高田崇史の小説『鬼統べる国、大和出雲 古事記異聞』de いながら旅(1)

● 高田崇史
● 高田崇史古事記異聞鬼統べる国、大和出雲

 小説をガイドブック代わりに、登場人物たちの足跡を辿りつつ、時には寄り道もして、写真や観光資料、地図データなどを基に、舞台となっている世界各地を紹介しながらバーチャルに巡礼する、小説 de いながら旅の第9シーズン。高田崇史の『古事記異聞シリーズ』を取り上げて、旅の舞台を日本に移したシーズンの第4部です。第1部、第2部又は第3部のいながら旅を引用する場合は、それぞれ第一旅第二旅第三旅(又は前旅)と表記します。また、『古事記』や『日本書紀』を引用する箇所に頁数を記載している場合は、第一旅のガイドブックの項で紹介した各文庫版の現代語訳の頁数です。

この旅のガイドブック

 今回(第4部)の旅のガイドブックは、民俗学を学ぶ大学院生の主人公橘樹雅(たちばな みやび)が研究テーマの本質を探求するためゆかりの土地を巡る『古事記異聞』シリーズの4作目『鬼統べる国、大和出雲 古事記異聞』で、当初2020年11月に講談社ノベルス『古事記異聞 鬼統べる国、大和出雲』として刊行されていた作品で、文庫化(2022年5月)に伴い、主要な登場人物に松本救助作画によるキャラクターイメージを与え、題名の主複を入れ替えて発行されたものです。

 出雲編完結の第4部では、主人公橘樹雅は、在野の民俗学者金澤千鶴子とともに奈良・三輪の大神神社を訪ね、出雲族の痕跡を探し求めます。今回は事件に巻き込まれることはありませんが、何者かに監視され、謎の老翁が接触してきて、大和に存在した出雲村と野見宿禰(のみのすくね)伝説が雅を真相へ導きます。

 なお、雅が千鶴子や老翁と民俗学談義をする部分については適宜割愛し、登場人物が舞台となる場所を訪れる部分を中心にいながら旅を進めます。また、見出しや章節の区切りは、私が付けたものであり、小説のそれとは必ずしも一致していませんので、ご留意ください。


プロローグ

 京都から帰った主人公橘樹雅は、前旅で知り合った水野研究室の大先輩の民俗学者金澤千鶴子から、伊勢の神と三輪の神が同体で、元伊勢の籠神社には祭神の彦火明命(ひこほあかりのみこと)が上加茂神社の祭神である賀茂別雷神と異名同神という伝承があり、また、賀茂別雷神の父神は、松尾大社祭神の大山咋神、つまり大物主神であり、それらを俯瞰すれば全てが繋がり、三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)に集約されると聞かされ、大和(奈良)にも「出雲」が存在すると感じ、千鶴子のフィールドワークに同行したいと申し出たのでした。

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 『先代旧事本紀』に登場する天照国照彦火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)は、彦火明命の別名であり、饒速日命(にぎはやひのみこと)とも同一視されています。また、『山城国風土記』逸文では、賀茂建角身命の娘である玉依姫命が川上から流れてきた丹塗矢を持ち帰って感精し、生まれたのが賀茂別雷命で、父は火雷神あるとされていますが、同様の話が『古事記』(178頁)や『秦氏本系帳』にもあり、俗説として賀茂別雷命の父は大山咋神であるとする考えが見受けられ、日吉大社には、大山咋神と大物主神が同神であるとする伝承も残っています。


第1章 神の放つ白羽矢

1 三輪へ

 4月、桜が満開を過ぎたころ、雅は、品川駅を午前6時に始発する博多行きの新幹線のぞみ99号に乗車し、京都に向かいます。

(2025年の旅行時の写真)

 午前8時2分に京都駅に到着すると、新幹線改札口で千鶴子と落ち合います。

(2025年の旅行時の写真)

 二人で近鉄に乗り換えます。特急に乗車した場合、現在は2回乗り換えますが、三輪駅まで約1時間半です。

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 作中に出てくる、天香具山、畝傍山、耳成山という大和三山の風景は、2017年に藤原京跡を訪れた際に見てきました。写真中央の山が畝傍山です。

(2017年旅行時の写真)

 途中に平城宮跡歴史公園の朱雀門が見えるという記述がありますが、車窓から見えるのは近鉄奈良線に乗った場合で、雅たちが乗ったと思われる橿原線からは見えません。


第2章 大いなる神坐山

2 率川神社

 奈良市内に住む鏑木団蔵は、出雲大社と伊勢神宮を結んだ一直線上にあるという神棚に出雲の国の永遠の弥栄を祈った上、奈良公園から猿沢池を経由して、三条通りから本子守町へ、日課としている率川(いさがわ)神社の参拝に出かけます。

率川神社ウェブサイトから引用)

 やすらぎ通り沿いに立つ社号標と注連縄を掛け渡した石柱の鳥居に続き、朱塗りの両部鳥居をくぐって境内へ入ります。

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 率川神社は、正式名を率川坐大神御子神社(いさがわにますおおみわみこじんじゃ)と言い、推古天皇元年(593年)に勅命により大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が創建した奈良市最古の神社で、現在は大神神社の境外摂社となっています。

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 団蔵が手と口を清めた手水舎は、左側奥にあります。

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 団蔵は、拝殿の朝の静謐な空気の中で参拝します。

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 奈良県の有形文化財に指定されている本殿は、檜皮葺き、春日造りの一間社が三棟並び建てられ、障屏により繋がっており、中殿に神武天皇皇后である媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が、左殿に父神である狭井大神(さいのおおかみ=大物主神)、右殿に母神である玉櫛姫命の父母神が御子神を見守るように祀られていることから、子守明神とも呼ばれています。

大神神社ウェブサイトから引用)他の画像

 作中に出てくる、「三枝祭(さいくさのまつり」は、媛蹈韛五十鈴姫命が暮らしていた三輪山の麓に流れる狭井川の畔に笹百合(さいくさ)が美しく咲き誇っていたことに由来し、当日は境内が多くの笹百合で飾られ、笹百合を持って舞う巫女の舞が奉納されることから、「ゆり祭り」とも呼ばれる、毎年6月17日に行われる率川神社の例祭です。三島由紀夫が「これほど美しい神事は見たことがなかった」と書き記しているのは、彼の最後の長編小説『豊饒の海』の第2巻『奔馬』です。

奈良市観光協会ウェブサイトから引用)

 団蔵は、拝殿を巡って、右手奥に鎮座する境内摂社・末社に向かいます。大国主命の子神の事代主神を祀る阿波社は、宝亀2年(771年)に藤原是公が夢のお告げにより阿波国から勧請したと伝えられる、『延喜式』にも記されている、奈良市最古の恵比須さんです。

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 阿波社を挟む左右の末社は、左側が住吉三神(上筒男命、中筒男命、底筒男命)及び息長帯比売命(神功皇后)を祀る住吉社で、右側が春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)の4柱を祀る春日社です。

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 参拝を終えた団蔵が戻る途中に視線を移したのは、「はね蘰(かずら) 今する妹をうら若み いざ率川の音の清けさ」という詠み人知らずの歌が刻まれた自然石の万葉歌碑でした。現在、率川は暗渠となっているようです。

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 最後に、団蔵は、大神神社遥拝所に立ち寄り、出雲の安寧を祈りました。高さ約2mの衝立式の石碑で、正面上部には、大神神社に収蔵されている、平山郁夫が描いた「神の山 三輪山の月」を陶板画にしたものがはめ込まれています。

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 なお、遥拝所の右側には、蛙石(かえるいし)と呼ばれている石があります。お金がかえる、若がえる、無事かえるなどにつながって縁起が良いとされ、健康回復・旅行安全・金運アップなどを願って撫でることから「撫で蛙」とも呼ばれています。

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 団蔵は、何故笹百合が「さいくさ」と呼ばれるのか、祭りの必需品とされているのかを知る人間も殆どいなくなったと嘆きつつ、神社を後にするのでした。


3 大神神社

三輪駅

 雅たちが到着したJR三輪駅は、無人改札の小さな駅舎でした。

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 千鶴子が大物主神の化身の白蛇のお供え用に卵と日本酒を購入した土産物屋にぴったりのお店は、Googleマップ上、駅周辺には見当たりません。写真は、駅の正面にある〈今西酒造駅前店 Cafe三輪座〉です。

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 千鶴子が歩き出したのは、神社とは反対側にある、大鳥居の方向でした。作中には南に行った場所とありますが、実際は駅から西の方向に歩いて10分足らずです

大鳥居

 大神神社の大鳥居は、昭和天皇の親拝と在位60年を奉祝して、昭和61年(1986年)に耐候性鋼板で建立されたもので、高さ32.2m、柱間23m、柱の直径3m、笠木の長さ40.86mとなっています。

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 雅たちは、聳え立つ大鳥居を横目に眺めながら、広い参道の手前の細い道に入りました。

綱越神社

 大鳥居の少し南、旧参道入口の三輪の馬場先に建つ、大神神社の摂社の綱越神社は、『延喜式』にも記されている古社で、祓戸大神(はらえどのおおかみ)4柱を祀り、通称「御祓(おんぱら)さん」と呼ばれ、毎年「夏越の祓」が行われます。

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 直角に折れた参道から鳥居をくぐると、民家のような瓦葺き、切妻造り、中入りの小さな拝殿が建っています。

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 拝殿奥の長押には、作中にあるように「おんぱら社」と書かれた天然木一枚板の額が掛かっています。

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 背後には、瑞垣に囲まれた中に、一間社ながら、千木鰹木を載せた風格のある春日造りの本殿が鎮座しています。

Googleマップ

 こちらが雅たちが見学した、境内奥の夫婦石です。

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 旧参道に戻って一の鳥居に向かいます

一の鳥居

 官幣大社大神神社とある社号標の横に、一の鳥居が立っています。

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 作中の大神神社参道図にも示されているように、旧参道は、この一の鳥居をくぐって大神教本院の手前で左に折れ、更に右に折れて現在の参道に合流します。参道が折れる意味については、前旅で怨霊を祀る寺社の特徴の一つだと紹介しましたが(第16節)、雅によれば、怨霊は一直線にしか進めないとの迷信に基づき、わざと参道を折れ曲がらせていると、水野教授から教わったようです。こちらにも言及されています。

大神教本院

 大神教本院は、元々大神神社に付設されていた教院でしたが、明治の神仏分離令の際に独立して創設された寺院だそうです。

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 こちらが境内奥に立っている、3基の鳥居が三角柱を模るような形で組み合わされた三柱鳥居です。雅も見た由緒書によると、宇宙の元霊神(もとつみたまのかみ)の三つの神理に参入する特殊な鳥居とあり、『古事記』の冒頭(35頁)に登場する造化三神の深淵なる神理を感得し、尊い神縁に結ばれる鳥居だそうです。

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 千鶴子によれば、この鳥居の原形は、別名を「蚕の社」という京都・太秦の木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)にあり、東京・向島の三囲神社(みめぐりじんじゃ)にも同じ形の鳥居があるとのことです(2025年10月に見てきました)。「三つ巴」に関係していると話しますが、雅にはピンときません。

二の鳥居

 雅たちは、三輪参道を東に進み、踏切を越え、鬱蒼とした緑に覆われ、「三輪乃神」の扁額が掛かる二の鳥居に達します。歩いて約8分です。鳥居の左手前には「大神神社」と刻まれた社号標が立ち、左脇には「幽玄」と白字で書かれた看板が立っています。

Googleマップ
大神神社ウェブサイトから引用)
参 道

 鳥居をくぐると、奥に深遠な空気に包まれたつま先上がりの参道が続いています。

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 緩やかにカーブした先には、御手洗橋があり、こちらに列記されていますが、作中にも太宰府天満宮や熊野本宮大社を例に挙げ、橋(川)を渡るというのも、怨霊を祀る神社で多く見られる特徴とあります。

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祓戸社

 橋を渡ってすぐ左手に、祓戸大神の4柱を祀る祓戸社があります。

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夫婦岩

 石段を10段上ると、右手に縁結び・夫婦円満祈願絵馬掛け所の立て札のある鳥居があります。

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 奥には、日本酒や卵を供える棚の向こうの瑞垣の中に、二つの岩が寄り添う夫婦岩があります。

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 由緒書によると、大物主神と玉櫛姫命との三輪山説話を伝える古跡で、中世の古絵図に聖天岩として描かれた磐座で、縁結びや夫婦円満に御利益があるとされています。

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手水舎・志るしの杉

 こちらが二人が手水を使った石段下の手水舎です。

Googleマップ他の画像

 作中にあるように、酒樽を抱いた蛇の彫像の口から水が流れ出ており、コロナ禍以降、柄杓は置いていないようです。

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 手水舎の後ろには、元々は拝殿前の斎庭に聳えていた「三輪の七杉」の一つで、大物主神があらわれたとされる神杉、志るしの杉の根株があります。

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縄鳥居

 石段を上って、太い注連柱に渡したこの注連縄(縄鳥居)をくぐります。

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巳の神杉

 境内右手に立っているのが、巳の神杉と呼ばれる樹齢400年余杉の巨木です。

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 由緒書によれば、大物主神が蛇神に化身したという伝承があり、「白い巳さん」がこの杉の洞から出入りするとされており、雅も運よく白蛇の尻尾を目撃したようです。

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 上の写真の献物用の棚に写っているように、千鶴子も持参した日本酒と卵を供えました。

拝 殿

 檜皮葺き、桁行九間梁行四間の切妻造り、正面に唐破風の大向拝を設けた拝殿は、寛文4年(1664年)に4代将軍徳川家綱によって再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。本殿は設けられておらず、神体山である三輪山を直接拝する神奈備信仰様式をとっています。

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 内部は、中央一間分の床が一段下がり、床を左右に区切る割拝殿となっています。

三輪鳥居

 明神鳥居の両脇に小さな明神鳥居を組み合わせた形で、中央の御簾が下がった部分が本殿の御扉の役割を果たし、この三ツ鳥居を通して三輪山を遥拝するようになっています。雅たちは、申し込んで神職の方に案内してもらって間近で「三輪鳥居」を見ましたが、コロナ禍以降拝観が中止されているようです。この御扉が開けられるのは年に一度、元旦の繞道祭(にょうどうさい・「ご神火まつり」とも言います)のときだけで、三輪山で鑚り出された神火がこの鳥居をくぐって届けられるとの説明を受けますが、雅は、納得できない様子で、何かを思いついたようです。

大神神社ウェブサイトから引用)

 三ツ鳥居の起源は、古文書にも「古来一社の神秘なり」とあり、わかっていませんが、現在の鳥居は、明治16年(1883年)の再建で、国の重要文化財に指定されています。

 因みに、第一旅(第13節)で紹介した出雲の長浜神社にも三ツ鳥居はありましたが、全国に見られます。2025年10月には、東京・向島にある牛嶋神社の三ツ鳥居を見てきました

祈祷殿・儀式殿・参集殿

 平成の大造営により平成9年(1997年)に竣功した銅板葺き、檜造りの平安朝様式の社殿で、日々の祈祷や結婚式が行われる、祈祷殿(中央)と儀式殿(左)、右が二人が三輪鳥居の拝観を申し込んだという参集殿です。

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 社殿を右手に眺めながら通り過ぎます。

久すり道・磐座神社
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 途中右側、鳥居の向こうに、瑞垣で囲われた磐座を神座として、大物主神と共に国土を開拓し、薬の神様としても信仰されている少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀る、摂社の磐座神社があります。

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市杵嶋姫神社・狭井神社

 「狭井神社」と刻まれた社号標とともに立つ石鳥居をくぐります。

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 続いて、左側に広がる鎮女池の縁に朱塗りの鳥居が立ち、短い太鼓橋の向こうの小島に赤い春日造りの一間社が建っています。宗像三女神の末妹であり、水の神で芸能を司る弁財天と同体とされる市杵島姫命を祀る市杵島姫神社です。

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 しばらく歩いた池の畔に、三島由紀夫の記念碑「清明」説明板が立っています。『奔馬』の執筆前の昭和41年に、三輪山に登拝した三島が色紙に残した揮毫です。

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 10段ほどの石段を上って、注連柱に渡された注連縄(縄鳥居)をくぐって、檜皮葺き、唐破風向拝を設けた入母屋造りの拝殿に向かいます。

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 『延喜式』に狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおみわあらみたまじんじゃ)と記される狭井神社は、垂仁天皇の時代に創建されたとされる古社で、大物主神の荒魂を主祭神とし、大物主神、媛蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多々良姫命、事代主神を配祀する大神神社の摂社です。病気平癒の神様として崇められており、華鎮社(はなしずめのやしろ)又はしづめの宮と称されています。先に紹介した鎮花祭は、大宝律令に国の大祭として毎年行うことが定められています。

 雅は狭井(さい)というからには塞の神ではないかと言い、千鶴子は大物主神が配祀されているから大神荒魂神が猿田彦神のことだと答えますが・・・

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 こちらが雅たちが喉を潤した、万病に効くという薬水が湧き出るという、拝殿脇にある薬井戸です。作中にあるように、注連縄が巻かれた大きな亀のような岩が置かれており、横にぐるりと並ぶボタンを押して御神水を拝戴するようです。

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 こちらが三輪山登拝口です。

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 雅が目を通した「『神体山』登拝者へお願い」がこちらで、確かに作中にあるようなことが記載されています。

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 千鶴子は、狭井神社の拝殿も本社の拝殿も真東を向いており、北東方向にある神体山の三輪山山頂を拝んでいないことに気づきます。三輪山登拝どころではなくなり、狭井神社の授与所や参集殿で神職に訊いてみますが、納得のいく説明は受けられません。

(Googleマップ)

 なお、大物主神が鎮まったとされる『記紀』の「御諸山」「三諸山」を、現在の三輪山ではなく、ダンノダイラ、巻向山、泊瀬山の三つの山の並びと見る考え方(桜井市出雲出身の榮長増文氏が提唱)もあるようです。

「ものづくりとことだまの国」から引用)

 山頂を直接拝むのは失礼に当たるという神職の話に疑問を抱いた千鶴子は、確認したい場所があると言って、雅を境内末社の久延彦神社に伴います。

久延彦神社

 久延毘古命は、『古事記』(115頁)に「今に山田の曾富謄(そほど)という者なり。この神は足は行(ある)かねども、天下の事を盡く知れる神」とあり、案山子のことで、本作では、産鉄民の象徴であり、蓑笠姿が素戔嗚尊に通じると考えられていますが、久延彦神社では、この参道入口の立て札にも記されているように「知恵の神様」として祀っています。

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 鳥居をくぐりながら長い石段を上ります。

Googleマップ他の画像

 境内に到着すると、作中に神社というよりむしろ寺社を思わせるとある、瓦葺きの小さな社殿が迎えます。

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 雅たちは、まず拝殿の中で手を合わせます。拝殿左隅には、作中にあるように、「知恵ふくろう」と呼ばれるフクロウの置物があります。フクロウは、”不苦労” や ”福来朗” とも書かれ、顔が四方八方に回り、物事を早く察知し、見通しがきき、小さな事でも聞き逃さないことから、先見性に富んだ縁起の良い霊鳥とされています。

Googleマップ

 拝殿の前は展望台になっており、大神神社の大鳥居や耳成山のほか、葛城山や金剛山まで見渡すことができます。

Googleマップ

 参拝を終えた二人は、拝殿脇の合格祈願などの絵馬掛け所の方に進みます。

Googleマップ

 千鶴子が指差したのは、一枚の看板が立つ神山遥拝所でした。その場所で、二人は、2本の樹木の間に渡された、白い紙垂が下がる細い注連縄の向こうに、青々とした三輪山山頂を確認します。山頂を直接拝むのは失礼という神職の言葉は矛盾しますし、そもそも登拝を認めている三輪山を神聖不可侵の山というのはおかしいことになります。

Googleマップ

 二人は、神社を出てこれまでのことを整理するため、二の鳥居近くの喫茶店に入ります。


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 今回の投稿での旅はここまでです。次回、第3章からいながら旅を続けます。

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