高田崇史の小説『オロチの郷、奥出雲 古事記異聞』de いながら旅(3)

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● 高田崇史オロチの郷、奥出雲古事記異聞

 『オロチの郷、奥出雲 古事記異聞』をガイドブックとする、第9シーズン第2部のいながら旅も、この投稿が最終回です。第4章からいながら旅を続けます。雅は、今度こそ「櫛」に関する謎を解き明かすことができるでしょうか。そして、雅が当初から疑問に思っている、『出雲国風土記』に八岐大蛇退治が登場しない謎は解けるでしょうか。


第4章 瑞 祥 雲

16 八本杉

 八本杉は、遠くからでもそれと分かる大きな杉の木立で、島根県雲南市木次町里方の住宅地の中にある、背の低い柵で囲まれた公園のような場所(151㎡)にあり、須佐之男命が八岐大蛇を退治した場所と伝承されています。

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 『雲陽誌』によると、かつてはここに斐伊波夜比古神社が鎮座していたとされており、入口には鳥居が立っています。

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 須佐之男命が退治した大蛇の八つの蛇頭をこの地に埋め、記念に八本の杉を植えたとされており、鳥居の反対側、2本の石柱の向こうに「八本杉」と刻まれた大きな石碑が建てられています。ただし、こちらによると、大古からの大杉は寛永10年(1633年)の大洪水やその後の洪水で流出し、現在の杉はその都度捕植されたもののようです。

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 雅は、出雲神話の主役はなんといっても須佐之男命と八岐大蛇だとあるこちらの説明板を読み、改めて八岐大蛇退治が『出雲国風土記』に載っていないギャップに首を捻ります。

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 続いて、「八俣大蛇伝説由縁の地 八本杉」という説明板にも目を通します。須佐之男命が「我たのむ 人を恵みの 杉植えて 八重垣かこみ 守る末の代」と詠み、大蛇の怨霊を閉じ込めるために「八重垣」を作ったとあることに、奇稲田姫命を守るために作った八重垣との違いに頭を悩ませます。 なお、この歌は『記紀』にはなく『雲陽誌』に載っている歌らしいです。

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 車に戻り、源太に斐伊神社に向かってもらいます。木次線の踏切渡ってすぐです


17 斐伊神社

 石柱の間に注連縄を渡しただけの鳥居をくぐってすぐ、自然石の社号標石鳥居があり、そして、雅が嘆息した長い石段が続きます。

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 最初の石段を上り、左に向かって二つ目の鳥居をくぐると、更に石段が続きます(境内図参照)。雅は、棒になってきた足を必死に上げ、息を切らしながら境内に辿り着きます。勇み型の狛犬が迎えてくれます。

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 雅が読んだ古めかしい由緒書き「斐伊神社概記」によると、斐伊神社は、主祭神は、須佐之男命、稲田比売命及び伊都之尾羽張命(いつのおはばりのみこと)で、合殿された斐伊波夜比古神社の祭神の樋速比古命(ほかに甕速日命火炫毘古命)が合祀されています。また、孝昭天皇5年(紀元前471年)には氷川神社(埼玉県)に分霊し、二つの樋社が併合したのが天平時代、斐伊神社と改称したのが神亀3年(726年)とされています(社頭の説明板によると、江戸時代には「宮崎(埼)大明神」と呼ばれていたようです)。そして、神紋は「二重亀甲に交い鷹の羽」となっています。

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 境内正面の入母屋造りの拝殿は、青枠に金字の扁額が美しく、注連縄も雅が言うように太くて立派ですが、アルミサッシの入口は不釣り合いですね。

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 ここの本殿も、大社造り、切妻造りの妻入りで、男千木と奇数本の鰹木が載っています。

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 本殿の右側には、境内社の日宮八幡宮(誉田別命、足仲彦命、息長足姫命)があります。

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 本殿の左側の境内社は、稲荷神社(宇迦御魂神ほか3柱)と廿原神社(古那比売命)で、この社の後ろにも小さな祠のような稲荷社があります。

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 狛犬の脇から上った一段高いところには、境内社の火守神社(迦具土命)があります。

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 参拝を終えた雅は、長い石段を下りながら、奥出雲を回ってみて、改めて素盞鳴尊だらけで、八岐大蛇伝説で溢れかえっていると思いました。そして、斐伊川が八岐大蛇の正体なのかは判然としないが、少なくとも「鉄」に関係していたことは間違いないと考えます。


18 河邊神社

 『出雲国風土記』(飯石郡253頁)及び『延喜式』に記載のある古社、河邊神社は、島根県雲南市木次町上熊谷、逆Cの字に湾曲する斐伊川の中心にあり、斐伊神社からは、斐伊川に架かる上熊橋を渡って、作中にあるとおり、神社をぐるりと囲む川辺の道(桜並木になっています)を走ると、車で約12分です

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 境内にも大きな桜の木があり、雅が訪れたときもこんな感じに見えたかもしれません。こちらの石鳥居には神社名が浮き彫りになった扁額が掛かっています。

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 社号標座型の狛犬を横目に参道を拝殿に進みます。こちらの神社には、雅が嘆いた長い石段はありません。

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 こちらが瓦葺、切妻造り、平入りの拝殿です。拝殿前の由緒書きによれば、主祭神は久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと=奇稲田姫命)と清之湯山主三名狭漏彦八島篠命(すがのゆやまぬしみなさるひこやしまじぬのみこと=須佐之男命と奇稲田姫命の子神の八島士奴美神)です。奇稲田姫命が懐妊して、お産のためにこの地に来て、「いと久麻久麻しき(奥まった静かな)谷なり」と言われたのが「熊谷」の名の由来とされています。

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 ガラス窓のある瓦葺きの幣殿に接続して建つ、大社造り、切妻造り、妻入りの本殿は、比較的新しく銅板葺きの屋根がまだ赤いですね。女千木と奇数本の鰹木が中央に寄せて載っています。明治の時代に、正八幡宮(誉田別命、足仲彦命、息長足姫命)と海原神社(大綿津見三神(上津海童命・中津海童命・下津海童命)が相殿されています。

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 境内社は、右から、八坂神社、若宮神社、金毘羅神社、八乗姫神社が集合する四間社です。

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 次は、斐伊川に沿って北へ戻り、三刀屋川を渡った山手にある三屋(みとや)神社です。車で10分強です


19 三屋神社

 『出雲国風土記』(飯石郡253頁)に「御門屋社(みとやのやしろ)」とあり、『延喜式』にも記されている古社で、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)がここに宮居を定め、国土経営の端緒を開いたと伝えられている、三屋神社は、島根県雲南市三刀屋町給下、風土記に伊我山とある現在の峯寺弥山(みねじみせん)の山腹にあります。麓の一の鳥居をくぐります。

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 真新しい手水所の脇から石段を上って、扁額のかかる二の鳥居をくぐって更に上ります。雅はまた嘆いたでしょうね。

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 石段の上に待っている随神門をくぐって境内に到着します。

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 正面奥に、銅板葺き、入母屋造りの拝殿があります。

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 太くて立派な出雲式の注連縄がかかり、その上には金の玉を持った龍の彫刻が見えます。この写真には写っていませんが、注連縄の向こうには、金字の扁額が掛かっています。

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 主祭神は大己貴命で、神紋も出雲大社と同じ「竜鱗枠に剣花菱」で、延喜2年(902年)の再建時の棟札の裏書に「当社者素戔嗚尊之御子大己貴命天下惣廟(スサノオの御子のオオクニヌシの天下の宗廟)神明也」とあり、杵築大社(出雲大社)は三屋神社から大国主命の御神霊が遷座されたともいわれています。

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 現在の大社造り、切妻造り、妻入りの本殿は、貞享2年(1685年)の再建とされています。男千木と奇数本の鰹木が載っています。

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 作中にある、神社の背後の古墳群とは、古墳時代前期の古墳6基が隣接して確認されている松本古墳群のことで、1号墳が全長50m、最も高い場所に造られた3号墳も全長52mある、雲南地方最大級の前方後方墳です。

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 最後に、八口神社に向かいます。車で10分弱です


20 八口神社

 『出雲国風土記』(大原郡299頁)に「矢口社」、『延喜式』に「八口社」とある八口神社は、島根県雲南市加茂町神原にあります。由緒書き説明板によると、須佐之男命が、川を流れ下って草を枕にうめき苦しんでいた八岐大蛇の八頭をこの地で切り落としたことから「八口」というとか、また、八岐大蛇が八塩折(やしおおり)の酒に酔って草枕山を枕に伏せっているところを矢で射たので「矢代郷、矢口社」というとされています。
 10段ほどの石段を上って石鳥居をくぐり境内に入ります。こちらの神社も、春には境内横に桜が見られるようです。

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 座型の狛犬や石灯籠の間のアスファルトの参道を、瓦葺き、切妻造り、平入りの拝殿まで進みます。注連縄は、いわゆる出雲式ではない細めのもので、黒地に金字の扁額が掛かっています。

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 主祭神の須佐之男命を祀る本殿は、大社造り、切妻造りの妻入りで、男千木と奇数本の鰹木が載っています。

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 神社の西、斐伊川と赤川の合流点に近いところに、八塩折の酒を飲んだ八岐大蛇が苦しんで枕にして寝たという草枕山があります。赤川は、安政年間(1854~59年)まで草枕山を迂回して斐伊川に注いでいましたが、度重なる水難のため、草枕山を真二つに切り開いて流れを変え、現在に至っているとのことです。

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 雅たちは、こちらの八口神社だけを訪れましたが、島根県雲南市木次町西日登に、映画『うん、何?』にも登場する、もう一つ八口神社がありますので、そちらも訪ねてみましょう。


21 八口神社(印瀬の壺神)

 印瀬の壺神(いんぜのつぼがん)と呼ばれる八口神社は、須佐之男命が八岐大蛇を退治する際の「八塩折の酒」を盛った壺の一つを祀っています。

 田んぼも見られますが、熊の出没も確認されている山間部で、舗装されていない山道を進むと、沿道に「印瀬の壺神さん」というのぼり旗が現れます。

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 八口神社の名が入った扁額が掛かった立派な石鳥居をくぐると、傾斜のきつい階段状の山道が続きます。

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 最後の階段を上ると、こんな建物等が見えてきます。

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 正面の小さな祠が八口神社の本殿になります。

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 左側にあるのが壺神さんです。

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 こちらが「八塩折の酒」を盛った壺の一つと言われているものです。映画『うん、何?』では、母親を亡くした悲しみの感情を爆発させた主人公がこの蓋を開け、激しい雷雨となるという場面があります。

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 午後4時になり、羽田への最終便まで3時間程となった雅は、早めに空港に行って夕食を取ることにして、最後に御子神に電話することにします。

 そのころ、葛城は、病室で現在の境遇を素盞鳴尊の罰だと嘆きます。そして、奥出雲に住まう恐ろしき神といえばもう一柱と、一般には名前すら見せない神のことを考えます。


22  御子神との電話

 雅は、今日一日の行動を伝えた上、やはり出雲は大国主命ではなく素盞鳴尊のものだったと、また、八岐大蛇の正体は斐伊川か踏鞴かまだ判明していないが、鉄に関連していると話します。すると、御子神から「櫛」の謎が解けたか聞かれ、まだと答えると、答えは最初から君の前にあるというのに、本当に出雲を回ったのかとなじられ、例のごとくソクラテス式問答法のような対話が始まります。

「八頭」とは

 雅が八頭の八本杉にも行ったと返すと、「八頭」とは、雅が言う大蛇の八つの頭ではなく、「谷(やと)」のことであり、谷神から「夜刀の神(やとのかみ)」に通じると言われます。夜刀の神は、『常陸国風土記』に登場する、頭に角を生やした蛇神で、その姿を見た者は一族もろとも滅んでしまうと伝えられています。写真は、茨城県行方市玉造甲にある夜刀神社です。

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金屋子神の3つの言い伝え

 源太からその意味を聞かれて答えられなかった(第4節)金屋子神に関する3つの言い伝えの謎を尋ねると、御子神は、金屋子神は、白狐に乗った女神として描かれるため稲荷神と混同されるが、あくまでも製鉄神で、「金屋」とは製鉄民を総称する言葉であったこと、言い伝えの「女性が嫌い」というのは、踏鞴場の人間が無闇に子孫を残さないよう女性を近寄らせないためであり、「藤が好き」というのは、鉄穴流しの際に藤の蔓を編んだ敷物が重宝されたことをいい、「人間の死体が好き」というのは、死体を火炉に投じると、遺体に含まれるリン酸カルシウムが火の温度を調整してくれたことを指していると説明してくれます。

tamtom.blog44.fc2.comから引用)
「八岐大蛇」とは

 御子神から、刀鍛冶が自分のことをオロチと自称していたことから、「オロチ」とは踏鞴に関わる人間と考えられていたと聞き、そのオロチたちが大勢いたことを指して八岐大蛇といったのではと雅が言うと、「八」は不吉な意味で彼らの名称の頭に付けられたと告げられます(第5節で紹介した、八岐大蛇=オロチ族という考えに通じますね)。一方、「八」の代字の「捌」がバラバラにするという意味があることから、支流が多く、しばしば氾濫して、人々をバラバラにする斐伊川が八岐大蛇だという見立てもあながち間違いではないと話します。

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夜刀の神の祟り

 それから、御子神から、第1節で紹介した「鬼の舌震」の名の由来について、もしかすると本来は「鬼の死体」だったのかもれない、谷(夜刀)の神の逆鱗に触れてしまった人々の、と聞かされると、雅の思考は飛んで、亀嵩で起きていることと結びつけ、本当に夜刀の神が暴れているのではと考え、源太に古い神様の逆鱗に触れるようなことをしたとか聞いていないかと尋ね、そして、神様の存在やその祟りを信じている人がいる限り、祟りは顕現すると話すのでした。

 そこへ、源太に松原から電話がかかり、雅は、松原に夜刀の神の祟りについての考えを伝えます。久美や誠ーから似たような話を聞いていた藤平たちは、雅にも雲南署に来てもらうことにします。八口神社から雲南署までは車で10分強です

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  雲南署に向かう途中、気持ちよさそうに滔々と流れる斐伊川を見つめていた雅は、源太が以前先生から聞いたという「比櫛」を辞書で調べ、竹で作られた目の細かい梳き櫛だとわかると、「櫛」の謎についてピンと来るものがあったようです。


第5章 縺 れ 雲

23 金神七殺

 現場から被害者の裕子、石宮久美、磯山源太の足跡以外に男性の靴跡が特定されたことから、藤平たちは、三隅誠一を尋問し、殺害の自白を引き出します。そのころ雅たちが雲南署に到着します。

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 雅たちに事件解決を伝えた松原が説明した誠一の殺害動機は、被害者がわざと凶方を犯して悪気を持ち帰っただけでなく、葛城までも巻き込もうとしたことが許せなかった、しかも、その方角は全てが凶の金神、すなわち牛頭天王、素盞鳴尊で、金神の方角を犯すと、本人を含めた家族7人が死に、家族がいなければ近隣の人間まで殺されるという、金神七殺になり、最近事故等で3人、松江の事件で菅原陽子と誠一の姉の純子、計5人が亡くっており、あと2人死ななくてはならないから、まず被害者に死んでもらおうと思ったということでした。彼女は一度死にかけているので、自分が殺せば2回死んで金神七殺が終了し、その遺体を斐伊川に流せば全てが終わると考えたのだと。

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 雅は、源太に送ってもらって空港に向かいます。車で20分前後です。源太は、斐伊川が八岐大蛇だとする地元の考えに納得できていなかったが、今回雅に同行して話を聞いてつかえが取れたと礼を言います。


24 「櫛」の謎を解く

 出雲空港に着いて、搭乗手続と保安検査を済ませた雅は、研究室に電話します。

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 御子神は不在で、助教の波木祥子から、斐伊川の「斐」は、その声符の「非」がそれだけで「梳き櫛」を表しており、「櫛」と関係していると聞き、予想通り「櫛」=「非」だとわかり、素盞鳴尊(その別名の一つに「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」があります)を含む多くの神々に「櫛」の文字が宛てられていたのは、その全員が朝廷に背く悪神だったからで、大国主命のもとを訪れた「奇魂」は「非魂」だったなどと解明します。御子神が言う通り、答えは目の前にあった、比櫛である斐伊川が滔々と流れていたと納得するのでした。

島根フィルムコミッションから引用)

 戻ってきた御子神から「竹」について問われた雅は、水野から教わったことを引用しながら、不吉で忌み嫌われるもので、強力な呪力を持ったものと答え、御子神から今回はよく考えたと褒められます。雅が案山子について尋ねると、『日本書紀』(巻第二 神代下 第9段一書(第二の一書)163頁)に「天津甕星(あまつみかほし)・・・亦の名は天香香背男(あまのかかせお)」との記述があることを話し、「かかせお」はもちろん案山子男で、天津甕星は神威の大きな星、すなわち素盞鳴尊で、やはり素盞鳴尊に結びついていたことがわかります。そして、神話の時代に登場する素盞鳴尊と踏鞴とでは時代が合わないのではと質問すると、『記紀』と『魏志倭人伝』を読めば解けると言われ、先に紹介した記述から、素盞鳴尊が生き、八岐大蛇を退治したのは3世紀以降で、卑弥呼と重なるとの見解が示されます。

 雅は、ほっとして源太が言っていた「先生」について質問しますが、御子神から、「そんなことより、元出雲はどうした」と言われて、伊勢に元伊勢である籠(この)神社や三輪の檜原神社があるように、出雲にも元出雲があると告げられ、更に、それが京都であることも知らないというのは、『出雲国風土記』の謎どころか、「八雲立つ」の歌の意味さえ理解していないというわけだなと言われてしまいます。

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エピローグ

 島根県警に戻った藤平のところに、三隅誠一が逃走し、斐伊川に投身自殺したとの連絡が入り、更には、快方に向かっていたはずの葛城の容態が急変して死亡したと伝えられます。

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 松江で殺害された菅原陽子は奥出雲出身といっても三次の方に近いことがわかっており、藤平は、亀嵩周辺の出来事と一括りにできないと考えていましたが、誠一と葛城が死亡して7人、これが金神七殺ということなのかと苦笑し、念のため葛城の病院に向かうのでした。

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 『出雲国風土記』に八岐大蛇退治伝説が全く登場しないという謎の解明は、次回以降に持ち越しのようですが、いくつかの説があるようです。その一つは、出雲側にとってオロチは崇拝すべき国土創成の水神でしたが、『記紀』の神話ではそれが歪められて、高天原側による出雲の王化の象徴的な存在にされ、そのことが出雲側にとって不利であったため、大蛇退治伝説を採用しなかったというもの、また一つは、黙認することで尊重したのではないかというものです(松本直樹『神話で読みとく古代日本』(ちくま新書)259頁~参照)。雅がどのように解明するのか楽しみです。


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 第9シーズン第2部のいながら旅は、ここまでです。4日間で30か所以上も巡り、2度も殺人事件に巻き込まれた波瀾万丈のフィールドワークも無事終了と思いきや、「元出雲はどうした」との御子神の一言で、京都に舞台を移して、雅の旅はまだ続くようです。第3部では、『京の怨霊、元出雲 古事記異聞』をガイドブックとして旅を続けます。

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