小説をガイドブック代わりに、登場人物たちの足跡を辿りつつ、時には寄り道もして、写真や観光資料、地図データなどを基に、舞台となっている世界各地を紹介しながらバーチャルに巡礼する、【小説 de いながら旅】の第7シーズン。引き続きダニエル・シルヴァの作品を取り上げます。これまでのいながら旅を引用する場合は、シーズン番号に応じて、第〇旅(例えば、第1シーズンの場合は第1旅)と表記します。
この旅のガイドブック

今回の旅のガイドブックは、2015年に刊行された(日本では2016年7月)『英国のスパイ』です。同作は、美術修復師であると同時にイスラエル諜報機関の元暗殺工作員のガブリエル・アロンを主人公とするシリーズの15作目(原題『The English Spy』)。カリブ海で英国の元皇太子妃の乗った豪華ヨットが爆発炎上するという事件が発生し、実行犯としてある爆破テロリストの名前が浮上し、英国当局から秘密裏に事件解決を要請されたガブリエルは、過去に男と深い因縁のある元SASの殺し屋ケラーと再びコンビを組んで、男の足取りを追いますが、男の協力者である女の誘導により、却って爆破テロ事件に巻き込まれてしまいます。シリーズ13作目『The English Girl』でガブリエルらに辛酸を舐めさせられたロシアが二人の命を奪うために綿密に仕組んだ報復の罠であったことが明らかとなり、ガブリエルは、ケラーとともに、MI6やMI5も巻き込んで、罠を仕掛けた敵に対して反撃に出ます。題名が暗示するように、英国人ケラーの身の上にも変化が訪れます。今回は、カリブ海(サン・バルテルミー島)、イギリス(ロンドン、北アイルランド各地、コーンウォールほか)、ローマ、ドイツ(ベルリン、ハンブルクほか)、コルシカ島、リスボン、モスクワ、ウィーン、コペンハーゲン、ロッテルダム、エルサレム、ブエノスアイレスなどを巡ります。

本作でも、地名や場所名のスペルを確認したりするため、原書もKindle版(英語版)で参照しました。前作同様、Harper版のKindleの表紙は(Amazonの画面では、ハードカバー版と同じ表紙が表示されますが)白黒青の3色刷りのリプリント版になっているのに対し(サンプルで確認)、HarperCollins版の表紙は多色刷りです。価格は、私が購入したときは、後者が720円でした。
第1部 プリンセスの死
1 グスタビア、サン・バルテルミー島
サン・バルテルミー島(英語名セントバーツ島)は、カリブ海の西インド諸島の一部、リーワード諸島にあるフランス領の島で、島名は1493年にこの島を発見したクリストファー・コロンブスの弟の名前バーソロミューに由来します。エメラルドグリーンの海の美しさから「カリブの宝石」と呼ばれています。
因みに、この島は、シリーズ6作目『The Messenger』にも登場しています。

ナッソーを本拠地とする全長50mの豪華クルージングヨット〈オーロラ号〉の出航2日前の夜。同船のシェフのスパイダー・バーンズは、カリブ海でベスト5に入る高級バー〈エディのバー〉で飲んでいましたが、現れた美女ヴェロニカに心奪われ、土砂降りの中、彼女とともに姿を消してしまいます。これが後に発生する悲劇の引き金となります。

遡って、ハリケーンシーズン真っ最中、ベネズエラのパスポートを持つコリン・エルナンデスという名の男が島にやって来ます。ロリアンのビーチの端にある木造のコテージを借り、1時間おきにBBCのニュースに耳を傾ける怠惰な日々を送ります。

男が時々ランチに利用していた〈ジョジョ・バーガー〉は、アンス・ドゥ・ロリアンの墓地の近くにあります。

1か月経ったとき、男はコックとしての働き口を求めて島を回ります。〈カール・グスタフ〉や〈ウォール・ハウス〉、〈オーシャン〉、〈ラ・カンティーナ〉、そして、翻訳では割愛されている〈ラ・クレペリー〉、〈グロリエッテ〉も、最初に登場した〈エディのバー〉と同様、島の西部に位置する中心地、グスタビアにあります。街の名前はスウェーデン王グスタフ3世に由来します。街並みはフランス風で、港に沿って赤い屋根の建物が点在し、観光客向けの免税店も立ち並びます。また、〈マヤ〉は、少し北のビーチにありましたが、現在閉業となっています。

また、〈ラ・プラージュ〉と〈イーデン・ロック〉は、島の北側中央のサン・ジャンのビーチ近く、翻訳で割愛されている〈ル・ジャルダン〉は、サン・ジャン飛行場の南にあります。

そして、〈グアナハニ〉は、島の北東部のアンス・デュ・グラン・クル・ド・サックにある高級ホテルです。

こちらも翻訳で割愛されている、〈ル・グラン・ド・セル〉は、サリーヌの塩沼を見下ろす隠れ家的な場所にあります。

いずれもそっけなく断られ、最終的に働くことになった、フランス語で唐辛子を意味する〈ル・ピマン〉は、小説では〈ロアシス〉というスーパーマーケットの駐車場にあるピッツァとパニーニの小さな店となっています。ロリアンのビーチの端にある〈Elixirs d’Oasis〉というスーパーマーケットの駐車場横にある、フランス語でコルク栓を意味する〈ル・ブション〉というピザとバーガーの店がイメージに近いと思います。

著者ノートにあるように〈ル・ピマン〉は実在していますが、作中の描写とは異なり、サン・ジャンの道路沿いにあります。男の料理の評判はあっという間に島中に広まり、当初雇入れを断った各店が引き抜こうとしますが、失敗します。そのため、オーロラ号の船長レジナルド・オギルヴィも、前菜やメイン料理を試食した後、あきらめ半分で週2千でスカウトしますが、男は、週4千とふっかけて応じます。ただし、オーナーから侮辱の言葉を浴びせられ、ボトルを投げつけられますが。

朝が来ると、男は、スチェッキン式全自動拳銃と、30×50cmで重さ7㎏の四角い包みを詰めたダッフルバックを持って、グスタビア港の端に停泊している〈オーロラ号〉に8時10分に乗船します。そして、10時少し前、黒のレンジローバーが2台到着し、ピンクのワンピースにつば広の帽子で、サングラスをかけているものの、誰なのかひと目でわかるその女性が連れと乗船すると、5分後に〈オーロラ号〉はゆっくりと出航します。

正午を迎えるころには、サン・バルテルミー島は水平線上に浮かぶ茶色と緑の影になっていました。前部デッキでしみ一つない肌を太陽にさらしているのは、世界でもっとも有名な女性、英国の元皇太子妃でした。そして、一つ下のデッキで前菜を用意しているのは、彼女を殺そうとしている男でした。
2 リーワード諸島沖合
その夜、男の船室のドアにひそやかなノックが響き、スーシェフのアミーリアが黙って抱きついてきます。愛の行為を終えて女が眠ると、男は、午前3時まで待ってベッドから抜け出し、持ち込んでいた四角い包みを開けて起爆装置を起動します。目覚めた女にサイレンサー付きの拳銃を見られた男は、女の首を捻って脊髄を切断し、そっと抱きしめました。また、深夜の見張りでブリッジに出ていた船長のオギルヴィに見とがめられると、返事のかわりに、スチェッキンの銃弾が彼の制服を引き裂き、心臓を破壊したのでした。

男は、船の進路をわずかに修正してから、救命ボートを下ろして乗り込み、波間を漂いながら、〈オーロラ号〉が東へ向かうのを見守ります。腕時計のダイヤルがゼロを指し、さらに15秒経ったとき、光が炸裂し、爆発を示すオレンジイエローの光と炎とともに遠雷のような音が轟きました。男は、沈みかけた〈オーロラ号〉を見守り、救命ボートを西に向け、スロットルを開きました。
3 カリブ海 ___ ロンドン
プリンセスが乗っていた〈オーロラ号〉が沈没したとの報告に基づき、ジョナサン・ランカスター首相は、女王陛下と協議して声明を発表します。カリブ海では、フランス海軍の無人潜水艇が水深600mの海底に横たわる〈オーロラ号〉を発見します。MI6による陰謀説も流れますが、フランスの諜報機関DGSEは、船内に仕掛けられた爆弾によって爆発炎上したものと判断し、行方不明のシェフの代わりに雇われた男が最も怪しいとされます。

フランス側からMI6にグスタビアでの男のビデオ映像と防犯カメラ画像が提供され、長官のグレアム・シーモアは、謎の容疑者の探索をヴォクソール・クロスのMI6本部の最上階にある贅沢な執務室で見守っていました。

結果が出ないまま、シーモアも独自の探索を進めますが、10日目の午前中、イスラエルの諜報機関の長官ウージ・ナヴォトから、捜している男を見つけたかもしれない、そちらの古い友達だと電話が入ります。ただ、電話では名前は教えられないと言って電話は切れます。
4 ヴォクソール・クロス、ロンドン
ナヴォトは、その夜11時少し前にヴォクソール・クロスに到着すると、アタッシュケースからファイルフォルダーを取り出してマホガニーのデスクに置きました(写真は、映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のセットです)。シーモアは、書類に目を通すと、低い声で悪態をつきました。ナヴォトは、イランからの情報であること匂わせた上、更に3年前にMI6に送った報告書のコピーを示し、当時その男の排除を提案をしたが、前任者が余計な騒ぎになるのを恐れて断ったことを告げるのでした。

自分たちの手でやつを処分するという提案はいまも有効だと話すナヴォトに、シーモアは、その種の仕事を任せられる人間は一人しかいないと応えます。子供が生まれるからそれは無理かもしれないとナヴォトが言うと、シーモアは、こちらで交渉すると応じて、彼とかなり親しい間柄のガイド役も紹介しようと話します。
5 フィウミチーノ空港、ローマ
フィウミチーノ空港のファーストクラスラウンジの一隅で、搭乗が遅れていることに苛立つキアラは、ガブリエルが〈オフィス〉とメールをやりとりしてハマスのロケット弾がベン・グリオン空港近くに着弾した影響だと教えると、スピードアップのために何かできないかとねだります。ガブリエルが再びメッセージを打ち込むと、エル・アル航空のテルアビブ行きLY386便のボードが”搭乗中”に変わりました。キアラは、誰かに頼みごとをされたら例の魔法の言葉を思い出すのよと言って、ガブリエルにキスをし、搭乗口へ向かいました。写真は、スターアライアンスのラウンジです。

ガブリエルは、キアラの飛行機が無事離陸するのを見届けると、テヴェレ川に架かるカブール橋を渡り、グレゴリアーナ通りを目指しました。コモ湖の傍にある教会で見つけ出し(第6旅(第62節))、バチカンに送られたカラヴァッジョの《キリストの降誕》の修復の第一段階を自分の手で進めるためです。

通りのむこう端、スペイン階段のてっぺんに近いところに〈オフィス〉の古い隠れ家がありました。ガブリエルは、玄関前を一旦通り過ぎ、ホテル・ハスラー・ヴィッラ・メディチの庇の前を通り、トリニタ・デイ・モンティ教会へ向かいました。

尾行がないことを確認して隠れ家に戻り、暗い階段を昇って4階の踊り場に出ると、フラットのドアがわずかに開いていました。ガブリエルは、ベレッタを取り出し、銃身を使ってドアを押し開くと、キッチンのカウンターの前にグレアム・シーモアがガヴィのボトルとワインオープナーを持って立っていました。ガブリエルは、例の魔法の言葉が頭に浮かぶのでした。” ほかのやつを見つけてくれ…。”
6 グレゴリアーナ通り、ローマ
シーモアは、ウージからフラットの鍵をもらい、アラーム解除の暗証番号も教わってフラットに入っていたのです。ガブリエルは、〈オフィス〉のルールに違反していると言い、ウージがロンドンを訪ねた理由とシーモアがやって来た理由を尋ねます。シーモアは、教会の鐘楼とスペイン階段のてっぺんが見えるリビングの窓辺にたたずみ、家々の屋根の彼方をじっと見つめました。写真は、〈ホテル・スカリナータ・ディ・スパーニャ〉からの眺めです。

シーモアは、元IRAのエイモン・クインという疫病神を抱えており、遠い昔、自分のミスでクインの仕掛けた爆弾により人々を死なせたことがあると語るのでした。
7 グレゴリアーナ通り、ローマ
1998年の夏、シーモアは、MI5のテロ対策のチーフでした。北アイルランドは、ベルファスト合意を受け入れ、IRA暫定派は停戦条項に従うことになりましたが、補給局長だったマイケル・マケヴィットがリアルIRAという強硬派を率いて武装闘争を続行しました。潜入させていたエージェントから大規模な襲撃計画の情報が入り、同年8月15日、GCHQ(英国政府通信本部)がクインらしき男の電話を傍受。その後アルスターテレビにオマーの裁判所に500ポンド爆弾を仕掛けたという予告電話が入ります。裁判所周辺から人々を退避させましたが、爆弾は発見されませんでした。大量殺人を狙い、クインは爆弾を仕掛けた車をわざと違う場所に止めていたのです。人々を爆弾から遠ざけるどころかそちらに追いやる結果となり、午後3時10分に起きた爆発により、29名が死亡、200名以上が負傷しました。オマー爆破事件は、実際にあった北アイルランド紛争史上最悪のテロ事件です。

シーモアは、その後クインは組織を離れて一人で活動するようになったとして、ウージから受け取った報告書を取り出しました。イラン情報省によりテヘランに招請され、英米軍に対して使用する殺傷能力の高いロードサイド爆弾を製造し、レバノンではヒズボラの依頼で、ガザ地区ではハマスの依頼で、同じく爆弾作りに関わり、アルカイダの液体爆弾作りにも手を貸したこと、最後に、この世界最悪の危険人物は直ちに排除する必要があると書かれていました。ガブリエルが報告書を細かく千切り、後で燃やしておくと言うと、シーモアは、クインも燃やしてくれと頼み、北アイルランドに詳しく、クインを個人的に知っている、相棒となり得る男を知っていると話します。
8 グレゴリアーナ通り、ローマ
シーモアは、マデライン・ハート事件のときにヒースロー空港で撮られた2枚の写真を示します。最近は、ePassport gates の導入で改善されたようですが、当時の同空港の入国審査は世界最遅と揶揄されていました。写真の1枚はガブリエル。もう1枚はエイドリアン・ルブランと名乗るフランスの偽造パスポートで入国した男。シーモアは、コルシカ島のドン・オルサーティがガブリエルにマデラインを拉致した犯人グループに関する情報を提供するとともに、凄腕の暗殺者も貸してくれたと指摘し、その男が死んだことになっている元SAS隊員のクリストファー・ケラーであることも把握していました。

ガブリエルは、ケラーについて、スイスの銀行家グループから命を狙われたときの殺し屋だったが(第2旅のエピソードです)、今は友達だと明かし、彼がシーモアのことを高く評価していると話します。すると、シーモアは、IRAとの戦いの現場で自分の指令どおりに動いてくれたのがケラーだったと明かし、彼とともに一刻も早くクインを排除してくれと頼むのでした。
9 ベルリン ___ コルシカ
ケラーは、そのころベルリンにいました。前夜は〈サイフェルト〉という質素なホテルに、そのまた前夜は〈ベッラ・ベルリン〉というペンションで一夜を過ごしました。今夜の〈サヴォイ・ホテル〉は、街で一番洗練された通りにあり、入口から通りまで赤いカーペットが敷かれています。いずれも目的地の〈ケンピンスキー・ホテル〉の近くにあります。今回の仕事のターゲットは、独裁者カダフィの元側近のリビア人で、ドン・オルサーティに助けを求めてきた実業家が怯え、うんざりしていた取引相手の男でした。

ホテルを出たケラーは、カントシュトラーセを横断し、地下駐車場に続くランプを下りました。オルサーティの組織が用意した黒のBMWのトランクには、サイレンサー付きのヘッケラー&コッホ9ミリが、グローブボックスには、ケンピンスキー・ホテルのランドリー部門で働く男に金を握らせて入手したホテルのマスターキーがありました。ケラーは拳銃とカードキーをブリーフケースにすべりこませて通りに出ました。

ファザーネンシュトラーセを100m程行き、ラスベガスばりの眩いライトに照らされた〈ケンピンスキー・ホテル・ブリストル・ベルリン〉の入口を入りました。リビア人は、クアフュルステンダムに面したカフェのテーブルに連れの二人と座っていました。

ケラーは、518号室まで行ってカードキーをスロットにすべらせました。部屋には、ダブルベッド、ライティングデスク、テレビ棚、ロイヤルブルーのアームチェア。スーペリアルームのようです。窓辺から通りを見下ろすと、リビア人が席を立つところでした。ケラーは、アームチェアに腰を下ろし、124グレインのホロー・ポイント弾をこめたヘッケラー&コッホを取り出して時間を確かめました。

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コルシカ島にうららかな陽光が降り注ぐ中、昨夜マルセイユを出航したフェリーは、アジャックシオの港に入りました。コルシカ島の南西部に位置する島最大の町で、マルセイユから南西約210マイル、所要時間は約13時間です。

1769年にナポレオン・ボナパルトが生まれた町としても知られており、港に面したフォッシュ広場には、1850年にフランチェスコ・マッシミリアーノ・ラブルールが完成したナポレオンの記念碑があり、1858年にはジェローム・マリオーリによって台座の前に4頭のライオンを配した噴水が設けられました。

船を降りたケラーは、駐車場で古びたルノーに乗り込み、島の西側のターコイズブルーの海と高くそびえる山々が広がる海岸線沿いをポルトまで車を走らせました。ラジオのニュースには、ベルリンの高級ホテルでリビア人が殺されたというものはまだありませんでした。写真は、サン・バスティアーノ峠から見たリシア湾とティウッチャ海岸です。

ポルトの町から島の奥へ向かいました。オルサーティ一家の住む屋敷は、島の中央部の小高い場所、オリーブの木々が茂る村はずれの小さな渓谷にあります。ヴァンダル族が侵入した時代にできた村との情報が加わりましたが、著者ノートにあるように彼が住む渓谷は実在しないことから、第2旅(第7節)の推理により、(塀に囲まれ、ラリチオ松が前庭にある邸宅は見つかりませんが)エヴィザをモデルとします。

ドンは2階の部屋でオーク材のデスクの前に座っていました。ベルリンでの首尾を聞き、クリスマスのボーナスだと言って百ユーロ札の束が入った封筒を渡そうとします。そして、何かに悩んでいるように見えるケラーに「冒険せねば得るものなし」と投げかけ、昼食に誘います。予定があるといって出ていこうとするケラーに、ドンは客が来ていると告げます。それを聞いて急に機嫌がよくなったように見えたケラーは、封筒を置いて出ていきます。
10 コルシカ島
ケラーの住まいは、オルサーティ家の渓谷から一つ離れた渓谷に立つ、ほどよい広さのヴィラでした。白とベージュで統一された田舎風のインテリアの部屋は、居心地がよく、壁には現代アートとモネの風景画がありました。ガブリエルは、その風景画の前に立ち、表面をこすって、クリーニングさせてくれと言ってケラーを迎えました。

ガブリエルは、ヒースロー空港で撮られたケラーの写真を見せて、ローマでシーモアに会ったこと、自分たちが監視されていて、ケラーもマデライン・ハートの捜索に関与していたことが知られていたことを話し、フランス側にケラーのことを黙っていてもらうためにエイモン・クイン捜しに協力することを提案します。シーモアから渡されたファイルによれば、マーチャントというコード名のSASの士官がベルファストに潜入していたが、IRAに正体がばれ、拉致されて処刑されたこと、そこにクインがいたことを話すと、ケラーはその前後のことを語り始めました。
11 コルシカ島
北アイルランドの様々な方言を地元民並みの速さで真似たり、瞬時にアクセントを変えたりすることができるケラーの才能がMI5の若き諜報員であったシーモアの目に留まり、ケラーは、マイクル・コネリーという名のカトリック教徒に化けてベルファストに潜入し、フォールズ・ロードのクリーニング店で配達係として働き始めます。そして、聖パウロ教会のミサに通いながら、IRAメンバーに近づきました。

やがてバリマーフィ地区を統括するIRAの指揮官ロニー・コンリンの娘エリザベスと深い仲になります。シーモアに別れるように命じられ、最後にもう一度会いに行った夜、ロニーによって南アーマーの農家の納屋に拉致され、椅子に縛りつけられ、南アーマー旅団による尋問と裁判にかけられます。検事と判事と処刑人を務めたのがエイモン・クインでした。しかし、縛り方がぞんざいだったおかげで逆襲し、2人を切り刻み、2人を銃撃します。ただ、クインは逃げて、エリザベスを殺害します。

ケラーはSASに復帰し、サダム・フセインがクウェートに侵攻した中東へ赴きましたが、1991年1月28日の夜、友軍の誤爆を受け、ケラーだけが生き残ります。激怒した彼は戦場を離れ、シリアに入り、トルコ、ギリシャ、イタリアを横断して、最後にコルシカ島に辿りつき、ドン・アントン・オルサーティのもとに身を寄せることになったのです。彼はその後もクインの行方を捜しましたが、命を狙うことはドンに禁じられました。

ガブリエルは、ケラーにシーモアの話にのることを勧め、その日の夕方6時にアジャクシオからニースに向かうフェリーで彼を待ちます。

ケラーは、出航直前に桟橋を駆け上ってきました。ドンは恩知らずの子供にまつわるコルシカの諺を次々と並べた後、ケラーが去ることを承知してくれたということでした。そして、修羅場になるだろうからと預言者シニャドーラから託された島のお守りをガブリエルに渡すのでした。
12 ダブリン
ガブリエルとケラーの探索は、ダブリンから始まりました。ダブリン空港は、アイルランドでベルファストに次いで利用客の多い空港です。二人は、長期駐車場でシュコダのセダンに乗り込み、バリファーモットを目指しました。

アイルランド共和国は、1960年代の終わりまで暴力犯罪とは無縁でしたが、北アイルランドの国境での紛争が勃発して状況が一変。犯罪者と革命家が勝手に動き回る暗黒街になっていました。80年代にドラッグが入り込むと、ヤク中が銃撃戦を繰り広げ、密売人が王になるという地獄の荒廃地となりました。90年代には経済が発展した一方、麻薬の需要も増加。ケラーは、リアルIRAははっきり言ってただの密売組織だと語りました。
バリファーモット・ロードに到着した二人がターゲットとしたのは、MI6のファイルにあった元リアルIRAメンバーで、スーパーの〈テスコ〉の隣のノミ屋(写真のBoyleSportsのこと)の入口にたむろしている男の中にいる、リーアム・ウォルシュでした。

二人が向かいのフィッシュ&チップスの店で見張っていると、ウォルシュと男3人が黒のベンツに乗り込みました。
13 バリファーモット、ダブリン
ウォルシュが向かったのは、ロスモア・ロード48番地の自宅でした。そこには、作中にあるとおり、グレイの外壁に白い縁取りのある窓が1階に一つ、2階に二つある建物があり、1台限りの狭い車寄せとその横にゲートのある通路がありますが、通路の横に生け垣に囲まれた草地はありません。ケラーは、いますぐ拉致するとしても、〈オフィス〉の次期長官が首を突っ込むのはまずいと言って、独りで車を降りていきました。

レ・ファニュ・ロードの角を曲がった先にカトリック系男子校の入口があり(セント・ジョンズ・カレッジ・デ・ラ・サールのことです)、正門からアスファルトを横切り、木々の枝の下を通り抜け、運動場を横切りました。北側の塀をよじ登り反対側へ飛び降りたケラーは、サイレンサー付きのベレッタを抜き、ウォルシュの家の裏口に向かいました。
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9時過ぎ、ケラーからの電話を受け、ガブリエルがウォルシュの家に入ると、3人の男が額を打ち抜かれ、ウォルシュは鼻をつぶされて倒れていました。〈オフィス〉が用意したスーツケース(中には”携帯抑留パック”が入っている)から取り出した粘着テープでウォルシュをぐるぐる巻きにし、鎮静剤で静かにさせた上、ナイロンバックに押し込み、ファスナーを閉めました。
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ガブリエルがシュコダを車寄せに入れ、ケラーがウォルシュを運び出してトランクに入れました。ガブリエルが運転して再びバリファーモット・ロードへ向かいます。こんな気分は初めてだと言うケラーに、ガブリエルは、それが復讐の困ったところで、気分すっきりとはいかない、しかもまだ始まったばかりだと話します。
14 クリフデン、ゴールウェイ州
ウォルシュを拉致したコテージは、ソルト湖を見下ろす高い崖の上、ドゥーネン・ロードから100m程奥まったところにありました。〈オフィス〉がダブリンの弁護士から2週間1500€で借りたもので、ちゃちなゲートを抜けると砂利敷きの車道が崖の上まで続き、てっぺんに老木が3本あるとのことから、写真のコテージがモデルではないでしょうか。

4日目の朝、インディペンデント紙の一面にバリファーモットの住宅でリアルIRAのメンバー3名の他殺死体が発見され、1名が拉致されたとの記事が掲載されます。ケラーは、ウォルシュの耳栓と猿ぐつわをはずし、オマーで29名の罪なき者を殺した爆弾を作ったやつを捜していると明かします。
15 テムズハウス、ロンドン
毎週金曜日の夕方6時、シーモアはかつての上司でMI5長官のアマンダ・ウォレスと一杯飲みながら情報交換することになっており、今週はシーモアがテムズ・ハウスへ出かける番でした。専用エレベーターで最上階に上がり、長官室まで行きました。テレビがバリーファーモットの事件を報じていました。

アマンダは、MI6のどこかの隠れ家でリーアム・ウォルシュが椅子に縛りつけられているのではないかとかまをかけます。そして、話がプリンセスのことに移ると、エイモン・クインの犯行だったことをどうして黙っていたのかと迫ります。シーモアは真実を打ち明けるしかないと肚をくくり、クインが誰の指示で動いていたか、あと二、三時間で答えが出ると答えます。アマンダは、イスラエルと組んでいることにも気付いており、この件に関しては自由に動いて構わないが、作戦が英国内に及ぶ場合は事前に知らせること、少しでも世間に洩れるようなら断頭台にシーモアの首が載るように手配すると話します。シーモアは、覚悟のうえだと言って立ち上がるのでした。
16 クリフデン、ゴールウェイ州
ガブリエルとケラーは、ウォルシュを地下室から運び上げ、質問を始めます。ウォルシュは、ケラーの尋問に躊躇もごまかしもなく正直に答えるようになり、IRAに勧誘されたところから話し始めます。半年間の訓練後に配属されたエリート部隊にいたのがクインでした。クインは、1980年代にリビアに派遣され、1988年のスコットランドのロッカビー上空のパンアメリカン航空103便爆破事件の爆弾の設計図をリビアに渡したのも彼でした。

ウォルシュが加わった最初の作戦は、1993年4月22日のロンドン、ビショップゲート爆破事件でした。クインが作った1トンの爆弾を積んだトラックを運転し、HSBC銀行が入ったオフィスタワーの外に止めました。爆発で500トン以上の窓ガラスが割れ、ニュースカメラマン1名が死亡、44人が負傷。爆風はセントエセルバーガ教会も破壊しました。

1996年2月9日にIRAはクインが作ったトラック爆弾で再びロンドンを攻撃。ドックランズのカナリーウォーフが標的。このドックランズ爆破事件によりイギリスとアイルランドの両首相が和平交渉を再開し、1997年7月にIRAが停戦を受け入れました。

IRA分裂後、ウォルシュはクインに付いて行き、1998年8月1日のバンブリッジで大規模な爆破テロを成功させましたが、これはオマーの予行演習でした。オマーの作戦で、ウォルシュは爆弾を積んだ車に乗っていました。ウォルシュが運転して裁判所前に止める予定でしたが、土壇場になってクインが自ら運転し、ロウワー・マーケット通りの〈S・D・ケルズ〉の外に止めたのです。観光客が撮影した写真に写っている、赤い車がその車です。

オマー後、クインはスペインのビーチで潜伏生活に入り、その後、リビアのカダフィ大佐の腹心に電話して、ゲームに戻りたいと言ったとのことでした。
17 クリフデン、ゴールウェイ州
リビアに迎えられたクインは、イスラムの過激派やロシアの武器商人とも知り合いになりました。カダフィが身辺整理をしたときは、ベネズエラのチャペス大統領に受け入れられ、整形して新しい顔も手に入れました。1年後レバノンへ移り、ヒズボラで仕事をするようになり、イエメンに送られ、アラビア半島でアルカイダに協力しました。

ウォルシュがクインに最後にあったのは、半年前、スペインのリゾート地ソトグランデ、マリーナの傍の小さなホテルでした(〈クラブ・マリティモ・デ・ソトグランデ〉のことでしょう)。そこで、クインから彼の娘に渡すようにと使用済みの紙幣で10万ポンド入った包みを預かりました。娘は母親とともにベルファストにいるということでした。

最後に、ウォルシュが説明し、ガブリエルがスケッチして、クインの新しい顔の似顔絵を描きました。そして、再びウォルシュに粘着テープで目隠しをし、鎮静剤を注射してスーツケースに閉じ込め、車のトランクに入れ、コテージを出て、クインを見つけるため、西ベルファストに向かいました。ケラーは、キラリー港の東端で未舗装道路に曲がり、小さな空き地で車を止めました。

ケラーは、ガブリエルを車内に留めて車を降りました。意識を取り戻していたウォルシュに対し、解放してやろうと言ってトランクから出してやり、目隠しをしたまま肘を支えてヒースの茂みに入っていきました。やがて無音の閃光が2回走った後、ケラーが戻ってきて、車を出しました。ガブリエルは、ケラーの気分を尋ねるのはやめて、目を閉じて眠りました。
18 オマー、北アイルランド
国境を越えて初めて入った町は、北アイルランドティロン州のオーナクロイで、ケラーが給油したのはこちらのガソリンスタンドです。

その隣にある石造りのかわいいカトリック教会というのが、こちらのセントメアリー教会です。給油後、オマーをめざしてA5道路を北へ向かいます。

朝の9時を回ってオマーに着くと、裁判所の近くに車を止めました。オマー裁判所には、治安判事裁判所、郡裁判所及び刑事裁判所が設置されています。裁判所の右後ろに見えているのは、聖心教会です。それから、ロウワー・マーケット通りのカフェまで歩きます。ガブリエルがオマーに来た理由を尋ねると、ケラーは、ウォルシュのことを哀れに思うと困るからと答えます。

カフェを出ると、ケラーは、ガブリエルを連れて裁判所と反対方向へ、青緑色のガラスの塔がある場所まで行きました。爆破テロ現場に建てられたオマー爆破被害者追悼碑です。ガブリエルがあの日爆弾の場所を知っていたらどうしたかを尋ねると、ケラーは、持てる力を総動員して人々の避難誘導に当たるだろう、たとえ自分が死んでも、そうしなければ自分が許せないからと答えます。ガブリエルは、MI6の優秀な職員になれるぞと返すのでした。

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ケラーがベルファストに足を踏み入れるのは25年ぶりでした。街の中心部が大きく変貌し、グレート・ヴィクトリア通りを歩く人々の顔に恐怖はなく、長く続いた血みどろの紛争の痕跡は消し去られていました。そんな中でも変わらずランドマークとなっているのが、フラン・マッチャムが設計し、1895年に開館したグランドオペラハウスです。

ドネガル通りにある、1899年着工、1904年完成の聖アン大聖堂は、ベルファスト大聖堂という名でも知られる、ロマネスク様式の教会で、小説には、周囲にはケルト音楽のライブをやっているバーやパブが散らばっていると紹介されています。

西側側面には、ジョン・マクギーが設計した大きなケルト十字が描かれています。また、身廊の上部に聳え立っているのは、2007年に設置された、高さ40mのステンレス製の尖塔で、「希望の尖塔」と名付けられています。

ケラーが訪れたのは、ユニオン通りにある、ヴィクトリア朝時代の赤煉瓦の工場の1階の〈トミー・オボイルのバー〉でした。写真は、同通りにあるユニオン・ストリート・バーです。

入口は施錠されていましたが、ケラーは、インターフォンを押し、ビリー・コンウェイを呼び出します。
19 グレート・ヴィクトリア通り、ベルファスト
ビリー・コンウェイが話をする場所として提案したのは、グレート・ヴィクトリア通りのアメリカ資本のドーナツ屋でした。ドーナツ屋ではありませんが、通りの向かいに〈ユーロパ・ホテル〉があるとの情報(172頁)から、アメリカ資本の〈スターバックス〉がモデルではないでしょうか。ラージサイズのコーヒーを2杯頼んで、横に非常口のある、奥の隅のテーブルにつきます。コンウェイは、ケラーがマイクル・コネリーと名乗っていた当時の協力者で、ケリーがベルファストを離れた後、クインによって尋問を受けていました。

ケラーはクインを捜しに戻ってきたと語り、クインの妻のマギー・ドナヒューについて尋ね、コンウェイから、マギーが〈ユーロパ・ホテル〉で働いていて、娘が慈悲の聖母教会の付属女子高に通っていることを聞き出します。また、母娘の住所も調べてもらいたいと頼みます。
20 アードイン、西ベルファスト
グレート・ヴィクトリア通りにある〈ユーロパ・ホテル〉は、1971年にオープンした4つ星ホテルで、北アイルランド紛争中には36回の爆撃を受け、「世界で最も爆撃されたホテル」として知られています。マギー・ドナヒューは、ホテルのロビーバーでウェイトレスをしていました。ガブリエルは、ミュンヘンから来たヨハネス・クレンプに扮し、バーでマギーに接触し、仕事が終わる時間を午後8時と聞き出します。

ガブリエルがグレート・ヴィクトリア通りへ出ていくと、シュコダでケラーが待っていました。ケラーは、娘の方は午後3時まで学校で、そのあともフィールドホッケーの試合だと話し、コンウェイが調べ出した母娘の住所ストラトフォード・ガーデンズ8番地を花の配達を装って訪ね、家の中を見て回るという計画を立てていました。

しかし、二人は、その前にケラーの凄惨な過去を訪ねることにします。まず訪れたのは、ケラーがマイクル・コネリーと名乗ってIRAの連中と暮らしていたフォールズ・ロードの旧ディヴィス・タワー(写真。現在は取壊し済み)でした。それから、ケラーが働いていた今は廃業したクリーニング店に。

次に向かったのは、ケラーとひそかに愛し合い、クインに殺されたエリザベス・コンリンが眠るミルタウン墓地でした。IRAが常に墓を見張っているので、ケラーはこれまで一度も墓参りをしたことはありませんでした。

バリマーフィ公営団地を通り過ぎ、スプリングフィールド・ロードへ向かいました。宗教がらみの流血沙汰を防ぐために1969年にできた、プロテスタントとカトリックの地域を分けるピースライン(平和の壁)は、長さも規模も拡大する一方で、この辺のバリケードは高さ10m程の透明の緑のフェンスですが、キューバー・ウェイまで行くと、てっぺんにレーザーワイヤーが付き、ベルリンの壁のように壁画がびっしり描かれていました。

午後1時半、ようやくストラトフォード・ガーデンズに向かいました。現在、8番地の家は、ドアが白で、各階に窓が一つずつつある赤煉瓦の2階建ての建物ではありませんが、写真中央のとおり、それに近い建物が近所に見られます。二人は、道路際に車を寄せてエンジンを切りました。

ガブリエルは、車のドアを開けて通りに出ていきました。リアシートに配達用の花束を残して
21 アードイン、西ベルファスト
わずか数秒で錠を開け、家に入りました。アイルランドの海の風景画が掛かる居間からキッチンへ。クインの手紙などを収集。階段を上って、マギーの部屋から、封筒に入った数百ポンド分の紙幣、娘に会いたがっているクインからの手紙。クローゼットの男物のズボンのポケットから、半分ちぎれた青と黄色の小さな切符が見つかります。

娘の部屋を探っていると、ケラーから時間切れとの電話。最後に、わずかな本を調べると、アイルランド紛争の歴史に関する本に、色褪せた古い建物が並ぶ通りに十代の少女とつばのある帽子にサングラス姿の男が写った写真がはさまれていました。クインが見つかりました。
22 ウォリング通り、ベルファスト
二人は、ウォリング通りの〈プレミア・イン〉にケラーがとった部屋で、写真が撮られた場所について話し合います。

持ち帰った切符を調べながら、ケラーは、何年か前に請け負った仕事でターゲットを尾行するために公共交通機関を利用したときに使った記憶があると言い、グーグルで検索してその切符の完全版を見つけます。丘と路面電車の街、リスボンの切符でした。リスボア・カード(見つかった青と黄色の切れ端はカードの右端部分)のことでしょう。

シーモアにメールを送り、キャサリン・ドナヒューの海外渡航歴を調べてもらうと、2013年11月にベルファストからヒースロー経由でリスボンに3日間滞在していたことがわかります。ガブリエルは、潜伏中の人間を見つける仕事を専門にしている人間を雇うと言って、ラヴォンに電話をかけます。
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今回の投稿での旅はここまでです。次回、第1部の続き、第23節からいながら旅を続けます。ガブリエルとケラーがクインの手掛かりを見つけたリスボンには、この3月に旅行しますので、最新の画像をお見せしたいと思います。
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