ダニエル・シルヴァの小説『亡者のゲーム』de いながら旅 (4)

● ダニエル・シルヴァ
● ダニエル・シルヴァ亡者のゲーム

 『亡者のゲーム』をガイドブックとしたいながら旅も、この投稿が最終回です。第4部からいながら旅を続けます。シリアの支配者一族の金を奪取するガブリエルの作戦は成功するのでしょうか。そして、カラヴァッジョの名画は見つかるのでしょうか。


第4部 対 価

42 ロンドン

 アル=シディキの手帳を手に入れて中身を盗み出すため、彼を友好地帯の外におびき出すことになります。ガブリエルは、事前の根まわしのため、ミュンヘン経由で10時半のブリティッシュ・エアウェイズに搭乗してロンドンに向かいました。現在、ミュンヘンからヒースロー行きのブリティッシュ・エアウェイズは、7時20分発のBA947便(所要時間2時間10分、機種はA319、A320等)だけになっています。到着したロンドンは雨で、ヒースロー空港は永遠の黄昏に包まれていました。

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 空港にはMI6のナイジェル・ウィットカムが迎えに来ており、彼のヴォルクスホール・アストラ(車の色は426頁から赤と判明)で高速道路M4経由でロンドンに入りました。途中、ウェスト・ケンジントンとアールズ・コードで尾行を確認し、メイダ・ヴェイルへ向かいました。

livedoor.blogimg.jp/auto2014

 古い厩を改装したメイダ・ヴェイル図書館では、MI6長官のグレアム・シーモアが待っていました。

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 ガブリエルは、シーモアに英国での作戦を話し、MI6に手帳を手に入れてもらいたいと頼みます。アル=シディキをロンドンにおびき出すのは、金を盗む独裁者どもを嫌うロシアの友人に頼み、パーティに招待してもらうと話しました。


43 チェルシー、ロンドン

 ガブリエルは、次に、ロシア人の大富豪ヴィクトル・オルロフの住むチェイニー・ウォーク43番地に立ち寄りました。チェルシーのその番地にあるのは、写真のような集合住宅で、作中及びシリーズ21作目『報復のカルテット』24頁にある、錬鉄のフェンスに囲まれ、通りから奥まった場所に建てられた、屋根が高く、間口が狭く、藤の花に覆われた、戦争中の国の大使館のような外観の邸宅では見当たりません。オルロフは、かつてソ連の核兵器開発に従事していましたが、連邦崩壊後早々に共産党を離れ、西欧からパソコンその他を輸入して莫大な富を築き上げ、ロシア最大の国営企業だった鉄鋼会社とシベリア油田のルゾイル社を買収するまでになりました。しかし、新興財閥(オルガルヒ)を嫌悪するロシア大統領に睨まれて鉄鋼会社とルゾイルを渡すよう脅迫され、鉄鋼の権益は放棄したものの、ルゾイルを手放そうとしなかったため、詐欺と賄賂の容疑で逮捕状が出されるに至り、ロンドンに逃亡することになりました。オルロフは、シリーズ9作目『The Defector』では、ロシアに拘留されたガブリエルとキアラの解放と引き換えにルゾイルを手放しています。

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 オルロフは、モスクワの情報源からの情報で、シリアの金を管理しているのがケメル・アル=ファルークで、投資の管理にあたっているのがワリード・アル=シディキであることを知っており、ロシア大統領も彼らが管理している金を狙っていると話します。ガブリエルは、こっちが先に頂戴しようと言って協力を求めます。


44 ロンドン ___ リンツ、オーストリア

 〈ヨーロッパ・ビジネス・イニシアティブ〉と名付けられた会議は、当初 ”オルロフの愚行” とそしられましたが、オルロフ自らヨーロッパ各国を回って参加の約束を取り付け、わずか数日のうちにビジネス界で最高にホットなイベントと化しました。写真は、会議の公式ホテルとされた〈ドーチェスターホテル〉です。「ザ・ドーチェスター」と呼ばれる1931年創業の由緒ある5つ星ホテル。ホテル前のプラタナスは、ロンドンの名木の一つです。

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 ジハンは、アッター湖西側にある黄色い瀟洒な別荘を2回再訪し、ガブリエルから訓練を受けました(下の黄色い家の絵は、クリムトが1910年に制作した《アッター湖畔のカンマー城Ⅳ》という作品です)。2回目には、部屋の一つにジハンがしゃべったアル=シディキのオフィスの様子がそっくり再現され、部屋を真っ暗にしてアラームが鳴り響く中でも役割がこなせるようになりました。

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 ガブリエルは、名前を名乗らないドイツの税吏という役割に徹していましたが、ジハンを欺いていることが彼の良心に重くのしかかってきました。不機嫌になるー方だったので、ラヴォンは、スループ型の小さなヨットを購入し、ガブリエルを別荘から連れ出すようになりました。

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 水曜日にはアル=シディキのもとに〈ヨーロッパ・ビジネス・イニシアティブ〉への招待状が届きました。出欠の電子メールを出す期限は金曜日の午後5時でしたが、ガブリエルは不安になり、金曜日の午後2時になると早く決断しろとわめきちらします。ラヴォンによって湖に追い出され、桟橋に戻ってくると、ラヴォンが敬礼をして出迎え、アル=シディキが参加する返事があったと知らされます。


45 リンツ、オーストリア

 アル=シディキのオフィスに呼ばれたジハンは、彼から、顧客の投資ポートフォリオの管理を手伝ってほしいとの申出を受け、色々と質問され、先へ進む前に身元調査をする必要があると、脅すような口調で言われました。

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 ジハンは、銀行をあとにして路面電車でドナウ川を渡り、モーツァルト通りで降りると、恐怖を隠すために低くハミングして歩きました。1783年10月にリンツを訪れ、僅か4日間でリンツ交響曲(第36番)を作曲したとされる、モーツァルトに因んで命名されたモーツァルト通りは、ラント通りから東に伸び、商業施設を抜けると静かな通りが続きます。住まいのある通りに曲がったときに、この数日何度も見かけた男(実はクリストファー・ケラー)が向かいの歩道を歩いているのが見えました。

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 自分のフラットに入って、恐怖がよみがえり、そっちに行ってもいいかとダイナに電話しますが、都合が悪いと断られ、通りの向かいの男がアル=シディキの手下かもしれないと疑心暗鬼になります。


46 ヒースロー空港、ロンドン

 ヒースロー空港には〈ヨーロッパ・ビジネス・イニシアティブ〉と書かれた仮設カウンターが設置されていました。アル=シディキは、ボディガードを連れてカウンターを訪れますが、定冠詞のアルが抜けていたためにリストを確認するのに手間取られ、不機嫌に外に出て、リムジンに乗り込みました。

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 ガブリエルは、ウィットカムが運転する車でアル=シディキのリムジンを追ってドーチェスター・ホテルまで行き、それから、ランカスター・ゲートとハイドパークに面したペイズウォーター・ロードの隠れ家に入りました

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 翌日、アル=シディキは、高級リムジンバスで市内を東に向かい、会議場となるサマセット・ハウスに到着し、噴水がある中庭の石畳を横切っていきました。この中庭は、冬季はアイススケートのリンクになるそうです。

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 会議が終わると、参加者たちは休憩をとるため、ドーチェスター・ホテルに戻り、その後、晩餐会のため、テート・モダンに出かけましたテート・モダンは、1981年までバンクサイド発電所であった建物を改修して、2000年に開館した国立の近代・現代美術館です。象徴的な煙突は、99mの高さがあります。かつて石油タンクがあった場所には、地上10階の新館スイッチ・ハウスが増築され、2016年6月から公開されています。

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 会場となったタービン・ホールは、テート・モダンのエントランスで、かつて大型発電機が置かれていた空間です。建物と同じ7階分に相当する高さと3400㎡の面積があります。

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 翌日、アル=シディキは、9時10分過ぎにヒースロー空港に到着します。ブリティッシュ・エアウェイズのウィーン行きには、彼が登場したBA700便が現在も実在し、機材はA319又はA320、飛行時間は2時間20分くらいです。

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 空港保安検査員に扮したウィットカムは、アル=シディキにあと少しだけ透視検査が必要と告げて、彼の手荷物とともに胸ポケットに革の手帳が入った上着を持って検査場の奥に入りました。

flyteam.jp/newsから引用)

 MI6の職員クラリッサが手帳をドアの向こうの小部屋に運びます。中では、ガブリエルとMI6長官のシーモアが待機していて、二人はドキュメントカメラでアル=シディキの手帳を撮影していきます。このとき、アル=シディキの携帯電話にフルタイム送信機能を潜ませる細工を行うことも忘れませんでした。


47 リンツ、オーストリア

 ジハンは、携帯に届いたメールを合図に、搭乗間際のアル=シディキに電話を架け、銀行から〈LXR投資〉の登記簿が見つからないとの連絡があったと偽って、彼から暗証番号を聞き出してオフィスに入り、パソコンを立ち上げ、彼の誘導のもとファイルの送信作業をする一方、隠していたUSBメモリを挿してデータを盗み出しました。

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 午後1時、ジハンは、ランチに出かけてくるとウェーバーに告げて通りに出て、路面電車に乗り込み、モーツァルト通りの停留所で降り、ダイナの待つ〈フランフェスコ〉に向かいました。ランド通り沿いのピザ屋です。

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 その頃、ガブリエルは、ヒースロー空港午後2時20分発のエル・アル航空LY316便に離陸の数分前に搭乗しました。機材はB787-9です。しばらくしてキアラが隣の席にすわって首尾を尋ねると、彼は、無言でUSBメモリをかざしてみせました。


48 キング・サウル通り、テルアビブ

 キング・サウル通りの414C号室。ガブリエルがアル=シディキの手帳とパソコンのデータを持って戻ると、自分たちを〈ミニヤン〉と呼ぶハッカーチームは、まずケイマン諸島の銀行を探り、続いて北のバミューダ諸島、バハマ諸島、パナマ、西半球ではブエノスアイレスが最後。香港、ドバイ、ベイルート、スイスへと拡大し、シーモアが資金凍結の約束を破ったときに備えてロンドンで見つかった口座にも、決められた瞬間に史上最高額の銀行強盗が実行されるように、トラップドアや秘密のルート指定回路が設定されました。

doracoon.netから引用)

 最終的に82億ドルが見つかりました。ナヴォトに報告し、彼から首相に報告してもらいます。ガブリエルの計画では、午後10時(リンツ時間で午後9時)に資産を奪い、同時にダイナとケラーによってジハンを連れ出すことになっています。午後9時50分、ナヴォトがベッラとキアラを従えて414C号室に入室すると、実行のボタンを押す役に指名されたベッラがパソコンの前にすわりました。

cloudo3.comから引用)

 ところが、リンツ時間の午後8時57分、一人でアパートメントにいたジハンのもとにアル=シディキから電話が入ります。その電話が切れる前に、ガブリエルは作戦の一時停止を命じます 。


49 アッター湖、オーストリア

 夜を徹した議論の後、ガブリエルは、エル・アル航空LY353便に搭乗し、再びミュンヘンからリンツに入りました。

flyteam.jp

 昼過ぎにはアッター湖畔の別荘に着き、ジハンとダイナを呼びました。下の絵は、先に紹介した絵と同様、アッター湖畔のカンマー城を描いたクリムトの《アッター湖畔のカンマー城Ⅲ》(1909/1910年、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館)です。

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 呼ばれた理由を尋ね、アル=シディキの声の響きがもう耐えられないから、すぐにお金を消して、自分も一緒に消してほしいと頼むジハンに対し、ガブリエルは、昨夜のアル=シディキの電話の録音を再生して聞かせます。アル=シディキは、電話でジハンに、月曜日にジュネーブへ行ってホテル・メトロボールである顧客に会い、書類の入った袋を受け取ってリンツまで持ち帰ってほしいと頼んでいました。ガブリエルが作戦を中止したのは、その顧客が王国の鍵を持つ男、ケメル・アル=ファルークだったからでした。


50 アッター湖、オーストリア

 ガブリエルは、ジハンとテラスに出て、パラソルの下の木陰にすわり、ケメルが何者であるか、彼の書類には支配者一族の隠し財産に繋がる手がかりがあるはずだと語り、それを手に入れるのに手を貸してほしいと頼みます。そして、二人は、喧嘩中のカップルのようにぎくしゃくした態度でモーターボートに乗り込み、湖を南へ向かいました。

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 下の絵は、2023年5月に日本人が5,320万ドルで落札したという、クリムトの《アッター湖の島》という作品です。同じ景色を描いたもう1点がウィーンのレオポルド美術館に所蔵されています。

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 ジハンがあの連中と同じだとなじると、ガブリエルは、自分がイスラエルの人間であることを明かし、変装を取って真顔を見せます。ジハンは、協力するから本当の名前を教えてほしいとガブリエルに頼みます。水面に書いて忘れることにするからと言われ、ガブリエルは、自分の名前を告げるのでした。


51 アッター湖 ___ ジュネーブ

 ジハンは、日曜の午後、再びアッター湖の別荘に出向き、行動の説明を受けました。書類を写真に撮る練習が終わると、湖を見渡す芝生の庭で偽りの仮面をはずしたチームのみんなとランチをとりました。

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 ジハンが帰った後、ガブリエルとラヴォンは、車で出発し、まだ暗いうちにジュネーブに到着しました。サン・ジョルジュ大通りの〈オフィス〉が昔から所有しているフラットへ直行し、先乗りしていたモルデカイが整えた戦闘指令所で、アル=シディキの動向やジハンの様子の監視を開始しました。

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 ウィーン国際空港からオーストリア航空OS411便に搭乗してパリに向かったアル=シディキは、パリ時間の9時10分、彼がパリ1区のサントノーレ通りにあるフランス大手銀行ソシエテ・ジェネラルのパリ支店で副頭取のオフィスに入りました。すぐにダマスカスの発信元から携帯電話に着信があり、通話が終わると、携帯電話の電源を切ったため、パソコンから彼の発信信号が消えました。電話の内容は別の電話からかけ直すよう指示するものでした。

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 一方、ジハンは8時15分にウィーン国際空港に到着。搭乗便はわかりませんが、ジュネーブまでは1時間半程です。ジュネーブ空港でジハンを出迎えたのは、外交官の身辺警護の責任者だというオマリと名乗る男でした。

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 ジハンを乗せた車は、中心部から外れた工業団地の中を数分走った後、ようやくメラン通りに向かい、モンブラン橋を渡りました

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 ジェネラル・ギザン通りにある灰緑色の外観の〈ホテル・メトロボール〉に到着すると、オマリは、ジハンに誰とも口を利かずに直接312号室に行き、書類を受け取ったらまっすぐ車に戻ってくるように指示し、彼女の携帯電話を預かりました。

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 ジハンの携帯から送信される赤いライトがパソコン画面から消え、ガブリエルは、直ちにジハンを追ってホテルに入ったヤコブに無線で作戦の中止を命じましたが、ジハンは既に混雑したロビーを抜け、閉まりかけたエレベーターにすべりこみ、ヤコブの前から姿を消しました。


52 ホテル・メトロボール、ジュネーブ

 ジハンが身体検査を受けて豪奢なスイートのリビングに入ると、ケメル・アル=ファルークは、カウチにすわりテレビから流れるアルジャジーラのリポーターのコメントに首を振っていました。彼は、ジハンの素性を確かめるように質問した後、テーブルに茶封筒を置きました。

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 ヤコブは3階をちらっと覗いた後、〈ミラーバー〉でエレベーターを監視していると、11時40分、ジハンが不意に姿を見せました。右肩にかけていたバッグが左肩に移っていました。書類を受け取ったという合図です。ホテルの外に出ると、男に手招きされてメルセデスに乗り込みました。

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 ケメル・アル=ファルークは、客室の窓辺に立ち、ジハンがホテルをあとにしたとき、彼女を追って走り出した銀色のトヨタをとらえ、尾行されていることを携帯電話で相手に伝えました。そして、ジュネーブのシンボルともいうべき大噴水が高々と水を噴き上げるのを眺めながら、オマリが彼女の口を割らせ、殺すことを思い描くのでした。

signaturetravelnetwork.com

 ジハンを乗せたメルセデスは、メラン道路沿いの〈レ・ザステール〉というバー&レストラン(現在はなくなっています)の傍を通り過ぎた辺りからスピードを上げ、ミハイルが赤信号を無視してウェント大通りの交差点を走り抜けたものの距離を詰めることはできず、中心部から離れる辺りで、狭い路地から飛び出してきた白いバンとの衝突を急ブレーキを踏んで回避したときには、既に消えていました。

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 オマリからアル=ファルークの書類を見るように命じられ、ジハンが言われたとおりにすると、書類はすべて白紙でした。オマリの方に顔を上げると、その手に握られた銃が彼女に向けられていました。


53 ジュネーブ

 国連のジュネーブ本部で、シリア問題をめぐる会談が開催されたその日、ジュネーブ発のオーストリア航空OS577便にジハンが搭乗しなかったことが伝わり、ガブリエルとラヴォンは、パリでアル=シディキが受けたダマスカスからの電話は、ジハンがハマーの生まれであることを知らせるもので、それを聞いた彼はアル=ファルークにジハンに会うのを中止するように連絡したが、アル=ファルークが別の考えを思いついたのではないかと分析します。

 ガブリエルは、彼らと取引するため、キング・サウル通り宛にメールを送信し、ウージは、414C号室のスタンバイされたままのパソコンに直行して、世界各地で金が流れるようキーを押しました。

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 フランスの国境を越えたところで、オマリは、ジハンをトランクに押し込みました。

carview.yahoo.co.jpから引用)

 車が停車すると、黒いフードをかぶせられて、砂利道を歩かされ、ひどく急な階段を下り、コンクリートの床に放りだされました。


54 テルアビブ ___ オート=サヴォワ県、フランス

 テルアビブ時間で午後4時25分には、シリアの支配者の資産82億ドルが〈オフィス〉のものとなっていました。ガブリエルは、次にチューリッヒのトランス・アラビアン銀行のワリード・アル=シディキを名義人とする口座へ5億ドルを移すように指示を出しました。

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 その頃、ジハンは、ゴム製の棍棒で打ちすえられ、脅されて、自分がハマーで生まれたことも、家族が騒乱で殺されたことも、父親がムスリム同胞団のメンバーだったことも、アル=シディキには何もかも話してあると言うのでした。

 彼女がオマリから尋問を受けた場所は、オート=サヴォワ県にある王宮のような建物の広い豪華な部屋で、建物まで砂利道を歩いたことから、市街から離れた場所と想像できますが、場所を特定することはできません。写真は、アヌシーの南12km、高さ200mの岩の上に建つ中世の城で、ディズニー映画「眠れる森の美女」の城のモデルになったといわれる、マントン・サン・ベルナール城です。

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 シャトーではなく王宮だと表現されていることから、同じマントン・サン・ベルナールの湖畔にあるホテル、〈ル・パラス・ド・モントン〉がモデルの可能性もあります。

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 4回かけた後でようやく携帯に出たアル=シディキに、ガブリエルは、〈LXR投資〉名義の口座の最近の取引内容について照会するように告げて電話を切ります。アル=シディキが隠し金の口座のある銀行に電話すると、そのたびに同じことを言われ、「こんなことをしてただですむと思うな」と電話してきたアル=シディキに、ガブリエルは「金を奪ったのはあんただ」と言い、チューリッヒのトランス・アラビアン銀行にも電話を掛けさせます。


55 オート=サヴォワ県、フランス

 降伏したアル=シディキは、車のバックシートに一人で座り、ガブリエルに「何が望みだ?」と再び電話をかけます。ガブリエルは、アル=シディキに、ケメル・アル=ファルークに電話して、支配者の資産80億ドルを紛失したこと、その一部は自分名義の口座に移されたことを報告するように指示し、すばらしい投資のチャンスを提供しようと持ち掛けます。

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 オマリがジハンにアル=シディキとの関係や彼について知っていることをすべて話すよう尋問を続けていたところ、彼の携帯が振動します。彼は、しばらく無言で耳を傾け、不満そうにぼやいて電話を切り、ジハンを再び地下の独房に連れて行くのでした。


56 アヌシー、フランス

 ガブリエルとラヴォンは、西へ走ってフランスとの国境を越えてアヌシーに向かいました。オート=サヴォワ県の県都アヌシーは、ヨーロッパで最も透明度が高い湖として知られるアヌシー湖の北西湖岸にあり、かつてジャン・ジャック・ルソーが住んでいたことでも知られています。また、毎年6月には国際アニメーション映画祭が開催されています。

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 夕暮れ近くに到着し、県庁の近くでラヴォンを降ろしました。アルビニー通りにある、オート=サヴォワ県庁舎は、1862~66年に建築家レオン・シャルベによって建てられ、歴史的建造物に登録されています。

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 県庁の南側には、シャン・ド・マルスとヨーロッパ公園という2つの公園があり、その間を流れるヴァッセ運河には、愛の橋(Ponte des Amours)という歩道橋が架かっており、そこから眺めるアヌシー湖の景色は素晴らしく、恋人たちのデートスポットとなっています。ラヴォンもここを通ってガブリエルのところに向かった可能性もあります。

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 アヌシー湖の水は、チウー運河へ流れ込んで旧市街を巡り、ローヌ川の支流であるフィエール川へと注ぎます。運河と橋、そして花々が飾られた運河沿いの通りが見せる景色は、「アルプスのヴェネツィア」とも呼ばれています。

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 代表的な見どころとしてチウー運河に浮かんでいるのが、かつて牢獄や裁判所として使用されたというパレ・ド・リルで、現在は歴史博物館になっています。

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 ガブリエルが車を停めたのは、チウー運河のほとりに建つ、サン=フランソワ・ド・サル教会の傍でした。バロック様式の白く愛らしい教会です。

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 写真右側の中州にあるのがパレ・ド・リル、写真左上に見えるのがサン=フランソワ教会で、その右下の通りに面した〈サヴォワ・バー〉という名のカフェに行くと、ケラーが座っていました。また、ラヴォンが二人の傍を通り過ぎ、隣のカフェ(〈ビストロ・ラトラス〉のこと)でヤコブと合流し、写真右下から広場に通じるグルネット通りにミハイルとヨッシが車を止め、オデットがケバブ店のテーブルからその車を見守っていました。

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 ガブリエルとケラーは、これからの交渉のことやケラーに提案したMI6で働くことについて話をしながら待っていると、アル=シディキの車がグルネット通りに現れました。


57 アヌシー、フランス

 ガブリエルとケラーが待つ〈サヴォワ・バー〉のテーブルまで、ミハイルがアル=シディキを連れてきます。ガブリエルは、アル=シディキから携帯電話を取り上げ、発信履歴の中からムハバラートの男オマリが出るという番号を押します。オマリが電話に出ると、ガブリエル・アロンであると名乗り、ジハンを電話に出すように要求します。

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 ジハンの無事を確認し、すぐに助け出すと告げた後、オマリに、彼女に二度と手を出さないよう脅した上で、彼女を連れて来るように指示した場所は、アヌシーのグルネット通りにある〈シェ・リーズ〉という店の外でした。

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 ガブリエルとケラーの素性に気付いたアル=シディキに、彼が買い取ったゴッホは偽物であると明かし、カラヴァッジョの行方を尋ねます。アル=シディキは、カラヴァッジョは修復してシリアの支配者の王宮に飾ることになっていたこと、行方不明となったことに激怒した支配者がオマリに探索を命じ、その結果彼がブラッドショーと贋作者を殺したこと、利用価値がなくなったサミールも殺害したことを話しました。しかし、カラヴァッジョは見つけられず、消えてしまったとのことでした。

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 黒のメルセデスが〈シェ・リーズ〉の前に到着し、ジハンが乗っていることを確認したガブリエルは、アル=シディキに、彼女と82億ドルを彼女が残りの生涯を安全に暮らす費用5000万ドルを差し引いて交換することを提示します。アル=シディキは、好条件に驚き、二つ返事で提案をのみます。彼が指定する口座への送金を完了すると、車のドアが開いてジハンが姿を現します。


第5部 最後の窓

58 ヴェネツィア

 8月上旬の蒸し暑い午後、ゴッホ美術館の館長が《ひまわり》が戻ってきたことを発表しました(写真は、今後《ひまわり》を他に貸与せずゴッホ美術館でのみで展示することを決めた2019年1月の発表のときのものを代用しました)。アムステルダムのホテルの一室に盗まれたときより状態が良くなって置き去りにされていたことが明らかとなり、美術品保護委員会の委員長を務めるジュリアン・イシャーウッドは、「人類にとって偉大な日」と賛美しました。

jp.reuters.comから引用)

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 1週間後、フェラーリ将軍から、長らく行方不明だった名画3点が戻ってきたことが発表されました。彼がチーフを務めるカラビニエリ美術班本部は、ローマの中心部、サンティニャツィオ広場にあるクリーム色の宮殿です。

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 コモ湖のヴィラから見つかった(第7節)、パルミジャニーノの《天使のいる聖家族》、ルノワールの《田園の若い女たち》、クリムトの《女の肖像》の3点ですが、将軍の発表はこれで終わりではありませんでした。

(左から、Wikimedia Commons①

 ジュネーブの倉庫から見つかった、モネの《プールヴィルの浜辺》(第20節では不明であった絵のタイトルが作中に明記)とモディリアーニの《扇をもつ女》。それから、マチス、ドガ、ピカソ、レンブラント、セザンヌ、ドラクロワの作品の数々、ティツィアーノではないかと思われる作品も。開かれた記者会見で、カラヴァッジョの《キリストの降誕》が見つかる可能性について質問されると、将軍は「可能性なしという言葉は使いたくない」と沈痛な面持ちで答えて退場したのでした。

(左から、Wikimedia Commons①

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 リンツでは、シリア出身のアル=シディキとジハン・ナワズの失踪が事件となっていました。ジハンがジュネーブのホテル・メトロポールにケメル・アル=ファルークを訪ね、また、ハマーの生まれであったことが明るみに出ると、彼女は西側の諜報機関のために活動していたのではないかとの憶測が流れ、アル=シディキについては、シリアの支配者の資産隠しと管理に関わったことがマスコミに漏れ、世界各地の金融機関から何十億ドルという金が短時間内に引き出されて一か所に移されたことも報告されました。そして、テルアビブの諜報機関に注目が集まりますが、この不審な金の流れを、盗まれた名画が発見された件と、中肉中背の男と結び付けた者はいませんでした。

Wikimedia Commons

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 ガブリエルは、8月の第3水曜日にヴェネツィアの教会に戻ってきます。サン・セバスティーノ教会は10月1日から再び一般公開される予定で、修復チームのメンバーはそれぞれ作業を完了し、今教会には彼一人きりでした。修復作業は絶望的に遅れており、彼は休みなしで夜明けから夕暮れまで作業を続けるしかありませんでした。

lh3.googleusercontent.com

 9月中旬のある日、キアラと夕暮れのザッテーレを散歩します。ザッテーレは、ドルソドゥーロの南側、ジュデッカ運河に面した一連の岸壁で、広い舗道が続く昼下がりの散歩コースとして有名です。双子の名前の話をし、シャムロンが自分たちの帰国をじりじりしながら待っているようだとキアラが伝えると、ガブリエルは、シニャドーラからシャムロンが長くないと聞かされていたことを思い出し、彼の声の調子を尋ねるのでした。

Wikimedia Commons

 9月下旬、ガブリエルは、教会に閉じこもって働き続けました。聖母マリアと幼子イエスをわずか1日で修復し、最終日の午後には天国の雲から身を乗りだして下界の苦悩を見ている巻き毛の天使の顔を修復しました。

Wikimedia Commonsから切り抜き)

 亡くなった息子のダニにそっくりなので、作業を進めながらひっそりと涙を流しました。修復が完了し、涙を拭うと、カンバスの前にじっと立ちつくしました。彼を見守っていたティエボロに、終わったようだと告げます。


59 ヴェネツィア

 その日の夕方6時を回ったころ、ガブリエルがゲットー・ヌオーヴォ広場まで来たとき、フェラーリ将軍が立っていたのは、広場の北西の隅、1943年12月に強制収容所に送られ、アウシュヴィッツで殺されたヴェネツィアのユダヤ人たちに捧げられた、小さく地味な追悼碑の前でした。第3旅(第10節)でキアラの父のラビから読むように言われた銘板です。

 また、ヴェネツィアでもこんなことが起きていたとは知らなかったと言う将軍が手をすべらせた、7つ並んだ浅浮彫りのプレートというのが、同じ壁の左側にある、アルビット・ブラタスによるホロコースト記念碑です。それぞれのプレートはこちらでご覧ください。

 そして、どこから狩り集められたのかを尋ねた将軍に、ガブリエルが指し示したのが、”Casa Israelitica di Riposo”とドアの上に書かれている建物(イスラエル人安息の家)です。多くのユダヤ人は既に隠れ、ユダヤ人狩りが実施されたときにヴェネツィアに残っていたのはこの高齢者のための介護ホームにいた老人と病人だけだったと言って。

 カラビニエリの隊員がいる緑色の金属製のボックスを見て、将軍は、美しい広場に保安設備を置かなければならないのは嘆かわしいと言い、「なぜ永遠に憎悪が続く?、いつまでたっても終わらんのだ?」と問いかけます。ガザ等へ加えられた痛ましい攻撃にも思いが及ぶシーンです。

 二人は広場をわたってコミュニティセンターの隣のカフェに入り、ピノ・グリージョのボトルを分け合いました。現在はなくなってしまった、〈ウプーパ・ゲットー・ヴェネツィア〉ではないでしょうか。将軍は、《ひまわり》を盗み出した後のことの報告を求め、ガブリエルは、将軍に沈黙の誓いを立てさせてから、シュトゥットガルトでサミール・バサラが殺害された以降のことすべてを話しました。

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 将軍は、カラヴァッジョを捜す連中がほかにも出てきたので、先を越されないよう是非とも自分たちの手で見つけなければならないと申し出ますが、ガブリエルは断ります。将軍は、ガブリエルがなぜゲットーで暮らすことにしたのか理解できないと話すと、彼はヴェネツィアで一番住みやすいと答えます。


60 ヴェネツィア

 それから数日間、傍を離れないガブリエルに、次第に鬱陶しさを感じ、旅行に出ようと決めたキアラ。ガブリエルは、ある考えを思いつき、クリストフ・ビッテルにスイスに入国する許可を求めます。翌朝早く、ガブリエルとキアラは、水と絵画の都をあとにして、富と秘密に満ちた、内陸の小さな国へ向かいました。ルガノで国境を越え、アルプスに入るころには午前も半ばになっていました。写真は、パスクアーレ・ルッキーニによって設計された、ルガノ湖に架かるメリデ橋(ダム橋)でメリデとビッソーネを繋いでいます。

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 高い峠では雪がちらついていましたが、インターラーケンに着く頃には雲一つない空に太陽が明るく輝いていました。「湖の間」を意味するラテン語(inter lacūs)に由来するインターラーケンは、トゥーン湖とブリエンツ湖の間に位置する都市で、アイガー、メンヒ、ユングフラウのアルプス三峰に向かう観光拠点です。

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 待ち合わせ場所の〈アルペンブリック・ホテル〉は、グリンデルワルトの村のはずれにあります。コーヒーを飲みながら、そびえ立つメンヒとアイガー北壁を眺めて待っていたビッテルは、緑の草原の向こうにある山の麓を指さして、ジハンのいる山荘のある場所を教え、彼女が孤独にしていると言い、友達ができれば喜ぶだろうと話しました。

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 キアラとビッテルをホテルに残して、ガブリエルは、草原に車を走らせました。ジハンの山荘は、小道の奥にある、濃い色の木材を使った小さくて瀟洒な家(写真の山荘はイメージに合うものを周辺で探しました)。車寄せに車を入れてエンジンを切ったとき、整形手術で鼻と頬骨と顎の形を変えたジハンが姿を現しました。

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 庭のテーブルで、ガブリエルはジハンにイスラエル滞在中のことを尋ね、彼女は彼にアメリカのシリア政権への軍事攻撃のことを聞き、政権が倒れたら故郷の再建を手伝いたいと話しました。彼は今はここが彼女の故郷だといい、ここで幸せに暮らせそうか尋ねます。たぶんと答える彼女の頬にキスをすると、彼は彼女一人を残して去っていきました。


61 コモ湖、イタリア

 ガブリエルとキアラは、その後インターラーナン近くで2泊して、来た時と同じルートでスイスをあとにし、コモ湖畔のブラッドショーのヴィラに立ち寄りました。フェラーリ将軍の美術班が徹底的に捜索した後ですが、最後にもう一度自分の目で確かめておきたかったのです。しかし、キアラと一緒に捜索しましたが、成果はありませんでした。

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 ガブリエルは、自分のブラックベリーを取り出し、記憶している番号を押しました。「こちらは、マルコ神父です。御用件は」という男性のイタリア語が聞こえました。


62 ブリエンノ、イタリア

 著者ノートにあるように、ブリエンノにサン・ジョヴァンニ福音教会という教会は存在しませんが、通りに面して建っている白い小さな教会というと、レジーナ通り沿いにコモ湖を見下ろすように建っている、聖ナザロとチェルソ教会があります。

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 ガブリエルとキアラは、出迎えたマルコ神父に先導されて、庭の小道から司祭館に入りました。

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 マルコ神父は、ブラッドショーにとって贖罪神父のような立場だったと語り、過去に故国の政府のために何か秘密の仕事をしていたこと、ニコル・デヴローという女性を心から愛していたこと、彼女の死にひどい罪悪感に苛まれていたことを聞かされていました。気前のいい人物で、教会や村に色々と寄付して支えてくれ、1年ほど前に盗まれた祭壇画の代わりの絵も、亡くなる二、三日前に、彼のコレクションの中から寄付してくれたと話しました。

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 ガブリエルとキアラは、横の入口から教会に入り、身廊を通って内陣まで行きましたが、祭壇画は闇の中に沈んで見えませんでした。写真は、聖ナザロとチェルソ教会の身廊で、同教会には、1618年のエネア・サルメッジャの聖母とシエナの聖ドミニクと聖カタリナの祭壇画が掲げられているようです。

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 照明が点き、まばゆい光の中に姿を現したのは、グイド・レーニ風のタッチの磔刑図でした。レーニには、磔刑図を描いた作品がいくつかあります。こちらは、ボローニャ国立美術館に所蔵されている、《十字架につけられたイエス・キリスト、悲しみの聖母、聖マグダラのマリア、聖ヨハネ》という1617年ころの397×266cmの作品です。

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 こちらは、モデナのエステンセ・ギャラリー所蔵の《十字架》という1639年の261×174cmの作品です。縦横比は違いますが、サイズ的にはこちらの方が近いです。

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 ガブリエルは、アセトン、アルコール、蒸留水などを調達して教会に戻ると、溶剤を調合して木釘と脱脂綿をつかんで、マルコ神父から借りた梯子を上りました。キアラと神父に見守られながら、絵の中心部に窓を開くと、白い絹のリボンを握った天使の手が見えました。約30センチ下に移動し、10センチほど右寄りに開いた第2の窓からは出産で消耗しきった女性の顔が、第3の窓からは生まれたばかりの赤子の顔、男の子が神々しい光に照らされていました。

Wikimedia Commonsと上の画像を合成)

 ガブリエルは、カンバスにそっと指先をつけ、自分でも驚いたことに、涙が溢れて止まらなくなりました。きつく目を閉じ、喜びの声をあげると、がらんとした教会にその声が反響しました。「天使の手、母親、幼子……」カラヴァッジョを見つけたのです。


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 第6シーズンのいながら旅は、以上で完結です。次の旅のガイドブックは、引き続きダニエル・シルヴァの『英国のスパイ』を予定しています。楽しみにしてお待ちください。

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