ダン・ブラウンの小説『インフェルノ』de いながら旅 (7)

● ダン・ブラウン
● ダン・ブラウンインフェルノ

 第2部からいながら旅を続けます。旅の舞台はヴェネツィアです。ヴェネツィアは、これまでの旅にも登場していますが、過去のいながら旅を引用する場合は、シーズン番号に応じて、(いながら旅の)第〇旅(例えば、第2シーズンの場合は第2旅)と表記します。


第2部 ヴェネツィア

 このヴェネツィア編では、物語の展開上、フィレンツェ編に比べて、巡るスポットが少ないので、新たな趣向のサイドトリップをしてみたいと思います。これまでも、小説に登場する絵画の画像を使用することはありましたが、先日(2024年11月)、東京・新宿のSOMPO美術館で開催された『カナレットとヴェネツィアの輝き』展を見てきたこともあり、カナレットほかの景観画家が描いた緻密で壮麗なヴェドゥータ(景観画)を織り交ぜて(景観を際立たせるため、展覧会時に撮影した写真から額縁を削って掲載)、その一瞬は18世紀のヴェネツィアにタイムスリップしてみたいと思います。

 ヴェドゥータとは、透視図法や遠近法を用いて都市の景観を精緻に描いた絵画で、18世紀のヴェネツィアやローマで花咲いたジャンルです。グランドツアーでイタリアを訪れた英国貴族などの旅行者に旅の記念として求められることも多く、厳密に写実的な風景画ではなく、画角を若干修正して観光名所を一つの絵に組み込むこともあったようです。今回のカナレット展は、ヴェドゥータの巨匠と言われるカナレットの全貌を紹介する日本初の展覧会でした。


27 サンタ・ルチア駅

 ラングドン達が到着したヴェネツィアのサンタ・ルチア駅は、大運河の最西端に位置し、1954年に建築された現在の駅舎は、作中(中巻246頁)にあるとおり、灰色火山岩とコンクリートでできた低層の建造物で、翼の生えたFS(国鉄)のマークのある現代的で優美なファサードです。写真は、2024年訪問時に夕方に撮影したものですが、彼らが到着したのは午後2時ころでしょう(映画では、パドヴァ駅で途中下車していますが、ヴェネツィア本島に午後2時49分に着いています)。

 その駅名は、当初の駅が1861年に取り壊されたサンタ・ルチア教会の跡地に建設されたことに由来しており、下のヴェドゥータ(作者不詳)には、画面左に取り壊される前のサンタ・ルチア教会が描かれています。中央右には、サンタ・マリア・ディ・ナザレ教会(スカルツィ教会)が描かれていますが、後に紹介するスカルツィ橋は、まだ建設されておらず、描かれていません。

 駅を出たラングドンが大運河の対岸に見たのは、鉄道でヴェネツィアを訪れた人が最初に出会うランドマーク、サン・シメオーネ・ピッコロ教会の緑青の丸屋根でした。急勾配のドームと円形の内陣がビザンチン様式で、殉教した聖人を表現した浮彫細工が施された三角形の妻壁を載せた円柱のプロナオスは、ローマのパンテオンを模したギリシャ古典様式という折衷様式の特徴的なフォルムです。

 先を急ぐラングドン達は水上リムジンを選びましたが、このいながら旅では、ラングドンお気に入りの1番のヴァポレットでサン・マルコ広場を目指したいと思います。ヴァポレットは、水上交通を主とするヴェネツィアにおける公共交通機関(水上バス)で、市内の主要な水上バスは市営の「ACTV」が運航しています。その中で1番線は、快速扱いの2番線とともにプリンチパーリと呼ばれる代表路線です。


28 大運河

 大運河(カナル・グランデ)は、総長約3.8kmに渡って逆S字状に貫いて、ヴェネツィア本島を東西2つに分ける幹線水路であり、この運河に沿って中世から18世紀にかけて建てられた様々なスタイルの建築物が並び、世界遺産「ヴェネツィアとその潟」の構成遺産となっています。駅前(Ferrovia)の船着き場から1番のヴァポレットに乗船します。

 東へ進み、まずは大運河に架かる4つの橋のうちの一つ、スカルツィ橋をくぐります。当初(1858年)は鋳鉄製の橋が架けられましたが、1932〜34年にエウジェニオ・ミオッツィの設計によりイストリア石による壮麗な橋に再建されました。

(2010年旅行時の写真)

 橋をくぐったとき、大運河沿いに建つ天蓋付きのレストランからイカのスミ煮込みのにおいが漂ってきたとあります(中巻250頁)が、2024年旅行時には、左側に見えるレストランの一つ〈トラットリア・ポヴォレード〉でシーフードの夕飯をいただきました。

 大運河のカーブを越えると現れたのは、サン・ジェレミア教会の巨大なドームでした。ラングドンが見た文というのは、大運河から見える教会後陣の壁に刻まれた「シラクーサの聖母ルチア、キリストの殉教者、この神殿に眠る。イタリアが世界に光と平和を懇願する」との碑文のことです。

 1204年にヴェネツィア共和国がコンスタンチノープルを陥落させたとき、聖ルチアの遺体は、ヴェネツィアに移送され、当初はサン・ジョルジョ・マッジョーレ島の教会に安置され、その後サンタ・ルチア教会を経て、1845年に同教会が取り壊される際にこの教会に移されました。聖ルチアが盲人の守護聖人であることから、ラングドンは、ダンテのデスマスクに刻まれた「盲人の骨を奪った不実なヴェネツィアの総督」というのは、聖ルチアの骨を奪った総督ではないかと考えます。写真は、サン・ジェレミア広場側から見たところです。

 ラングドンを乗せたボートは水上リムジンなのでもちろんノンストップですが、ヴァポレット1番線は、サン・マルクオーラ教会の未完のファサードが正面に見える、サン・マルクオーラ-カジノの船着き場に到着します。ここは、いながら旅の第3旅で、ゲットー・ヌオーヴォに向かうガブリエルが下船したであろう船着き場です。ここから先は同旅でも紹介していますので、重複を避けて説明していきます。

 続いてインフェルノには登場しませんが、大運河のすぐ右側に視線を移すと、13世紀に建てられた(1869年に再建されたものですが)、ビザンチンの影響が見える連続するアーチのファサードが特徴的なヴェネツィア・ゴシック様式の建物、フォンダコ・デイ・トゥルキが見えます。この建物は、かつてはトルコ商館として利用されていましたが、1923年からはヴェネツィア自然史博物館となっています。

 大運河の左手に視線を戻すと、作中(中巻256頁)にあるとおり華やかな赤い天幕を掲げた、カジノ・ディ・ヴェネツィアの豪奢なルネサンス様式の建物が見えてきます。マウロ・コドゥッシが手掛けたヴェンドラミン・カレルジ宮に、1638年に設立された世界最古のカジノです。作中では1883年に作曲家のリヒャルト・ワーグナーが心臓発作で急逝した場所とも紹介されています。

 ヴァポレットは、右岸のサン・スタエの船着き場に到着します。目の前には、ドメニコ・ロッシによって設計されたバロック様式のファサードが目を引くサン・スタエ教会があります。コーラス加盟の教会の一つで(水・木のみ、14時30分~17時)、デヴィッド・ヒューソンの小説『ヴェネツィアの悪魔』第3節39頁にも引用されている、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの初期作品《聖バルトロメオの殉教》など、ヴェネツィア派の傑作を見ることができます。

 右手には、バロック様式の粗面仕上げのファサードに大きな濃い青色の垂れ幕がかかる、カ・ペーザロ国際近代美術館が続きます。2024年の旅行時、日没後に前を通ったときは、ファサードの1階にほんのり灯りが点っていました。第3旅でも紹介した、建築家バルダッサーレ・ロンゲーナが設計した作品です。小説(中巻257頁)には、ラングドンがウィーンから貸し出されたグスタフ・クリムトの《接吻》を鑑賞したとありますが、同じクリムトの《ユディット2世》が所蔵され、オーギュスト・ロダンの《考える人》や《カレーの住民》のバージョンが見られます。

 次は、左手に、第3旅でも紹介したヴェネツィア・ゴシックを代表する建物、カ・ドーロが見えてきます。5連のアーチの上に2層のロッジアを重ねた開放的な装飾と左右対称ではない意外性のある構成が印象的で、特徴的な四つ葉飾りのアーチは、ドゥカーレ宮殿を模しています。

 2024年旅行時の4travelの旅行記では、ほかのパラッツォも紹介していますので、ご覧ください。

 リアルト橋の左手前に、1505〜08年にスカルパニーノとして知られるアントニオ・アッボンディによって再建されたフォンダコ・デイ・テデスキ(ドイツ人商館)の建物が広がります。これまで見てきた建物に比べてシンプルなファサードですが、かつてはティツィアーノジョルジョーネのフレスコ画で飾られていたようです。以前は中央郵便局の建物として利用されていましたが、現在はショッピングセンターとなっています。右側に見えているのは、第3旅で紹介したカメルレンギ宮殿です。

 前方に、「白い巨象」と呼ばれ、参考図書⑬152頁には「水上にかかる凱旋門」とも紹介される、名高いリアルト橋が現れます。サン・マルコ広場までの中間地点です。詳しい説明は第3旅をご覧ください。Googleで最短経路を検索すると、近くの船着き場で速度の遅いヴァポレットを下りて、そこから徒歩でサン・マルコ広場に行くように勧められます。

 私が通ったのはまだ朝早い時間帯でしたので、橋の下を通るとき、手摺のそばに誰も見えませんでしたが、上を見上げたラングドンは、観光客が見せびらかした疫病医の仮面に驚き、思わず体を引いてしまいます。

 橋の上は観光客で溢れますが、ヴェネツィア観光では外せないスポットで、この橋からの大運河の眺望は是非とも見ておきたい眺めです。

 こちらの絵は、1740年頃に制作されたミケーレ・マリエスキによるリアルト橋で、おそらく南側から描いたものでしょう。

 こちらの写真と比較してみてください。

 次の絵は、1730〜39年頃にカナレットによって描かれた《カナル・グランデのレガッタ》です。レガッタは、14世紀以来、カーニバルの催し物の一つとして開催された、ヴェネツィアのエキサイティングな見世物で、時には高名な賓客の歓迎イベントとしても開かれたようです。画面中央奥にリアルト橋が描かれており、画面左の建物は、第3旅に登場したバルビ宮で、カナレットのパトロンだったジョセフ・スミスが住んでいました。建物の手前に描かれているのは、カ・フォスカリ運河を塞ぐ浮き台の上に設置された、マッキナと呼ばれるきらびやかに装飾された仮設の建物で、競争の勝者はこの下で優賞旗を授与されました。

 大運河のS字カーブを左へ回り込んで、大運河に架かる最南端の橋アカデミア橋をくぐります。1854年の開通当初は鉄製の橋でしたが、老朽化に伴い、1933年に当時ではヨーロッパ最大の木造アーチ橋に生まれ変わりました。運河の向こうにサルーテ聖堂が見えてきますが、映画ではこの橋を過ぎた辺りから映ります。

 こちらは、1730年以降にカナレットが描いた《サン・ヴィオ広場から見たカナル・グランデ》です。画面右手前がサン・ヴィオ広場で、隣接するバルバリゴ宮の向こうにサルーテ聖堂が、画面左端に、第3旅で紹介したコルネール宮が描かれています。しかし、実際にその広場に立つと、建物に遮られてサルーテ聖堂を見渡すことはできず、対岸の建物もこれほど近くには見えません。

 右手に、第3旅でも紹介した、ヴェネツィアで私が一番好きな教会、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が見えてきます。通常の教会と異なり、北側の大運河に正面を向けていますが、現在は、残念ながら改修中で、正面ファサードが幕で覆われています。

 大運河の最南端、ドガーナ・ダ・マール。小説(中巻258頁)にいかめしい三角形の要塞と形容されるその建物は、1678〜82年にジュゼッペ・ベノーニによって海の税関として建てられ、2008〜09年に安藤忠雄によって修復され、現在美術館(プンタ・デッラ・ドガーナ)となっています。2体のアトラスが支える巨大な金の球体と運命の女神(フォルトゥナ)をかたどった風向計の彫刻は、ベルナルド・ファルコーニの作品です。

 映画にも、この建物が映っています。

(73分39秒)

 舵をとるマルリツィオが最初に停船を提案したのが、〈ハリーズ・バー〉前の桟橋で、1番のヴァポレットはこの前の船着き場に到着します。先を急ぐラングドン達は、更に先のサン・マルコ広場の桟橋の方へ進みました。

 木の茂った公園の向こうに、大天使ガブリエルの金の像を頂く、赤煉瓦でできたサン・マルコの鐘楼がそびえ立っています。


29 スキアヴォーニ河岸

 次の2点の作品は、いずれもカナレットによって描かれた、キリスト昇天祭の日に執り行われた海事行事「海の結婚の儀式」の様子です。作中(中巻262頁)にはサン・マルコ広場の前もスキアヴォーニ河岸としているように読めますが、絵のタイトルには、サン・マルコの船溜まり周辺をモーロ河岸と表記しています。こちらは1738〜42年頃の作品です。

 こちらは1760年に制作されたもので、光が煌めくさまを表すのに点描を用いるなど、上の作品との間で水面や船に当たる光の描き方に変化が見られ、色調も少し暗さを加えて、明暗のコントラストが強くなっています。

 ラングドン達のボートは、かつてナポレオンが「ヨーロッパの大広間」と呼んだサン・マルコ広場に近付き、人でごった返しているのが見えてきます。

 続いて、広場の右側に、ヴェネツィアのゴシック建築の完璧な見本と紹介される、ドゥカーレ宮殿が堂々とした姿を現します。柱廊や各種の支柱、開廊や四つ葉飾りが巧みに威圧感を和らげており、一面に並んだ薄赤い石灰岩の幾何学模様に、ラングドンはアルハンブラ宮殿を連想したようです。

Wikimedia Commons

 大勢の人が集まって、そこからドゥカーレ宮殿を二分する小運河を指さしているというのは、ため息の橋がよく見える名所、パーリャ橋のことです。いながら旅の第2旅にも登場しました。海上のラングドンからは、ちょうどこの写真のように、ドゥカーレ宮殿のファサードとため息橋とパーリャ橋を一度に見ることができたでしょう。橋のアーチの左横にはゴンドラ漕ぎたちの信仰の対象となっているという可愛いマリア像が彫られていますので、忘れずに見てください(参考図書⑬23頁)。

 ため息橋は、1600年にドゥカーレ宮殿の尋問室と牢獄の間に架けられた橋です。投獄される前の囚人がヴェネツィアの美しい景色を見られるのはこの橋の窓からが最後だとため息をついたということから、イギリスの詩人ジョージ・バイロンが名付けたと言われています。恋人同士がゴンドラに乗って日没の時にこの橋の下でキスをすると永遠の愛が約束されるという言い伝えもあり、ラングドンが思い出した映画『リトル・ロマンス』のモチーフになっています。2024年の旅行時は南北両方から眺めました

 こちらは、処刑された囚人が真夜中にゴンドラに乗せられて人知れず遠くのラグーナに運ばれていくという噂を聞いた、ウィリアム・エティが想像力を膨らませて1833~35年に描いた溜息橋の景色で、夜空に輝く星も印象的です。

 ラングドン達のボートが滑りこんだのは、〈ホテル・ダニエリ〉前の停泊所でした。

(2010年旅行時の写真)

 ラングドン達は西へサン・マルコ広場に向かいますが、ラングドンがヴェネツィアの街の雰囲気を味わえる名所として昔から気に入っているというスキアヴォーニ河岸を東にもう少し見てみましょう。スキアヴォーニ河岸は、一般にはカ・ディ・ディオ川からパーリア橋までの海岸をいい、広い石畳の遊歩道が続いています。

 ダニエリから東へヴィン橋を渡ると、第3旅に登場したザッカリア停船場ソルトポルティゴ・サン・ザッカリアがあり、その先に第2旅にも登場したヴィットリオ・エマヌエーレ 2 世の記念碑があります。

 ピエタ橋の東には、作中(中巻262頁)にアントニオ・ヴィヴァルディが洗礼を受けた教会と紹介されている、サンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会があります。単にピエタ教会又はサンタ・マリア・デッラ・ビジタツィオーネ教会ともいい、ジョルジョ・マッサリが設計して1745〜60年に建てられたバロック様式の教会です。教会内部では、ティエポロによるフレスコ画が見られるほか、定期的にヴィヴァルディのコンサートが開かれています。

Wikimedia Commons

 更に東へ橋を3つ渡り、海洋史博物館前の運河に沿って進むと、1104年にヴェネツィア共和国により設置された造船所跡で、遺構として保存されている、アルセナーレがあります。

Wikimedia Commons

 こちらは、英国滞在時のカナレットの弟子(又は助手)だったというウィリアム・ジェイムズによってアルセナーレ側から描かれたスキアヴォーニ河岸です。船や建物、人物、波紋に至るまで明瞭な色彩で描き分けていますが、カナレットに比べて硬質で味気ないとも評されているようです。

 物語に戻りましょう。


30 マルコ・ポーロ国際空港 ~ ヴェネツィア沖

 エリザベス・シンスキーとブリューダー隊長は、ラングドンが手配したチャーター便を転用し、マルコ・ポーロ国際空港に到着します。1961年に開設された同空港は、ヴェネツィア・テッセラ空港ともいい、ヴェネツィア本島の北北東約7kmに位置する、ヴェネツィアの空の玄関です。

Wikimedia Commons

 10分後には、デュボアSR52ブラックバードに乗り、ムラーノ島やサン・ピエトロ島を猛スピードで通り過ぎ、総監が待つクルーザー〈メンダキウム〉に向かいました。

windyboats.com

 総監は、サン・マルコ広場に近付きつつ、ゾブリストから明日世界へ向けて公開するようにと請け負った動画を、エリザベス・シンスキーに見せるのでした。


31 サン・マルコ広場

 ラングドン達3人は、”すべての文明の辺縁”と表現されている(中巻263頁)、サン・マルコ広場の南端に着きます。ヴェネツィアの正面玄関と形容される広場の入口に立っている巨大な2本の円柱というのは、ニコロ・バラッティエロによって建てられた聖マルコと聖テオドーロの円柱のことです。元々は12世紀に東方から略奪されてきたもので、それぞれ頂上には、ヴェネツィアの象徴とされる有翼の獅子拡大)と、ワニにずっと似ているという悪竜を踏みつける聖テオドーロの像(拡大)が載っています。柱の間の場所は、小説(中巻276頁)にも言及されているとおり、18世紀までは公開処刑場として使われていました(参考図書⑬24頁)。

 ラングドン達は、ドゥカーレ宮殿の西壁沿いに、小広場として知られるL字型のサン・マルコ広場の短い辺を抜けて、大聖堂を目指します。

 正面に見えてきたのは、青く輝くガラスの文字盤の時計塔です。1496〜99年にマウロ・コドゥッチによって建てられたものです。

 ラングドンが見上げたのがサン・マルコの鐘楼です。鐘楼の起源は9世紀に遡りますが、12世紀に建てられた木造の塔が火災や地震で崩壊し、16世紀初頭に大理石で再建。その後も落雷や火災で被害を受け、1902年に倒壊しますが、1903〜12年に再建されました。高さ98.6mで、ヴェネツィアで最も高い塔です。足元のロッジアは、1538〜49年にヤコポ・サンソヴィーノによって建てられたものです。閉所恐怖症のラングドンは上るためにエレベーターに乗ると思うと体が震えたとのことですが、上から見た広場周辺をお見せしたいので、エレベーターで展望台に上ってみましょう。チケットはオンラインで購入できます。

 まず、奥が狭い不等脚の台形のため、実際よりも奥行きがあるように見えるという大きい方の広場です。サン・マルコ広場は、右側を15〜16世紀にヴェネツィアの司法府であった旧政庁の建物に、左側を16〜17世紀に新政庁が置かれた建物に、奥を現在コッレール美術館になっている19世紀のナポレオンの翼壁に囲まれた、奥行き157m、幅82mの広場です。一部が改修工事中でしたが、鐘楼から撮ったこの写真なら、作中(中巻278頁)にある、15世紀当時の露店の位置を示す敷石の模様もおわかりになるでしょう。

 次にお見せするのが、上から見たサン・マルコ大聖堂の5つのドームです。メレンゲの載ったウェディングケーキに例えられるという見た目はおわかりになるでしょうか。

 こちらが大聖堂の南側に接続するドゥカーレ宮殿です。

 そして、こちらが時計塔の頂上のテラスです。壁の上部には聖マルコの有翼の獅子も見えますね。小説(中巻278頁)では、映画『007/ムーンレイカー』でジェームズ・ボンドがここから悪党を突き落としたと紹介していますが、映画のインフェルノ(76分5秒)では、ハンマーで鐘を打って時を知らせるブロンズのムーア人が大映しになります。

 こちらは、第3旅で紹介した、南側に見える、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島です。

 こちらも、第3旅で紹介した、私のお気に入りの景色(プンタ・デッラ・ドガーナとサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂)です。同じ角度・倍率の写真を貼り付けましたので、14年前(2010年)の写真と比べて見てください。

 広場に戻りましょう。もっとご覧になりたい方は、こちらを参照してください。この広場で必ず撮られる、サン・マルコ大聖堂と鐘楼の写真で、カナレットも同じ構図の絵を描いています。

 そして、こちらは、1732〜33年頃にカナレットが描いたサン・マルコ広場ですが、広々とした眺めを収めるために実際にはあり得ない位置まで下がった構図を採っています。現代でも、マンション等の完成予想図に同じ手法が用いられています。

 画面右端には、後にナポレオンによって取り壊されたサン・ジェミニアーノ聖堂の姿も描かれています。


32 サン・マルコ大聖堂

 サン・マルコ大聖堂は、828年1月31日にヴェネツィアの商人によってアレクサンドリアから運ばれた、マルコ伝の福音記者である聖マルコの遺体を祀るために建立された教会で、第2部ヴェネツィア編のメインスポットです。現在の建物は、1063〜71年に建設された3代目のもので、ギリシア十字形に5つのドームを配する建物は、コンスタンチノープルの聖使徒聖堂を模したものとされ、現存する最も典型的なビザンチン聖堂です。1807年から大司教座が置かれています。

 ラングドンの目を捉えたのは、聖堂中央の頂に立ち、自らの名前を冠した広場を見下ろす聖マルコの細身の像と、その足もとに、群青色に塗られ、金の星がちりばめられた頂飾りつきのアーチを背景として立つ、ヴェネツィアの有翼の金獅子、そして、その下に今にも広場に飛び降りてきそうな姿勢をとる、サン・マルコの馬でした。

 この4頭の青銅の馬は、キオス島にあったものを、テオドシウス2世が持ち出してコンスタンティノープル競馬場に飾られていましたが、第4回十字軍の際に略奪され、1254年にこのテラスに設置されました。その後、ヴェネツィアを制圧したナポレオンによってパリに運ばれ、カルーゼル凱旋門の上に置かれましたが、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れると、再びここへ戻されました。ただし、現在ここにあるのはレプリカで、オリジナルは大聖堂博物館に移されています。

 ラングドンは、コンスタンティノープルからヴェネツィアへ運ぶため、馬の頭部が切断され、その痕を隠すために飾り首輪が掛けられたことを思い出し、ゾブリストの詩に書かれていた馬がこの馬だと気付きます。

 なお、第4回十字軍の際にコンスタンティノープルから略奪された宝物はほかにもあり、作中(中巻283頁)に、略奪された際に皇帝の一人の片足が折れてないことで知られていると紹介されているのが、聖堂の南西角に置かれている、紫の斑岩で作られたテトラルキア(四皇帝像)です。

Wikimedia Commons

 ラングドン達は、大聖堂の中に入っていきます。行列に並ばなくてもよかったようです。開館時間や入場料については、こちらを参照してください。正面ファサードは、2層5連のアーチがあり、モザイクが施されています。扉上部のモザイクを見ておきましょう。左右の4つは、聖マルコの遺骸を運び出す一連の伝説が描かれており、右端が《アレッサンドリアから運ばれる聖マルコの遺体》のモザイク画です。

 右から2番目が《聖マルコ遺体のヴェネツィア到着

 左から2番目が《ヴェネツィア総督及び市民の聖マルコ遺体歓迎

 左端が《行列で大聖堂内へ運ばれる聖マルコの棺》。このモザイク画だけが13世紀のオリジナルのもので、形もアーチ型ではなくドーム型をしています。ほかの3つは17〜18世紀のものです。

 中央のひと際大きなモザイク画は《栄光のキリストと最後の審判

 中央の入口を入ると、上部のドームにも黄金のモザイク画があります。

 まるで空気そのものが黄金でできているかのようだと形容されるように、ドーム全面に金色のモザイクが施されています。作中(下巻5頁)には、漂っている塵の粒子の多くが本物の金であるとし、宙を舞う金の塵と西の大きな窓から注ぐ明るい日差しとが相俟って堂内をきらめかせ、訪れた信者は精神的に豊かになると同時に、息を吸えば金が肺に入って即物的にも豊かになると表現されています。

Wikimedia Commons

 2階に向かったラングドン達は、眼下に聖堂の様子を一望します。2階の博物館とバルコニーへは、入口を入ってすぐ右手にある細い階段を上っていきます。聖堂内部は正方形に近く、ギリシャ十字の様式に従い、5つのドームが十字架の軸に沿って配置され、柱間をアーチが繋いでいます。

Wikimedia Commons他の画像

 映画では、ラングドン達は、西側のバルコニーに出て、レプリカのサン・マルコの馬のところで、近くにいたガイドから、コンスタンティノープルから運ぶ際に、総督のエンリコ・ダンドロによって馬の首が切断されたことを聞きます。

(74分27秒)

 小説では、ラングドン達は、博物館のオリジナルの方を見に行き、博物館館長のエットーレ・ヴィオに誰が馬の首を切断したかを尋ねます。エットーレは、それは作り話だが、サン・マルコの馬をヴェネツィアへ持ち込んだのは、知恵と謀略に長けた長命の総督で、聖ルチアの遺骨も持ち帰ったと話します。

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 それを聞いたラングドンは、ギュスターヴ・ドレの《十字軍参加を説くエンリコ・ダンドロ》の絵を思い浮かべ、その総督がエンリコ・ダンドロだと気づきます。

Wikimedia Commons

 そのとき、映画では広場にプシャールが現れ、小説では黒装束の兵士が聖堂内へ突入し、出口を封鎖したため、ラングドンとシエナは、追っ手から逃れるため、下へ向かいます。映画では、イコノスタシスの向こうを横切る姿が映ります。

(76分12秒)

 こちらが、小説(下巻7頁)では大きな十字架を戴く円柱の列と表現される、ビザンチン教会に見られる身廊と内陣を区切るイコノスタシス(聖障)です。イコンで飾られることが多いようですが、こちらは赤いブロカテル大理石の8本の柱で構成され、その上には銅と銀でできた十字架の左右にジャコベッロピエールパオロのダッレ・マセーニュ兄弟による14体の彫像(聖母マリア、聖マルコと十二使徒)が並んでいます。

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 上の映画の画像にも映っていますが、内陣の主祭壇には、19世紀初めに地下聖堂から発見された聖マルコの遺体が安置されています。

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 主祭壇の後ろにあるのが、小説(下巻7頁)に金張りの巨大な銀板でできた「黄金の布」と表現される、パラ・ドーロです。幅3.34m、高さ2.12m、187枚のエナメル板、1,927個の宝石で作られ、上下2つの部分から構成されたビザンチンエナメルの作品(拡大)で、上部は、中央に大天使ミカエル、その両側にキリストの生涯が描かれており、第4階十字軍の際に略奪されたものと考えられています。下部は、中央にキリストを囲んで四福音書記官と十二使徒、その上に天使と大天使、下に聖母マリアを挟んで総督オルデラッフォ・ファリエとビザンチン帝国の皇后イレーネ、12人の預言者が描かれています。

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 ラングドン達は、地下聖堂に向かいます。

(76分12秒)

 サン・マルコ大聖堂の地下聖堂(地下墓所)についての情報は少なく、作中(下巻23~4頁)にある、光の井戸や幹のような柱の列、聖マルコの祭壇がどのような場所を指しているのかわかりませんが、地下聖堂を訪れる夜間ガイドツアーがあるようです。ラングドンは、エンリコ・ダンドロがラテン名のヘンリクス・ダンドロとして葬られた聖なる英知のムセイオンがどこであるかをどこであるかを解き明かし、間違った国に来ていたことに気付きます(映画では、ガイドに尋ねる場面で)。

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 広場で仮面を売るロマの女の助けを借りて、シエナだけが地上に脱出し、ラングドンは追っ手に捕まります。


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 第2部ヴェネツィア編はここまでです。次回は、第3部イスタンブール編です。

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