彼が足を運ぼうと計画している二見輿玉神社に同行させてもらいたいと頼み込みます。

 4月半ば過ぎ(2008年)の土曜日の朝9時前、雅が品川駅から乗車した新幹線が名古屋駅に到着します。

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 近鉄名古屋駅の改札口で御子神と待ち合わせ、8時50分発の近鉄特急に乗車します。伊勢市駅まで1時間20分です。座席に腰を下ろすと、御子神は、雅が伊勢や神宮について知っていることを聞いていきます(伊勢神宮は、皇祖神であり、日本人の総氏神でもある天照大御神を祀る最高位の神社で、内宮と外宮のほか、14の別宮、43の摂社、24の末社、34の本宮所管社と8の別宮所管社、合わせて125社の総称。詳しくは小説をご覧ください)。

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 10時過ぎに到着すると、JR伊勢市駅で参宮線に乗り換え、二見浦駅に向かいます。快速みえで2駅約8分です。御子神は、雅に『お伊勢参りは、まず二見浦にて浜参宮』- 神宮に参拝する前に二見輿玉神社で禊祓いをする(禊ぎを担う祓戸大神ではないのに先に参拝する)意味を尋ねます。

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 雅は主祭神の猿田彦神が導きの神だからと答えますが、御子神が祓戸大神以外にも可能であれば先に参拝すべき神がいるだろうと投げかけると、雅は地主神だと気付きます(第三旅の出雲大神宮(第3節・黒太夫社)でもそういう話が出てきましたね)。すると、御子神は、『伊賀国風土記』に猿田彦神が伊勢一帯を治めていたとの記述があることを話してくれます。


2 二見輿玉神社

二見浦駅

 1993年に建てられた、夫婦岩をモチーフにした、作中では大小のホールケーキ4分の1個分を向かい合わせた形と表現される、全面ガラス張りの二見浦駅に到着すると、二人はタクシーに乗車し、駅前ロータリーに立つ鳥居をくぐって神社に向かいます。車で約5分です

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一の鳥居

 駐車場でタクシーを降り、左手に広がる伊勢湾を眺めながら歩いていくと、正面に「二見輿玉神社」と刻まれた社号標が、左手に真っ白い一の鳥居が見えてきます。

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 大正15年(1926年)に奉献された一の鳥居は、笠木と貫が四角形の神明鳥居です。貫に飾られているのは、二見輿玉神社の神紋「裏花菱」で、別名「裏見花菱」と呼ばれていると聞き、雅は、伊勢の土地を奪われた猿田彦神が恨みに思い、伊勢神宮の神紋の花菱を裏返しにして神紋としたのではと考えます。

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 社号標と鳥居の間に立っているという、青銅の屋根付き由緒板がこちらで、有名な夫婦岩はあくまで拝所であり、この神社で拝むべきは海上の「輿玉神石」であると記されています。

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 鳥居のすぐ脇に立っている、年季が入っているこちらの駒札には、「輿玉神岩」は、現在は海中に没しているが、立石である夫婦岩の沖にあると記されています。また、神宮に参拝する前にこの浜でお祓いを受けることを「浜参宮」と言い、海水に浸かって禊をするのが本来だが、現在では、この神社に参拝し、無垢鹽草(むくしおくさ)で身を清めるのが一般となっているとあります。

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誓子句碑・さざれ石

 鳥居をくぐって右手に緩くカーブした参道を歩くと、左手に「初富士の鳥居ともなる夫婦岩」という山口誓子の句碑さざれ石が置かれています。

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二の鳥居

 石灯籠を越えて、砂利道の参道を更に進むと、二の鳥居が見えてきます。

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 右手に二基の大灯籠が控える二の鳥居は、笠木の両端に少し反り増しを設けた神明鳥居で、昭和30年(1955年)に奉献されたものです。

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 鳥居の前後の海岸沿いの石積みの上には、大きな蛙の石像が置かれています。作中では猿田彦神の仲間の川の民(川衆)を表しているとしていますが、二見蛙の奉献の由来についてはこちらを参照してください。

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天の岩屋

 参道が突き当たった山側の岩窟の前には、朱色の鳥居を持つ社殿が建っています。社号標にあるとおり天の岩屋で、全国に複数ある天照大神の岩戸隠れ伝説の舞台とされる場所の一つです。社殿の右脇には、胸をはだけて踊る天鈿女命の石像も立っています。ただし、由緒には江戸の文禄年間に遷祀されるまでは宇迦御魂大神を祀っていた三宮神社であったとあり、現在は霊石を祀っているそうです。

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手水舎

 神札神符お受け所の隣にある手水舎では、大きな蛙の口から竹筒を伝って水が出ており(現在は竹筒が外されているようです)、水桶の中にも願掛け蛙が顔を覗かせています。男性は右側の蛙に、女性は左側の子沢山蛙に、水をかけて願掛けをします。

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日の出橋

 海上に見える、太い注連縄がかかった夫婦岩を眺めながら橋を渡ると、拝殿が見えてきます。作中では、よく晴れた日にここから富士山が望めることから富士見橋と呼んでいますが、夏至の頃、拝殿側から二つ目の擬宝珠の前を中心に夫婦岩からの日の出を拝むことができるとして、日の出橋とも言います。

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拝殿・本殿

 白を基調にしたコンクリート造り平屋建ての拝殿は、銅板葺き、切妻造りの屋根に切妻向拝を重ねた妻入りです。主祭神は、垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神を奉戴して、二見浦に御舟を停められたとき、海上の興玉神石に現れたという輿玉大神こと猿田彦大神で、天の岩屋内にあった三宮神社に祀られていた宇迦御魂大神が相祀されています。

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 雅が拝殿隣の社務所でいただいた無垢鹽草は、興玉神石の附近から採取したアマモを天日干しにしたもので、お風呂の湯水に浸して身体を清めたり、身につけてお守りとして用います。

二見輿玉神社のウェブサイトから引用)

 社務所と拝殿の間をすり抜けて進んだとき、御子神からきちんと確認しなくていいのかと言われて、雅が見上げた本殿の屋根には、主祭神である猿田彦神は男神であるのに、女神を祀る神社の特徴である、内削ぎの千木と偶数本(6本)の鰹木が載っていました。

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 御子神からは、伊勢の男千木・女千木に通ずる良いテーマを見つけることができ、わざわざ足を運んだ甲斐があったなと言われてしまいます。

日の神・皇居遙拝所

 本殿の裏には、神明鳥居が立ち、瑞垣が囲む日の神・皇居遙拝所があります。日の出の方向(日の大神)と皇居(内宮)を遥拝する場所で、正面には、かつて「立石」と呼ばれていた夫婦岩があります。

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 説明板によれば、夫婦岩は、沖合700mの海中に沈む興玉神石と日の出を拝する鳥居の役割を果たし、男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、二つの岩が寄り添っているように見えることから、夫婦円満や良縁の象徴と言われています。「結界の縄」とされる大注連縄は、長さ35m、男岩に16m、女岩に10mが巻かれ、その間の長さは9mあり、5月5日、9月5日、12月中旬の土日に張り替えられます。

 そして、夫婦岩の後ろに見えているのが、岩の上に蛙が飛び乗ったように見える、かえる岩です。

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 作中に、周囲900m以上、高さ7mほどの楕円形をした平岩とある、輿玉神石は、4月頃の大潮のときに肉眼で見ることができるときがあるそうです。

禊橋 ~ 契りの松

 輿玉神石に向かって手を合わせた雅は、禊橋を渡ります。写真の禊橋は平成27年(2015年)に竣工したものです。

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 禊橋を渡ると、土産物屋の前に、寛政12年(1800年)に二見浦の絵の賛として詠まれた「変わらじな 波は越ゆとも二見潟 妹背の岩のかたき契りは」と刻まれた本居宣長の歌碑と、契りの松があります。江戸時代末期に、阿波の国の男女が二見浦の浜で塩垢離(みそぎ)をして着物を松の木に掛けて結び、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したのが始まりで、昭和28年(1953年)の台風で流出していましたが、平成3年(1991年)に再現されました。

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龍宮社

 龍宮社は、海の守護神である綿津見大神(わたつみのおおかみ)を祭神とする境内社で、寛政4年(1792年)の大津波災害を契機に勧請されたものです。

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 雅たちは、龍宮社を参拝すると、もと来た参道を引き返しますが、折角ですので、もう少し東へ進んでみましょう。

東鳥居

 東参道を進むと、「二見輿玉神社」と「境内社 龍宮社」の社名を入れた鳥居の形をした看板とともに、東鳥居が立っています。朱塗りの神明鳥居です。

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 一の鳥居まで戻ってきたとき、御子神が雅に尋ねた「二見浦」という地名の由来については、五十鈴川がこの地で二手に分かれて注ぐことから呼ばれた「二水」が転じたという説や、倭姫命がその景色の美しさに二度見返ったことに由来するとする説、単に二度見するほど美しい景色だったからという説があります。

 そして、正式の参拝順序に従い、次は外宮に向かうという雅に、御子神は、何故『外宮先祭』なのかという課題を与えます。


第2章 豊受大神宮の待伏せ

3 月夜見宮

 二見浦駅で御子神と別れた雅は、JR参宮線で伊勢市駅まで戻りました。駅舎前の広場には、外宮参道への神明鳥居が立っています。正宮から別宮の順で参拝するのが通常ですが、雅は、外宮本体に参拝する前に、月夜見宮へ向かいました。西方向へ歩いて7分程度です

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 月夜見宮は、伊勢神宮の14ある別宮の中で唯一宮域の外、山田と呼ばれる地域にあり、楠や欅、杉が繁り、三方を堀に囲まれた森にあります。

伊勢神宮ウェブサイト掲載のイラストマップから切り抜き)

 入口に立つ社号標に書かれているとおり、外宮である豊受大神宮の別宮(『延喜式』では外宮の摂社とされていましたが、承元4年(1210年)に別宮に昇格)です。緑深い木々に囲まれる神明鳥居をくぐります。

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 続く参道は、作中にあるように、低い石垣に突き当たって、左へ右へと折れ曲がっています。第三旅(第16節)と前旅(第3節)で紹介したように、参道が曲がっているのは怨霊を祀る神社の特徴の一つで、ほかにも「川(橋)を渡る」、「最後の鳥居をくぐれない」、「祭神と対峙できない」、「祭神(本殿)を拝めない」などたくさんあるようですが、伊弉冉尊に会うために訪れた黄泉の国から逃げ戻った伊弉諾尊が身の穢れを禊ぎ祓った際に右の目から生れ出たという月読命も怨霊ということなのでしょう。

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 作中には、古殿地(新御敷地)を通り過ぎて社殿に進んだとあります。雅が訪れた2008年当時は、ちょうどこの写真のように、社殿が左側にあったようです。

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 20年に一度の神宮式年遷宮では、新しい社殿を元の場所のすぐ隣に建て、旧殿の敷地を「古殿地(こでんち)」、次の新しい社殿が造営される敷地という意味では「新御敷地(しんみしきじ)」と呼びます。平成25年(2013年)の式年遷宮(第62回)を経たこの写真では、社殿が反対の右側にあります。

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 木造の神明鳥居が前に立つ社殿は、周囲を瑞垣に囲まれた、萱葺き屋根の神明造りで、屋根に外削ぎの千木と奇数本(5本)の鰹木が載る男神を祀る造り(拡大)になっています。古くは正殿が二棟あり、天照大神の弟神といわれる月読命とその荒魂(月読命荒御魂)の2柱を別々に祀っていましたが、応永26年(1419年)の火災で焼失して以来、一つの社殿に2柱を合わせて祀っています。

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 月夜見宮社殿の右手後方には、周囲を高い瑞垣で囲まれ、外削ぎの千木と奇数本(3本)の鰹木を載せた高河原神社があります。月夜見尊御魂(荒御魂)を祭神とする外宮摂社で、古くからこの辺り一帯の守護神として信仰されてきたようです。注目してもらいたいのが、神宮の社殿では通例見られない賽銭箱が置かれていることです。

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 月読命は男神で間違いなさそうだと確信した雅は、月夜見宮を後にします。


4 神路通り

 境内を出た雅は、外宮北御門口へと続く300mほどの道を進みました。歩いて7分程です。月読命が外宮祭神である豊受大御神のところへ通ったという神話から神路通りと呼ばれています。こちらが作中に「月夜見尊が夜な夜な外宮へ通い給う、神の通い路であった。つまり御幸道であった」と書かれていたとある「神路通りの歴史」という説明板です。

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 こちらの説明板にも、月読命は夜になると、石垣の一つに杖をあてて白馬に変え、その馬に乗って行かれたとあり、人々は神様に出逢わないよう畏れつつしんで(夜はこの路を通らず)、道の真ん中を避けて端を通ったとあります。

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 神路通りの真ん中には、作中にあるとおり、神様が通るところであり、踏んではいけない部分を示す、黒い敷石が一直線に敷き詰められています。

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 雅は、出雲の神迎えの道のことを思い出します。


5 外宮(豊受大神宮)

 正式名を豊受大神宮といい、主祭神の豊受大神は、『古事記』では豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)と表記される、伊弉冉尊の尿(ゆまり)から生まれた和久産巣日神(わくむすびのかみ)の子神で、天照大神がこの地に鎮座してから約500年後の雄略天皇22年(478年)に、「自分一人では安らかに食事ができない」との神託により、天照大神の食べ物を司る御饌都神(みけつかみ)として丹波国の比治の真名井から迎えられました。『丹後国風土記』逸文にある、真奈井で水浴をしていたところ、老夫婦に羽衣を隠されて天に帰ることができなくなり、老夫婦の家に身を寄せて酒を造り方を教えて夫婦を富ましめたが、その後追い出され、漂泊した末に京都の奈具社に鎮まったいう天女こそが豊受大神だという説もあるそうです。

伊勢神宮ウェブサイト掲載のイラストマップから切り抜き)
裏参道

 外宮の北御門口に辿り着いた雅が手と口を清めたのは、左手にあるこちらの手水舎です。

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 続いて、勾玉池へと流れ込む堀川(防火のために神域の入口に造られた細い川)に架かる火除橋を渡り、裏参道を進みます。現在は裏参道(正式には北御門参道)となっていますが、明治時代まではこちらが表参道でした。立てられている木札にあるとおり、外宮の宮域内が左側通行であるのは、手水舎が左側にあるからだとか。右手にある正宮に対して遠い側を歩くという敬虔な気持ちを表しているとも言われています。

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 皇室から献上された神馬がいる御厩を右手に眺めながら進みます。神馬は、「神馬牽参」といって、毎月1日、11日、21日の8時頃に朱色の頭絡と白く染め抜いた菊花紋の馬衣をつけて正宮にお参りします。

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 森々たる木々に囲まれて立つ神明鳥居をくぐります。北御門鳥居で、深閑とした砂利道の参道はここから緩やかに左へ大きくカーブしています。

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 参道沿いに建つ、雨天時の祭典でのお祓いや遙祀を行うための建物で、正面の長さがそれぞれ五丈、九丈(一丈は約3m)ある五丈殿・九丈殿を過ぎて、突き当りをほぼ直角に右に曲がります。

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正 宮

 正殿が鎮座する正宮は、現在(2013年から)は、東側に古殿地(御敷地)がある配置となっていますが、雅が訪れた2008年は西側に古殿地がありました。正殿は、内側から瑞垣、内玉垣、外玉垣、板垣の四重の玉垣に囲まれています。正殿前には東宝殿、西宝殿があり、献上された幣帛や古神宝が納められています。外玉垣の外側、東北の隅にある御饌殿では、毎日朝夕二回、天照大御神に神饌を供えられています。

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 正面に立つのは、衝立のような蕃塀です。一般には、社殿を直視できないようにするため、又は不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされていますが、雅は、作中後半、前旅(第4節)で宮島の嚴島神社本殿裏手にある不明門を引き合いに出して大神神社の三ツ鳥居について考えたように、中にいるのが怨霊神なのであれば、その神が外に出ないようにするために建てられているのではないかと考えます。

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 参拝は、神明鳥居をくぐった、外玉垣南御門の前で行います。萱葺き屋根には、外削ぎの千木と奇数本(5本)の鰹木が置かれています。

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 その先の内玉垣南御門も同じく男神を祀る造りになっています。そして、正殿は、内宮と同じ、伊勢神宮だけの唯一神明造と呼ばれる建築様式。地面の穴に直接柱を立てる日本古来の掘立式で、棟の両端にある太い棟持柱が萱葺きの切妻屋根を支える、平入り高床式の建物です。

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 雅は、正宮脇に回り込んで正殿を眺めますが、その千木も男千木(外削ぎ)で、鰹木は奇数本(9本)でした。女神の豊受大神を祀っているはずなのにどうしてかと、雅はわからなくなります。

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 参拝を終えた雅が横目に見て通り過ぎたのが、こちらの三ツ石です。御敷地の南側にある、3つの石を重ねた石積みで、御装束神宝などを祓い清める式年遷宮の川原大祓が行われる場所で、パワースポットとして手をかざす人がいるそうです。

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多賀宮

 雅は、高倉山の天岩戸の入口を塞いでいたと伝わり、亀に似ているところから亀石と呼ばれる、御池に架かる一枚岩の橋を渡り、正宮の次に参拝するとされる第一の別宮、多賀宮に向かいます。

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 続いて、98段あるこちらの長い石段を登ります。

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 石段を上った先には、木製の柵の方から見るとお地蔵さんの寝姿に見えることから、寝地蔵石と呼ばれる石があります。

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 多賀宮(たかのみや)は、豊受大神の荒御魂を祀り、4つある外宮の別宮の中で唯一『延喜式』に記載されている、最も格式が高い別宮です。檜尾山の高い場所に鎮座しているため、かつては「高宮」と呼ばれており、それが「多賀」に転じたとされますが、雅は、水野教授が講義で全国のタガ神社の「タガ」は「身動きが取れないようにする」という意味の「箍」だと説明したことを思い出し、豊受大神の荒御魂を封じ込めているのだろうと考えます。

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 多賀宮には鳥居がなく、外削ぎの千木と奇数本(5本)の鰹木を載せた神明造です。

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土 宮

 参拝を終えた雅は、石段を下りた左側の杉木立の中にあり、豊受大神が鎮座するよりも古くから外宮宮域の山田原の土地を守護している地主神の大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀っている土宮に向かいます。かつては田社の一つでしたが、崇徳天皇の大治3年(1128年)に宮川の治水、堤防の守護神として別宮に昇格しました。ほかの別宮がみな南を向いているのに対し、この土宮だけは東を向いています。つまり、西の宮川の方を向いて祈ります。古来宮川水域は氾濫による被害に悩まされていたことから、鎮守の神として、宮川に敬意を表するように祀られたとされています。

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風 宮

 多賀宮への石段の反対側にある風宮に参拝します。祭神は、内宮別宮の風日祈宮と同じ、風雨を司る神の級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)です。かつては風社という小さな社でしたが、弘安4年(1281年)の元寇の際、その神威によって神風を吹かせて元の船団を壊滅させたとされ、その功績により正応6年(1293年)に別宮に昇格しました。男女一対の神と考えられていますが、千木は外削ぎで、鰹木は奇数本(5本)です。

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表参道

 別宮の参拝を終えた雅は、帰りは表参道を選びますが、その前に、五丈殿・九丈殿の南側の玉砂利の庭に、一段高い石畳の上に榊が1本立っている場所に祀られている、四至神(みやのべぐりのかみ)に参拝します。外宮全体の守り神であり、「四至」は神域の四方を意味しますが、雅は、「死に至る神」、物言わぬ石にされてしまった神なのではないかと考えます。

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 こちらが雅が途中くぐった二の鳥居です。皇族が参拝するときは、ここで車を降りてお祓いを受けます。向こうに祓所が見えていますね。

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 表参道の右手(東側)に勾玉の形に広がる勾玉池を眺めながら、雅は、この外宮には「縛られ」「絞めつけられ」「石にされた」神々の痕跡が多く残っていると思うのでした。

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 雅は、この一の鳥居をくぐり、深く一礼しました。

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 最後に、表参道火除橋を渡り、境外に出ます。

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 雅が千鶴子からの電話を受けたとき、バス停前で眺めたという2基の大きな灯籠というのは、こちらです。

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 千鶴子と内宮で待ち合わせることにした雅は、千鶴子から勧められた倭姫命陵墓参考地に向かいます。伊勢市駅からタクシーで約5分です


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 今回の投稿での旅はここまでです。最初に訪れた二見輿玉神社から、男神(猿田彦神)を祀っているはずの本殿の千木が内削ぎの女千木であるという謎に遭遇し、外宮でも、女神(豊受大神)を祀っているはずの正殿の千木が外削ぎの男千木でしたが、雅は、伊勢の千木の謎を解けるのでしょうか。次回、第2章の続き、第6節からいながら旅を続けます。

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