ダン・ブラウンの小説『インフェルノ』de いながら旅 (5)

● ダン・ブラウン
● ダン・ブラウンインフェルノ

 第1部フィレンツェ編の続き、第18節からいながら旅を続けます。ダンテのデスマスクを持ち去っていたことが発覚し、逃避行を再開するラングドンとシエナ。「宮殿特別ツアー」とラングドンも参加したという「秘密の通路」ツアーに沿って、二人の脱出劇を追います。


第1部 フィレンツェ(続き)

18 ヴェッキオ宮殿

① 地図の間

 小説(中巻40~1頁)では、広い交差路(階下等への階段に続く百合の間の南側の扉から踊り場辺りのことでしょう)から、映画では、先に紹介したとおり、地上階の「塔」のマークのところから階段を上がって、同様に百合の間からの短い廊下を経て、アルメニアを目指しました。

(53分27秒)

 宮殿2階の一番奥(見取り図21)にある、地図の間(Sala delle Carte Geografiche o della Guardaroba)は、作中(中巻42頁)にあるとおり、あたたかみのあるオーク材の羽目板と角材を組んだ格天井で、部屋の中央には巨大地球儀〈マッパ・ムンディ〉が鎮座しています。

 壁には53枚の絵図が飾られており、だいぶ形状は違いますが「GIAPAN(日本)」の地図もあります。

 こちらは、イグナツィオ・ダンティによるイギリスの地図で、日本に比べれば、かなり正確ですね。

 こちらがステファノ・ボンシニョーリによるイタリアの地図です。

② アルメニアの地図の隠し扉

 アルメニアの地図は、部屋の右奥の隅にあります。ちょうど博物館の女性職員の方がアルメニアの地図の隠し扉から出てきました。

 映画でも、ラングドン達は、この隠し扉を通り抜けました。

(53分43秒)

 「宮殿特別ツアー」では、最後の見どころとして、同じ隠し扉を抜けます。

 アルメニアの地図の隠し扉の開口部からは、すぐ前の両開きの扉と、ラングドン達が踏み込んだ(中巻45頁)、自然光のみに照らされた白っぽい石造りの通路、その先に木の扉(楕円形の窓のある両開きの扉)が見えます。

 映画では、隠し扉を抜けたラングドン達は、イニャツィオのメッセージをヒントに、この場所でダンテの『神曲』天国篇第25歌をスマホで検索します。

(53分50秒)

 それは、アルメニアの地図の隠し扉のすぐ前の両開きの扉を出たこの写真の場所です。アーチの上にはこれまで何度か出てきた山羊(トスカーナ大公の個人的紋章)の彫刻プレートがありました。

 映画では、下への階段の前に立ったシエナが、窓から向こうの建物の様子をうかがいます。シエナの後ろには上の写真と同じアーチが見えています。

(54分21秒)

 両開きの扉の前(白っぽい石造りの通路の右側)にある、この階段とこの窓です。階段の手摺の感じが同じです。

 そして、追っ手が迫るのを見て、もやは階下への脱出が難しいことを悟ります。向こうの窓の外観を覚えておいてください。後ほど実際の窓をご覧に入れます。

(54分22秒)

 映画では、ラングドン達は、左側の扉を開けて階段を上りました。小説(中巻45頁)に、石造りの通路から左を向いたところに、鎖で通行止めにされ、「ウッシータ・ヴィエタータ(通り抜け不可)」という表示があるとされた階段です。

(54分32秒)

 そこに通り抜け不可の警告表示はありませんでしたが、扉が閉められていたので、ガイドの方にお願いして扉を開けてもらい、上への階段を撮影しました。映画と同じ場所に電灯のスイッチがあり、綱のような手摺も同じです。

③ ビアンカ・カッペッロ大公妃のテラスと秘密の書斎

 石造りの通路の先の木の扉を開けると、小さなテラスに出ます。ベンチが設けられ、壁面にフレスコ画が施された、ビアンカ・カッペッロ大公妃のテラス(Terrazzino di Bianca Cappello)です。ここが、ラングドンが仕掛けた鎖を外し、アルメニアの地図の隠し扉を抜け、突き当たりの木の扉を飛び出したブリューダー隊長が着いた(中巻46頁)、宮殿の屋上に延びた連絡通路です。

 テラスの正面に見えるこの窓が、通路の窓からシエナが見た、追っ手が顔を出した先ほどの窓です。

 テラスのへりの下は、作中には深い光庭まで続く垂直な壁と表現されていますが、中庭のある回廊の屋根になっています。後ほど「秘密の通路」ツアーで通る、五百人広間のガラス扉に至る通路の屋根ではないかと思います。

 テラスの向こう側には、作中にあるとおり(先まで50ヤードもないと思いますが)、確かに屋内へ通じる扉があります。

 写真は、地図の間からテラスを見たところです。

 その扉を開けたところが、ビアンカ・カッペッロ大公妃の秘密の書斎(Studiolo di Bianca Cappello)です。作中(中巻47頁)にあるように、その小部屋には木の机が一台だけ壁づけに置かれており、天井は不気味な人物が描かれたフレスコ画に覆われています。ただ、部屋の奥に別の扉がありましたので、行き止まりではないかもしれません。航空写真によれば、その先もテラスのようになっているのかもしれません。

 大公妃が夫の演説を人知れず見守ったという、隠し窓(ウナ・フィネストラ・セグレータ)は、部屋の左奥にあります。窓には、木製の扉と階段のある小上がりが設けられています。

 ガイドさんに促され、窓から向こうを見てみました。作中(中巻48頁)にあるとおり、窓には木彫りの格子がはめられています。

 ブリューダー隊長のように格子に顔を押しつけて覗いてみると、格子の向こうに、五百人広間を覗くことができました。

 奇しくも、そこは《マルチャーノの戦い》の絵を真正面から見ることができる場所でした。因みに、右下に見えているのがレオ10世の間への上がり口です。

 白っぽい通路を、地図の間まで戻ります。


19 ヴェッキオ宮殿

① 五百人広間の天井裏

 「秘密の通路」ツアーで、最後に見学する秘密のエリアが五百人広間の天井裏(Soffitta della Salone dei Cinquecento)です。残念ながら、見学できるのはラングドン達が上った ”ウッシータ・ヴェエタータ” という表示のある急な階段(中巻49頁)からではなく、先に紹介した五百人広間を見渡せるバルコニーの右脇にある扉(下の見取り図の☆印)からです。

ヴェッキオ宮殿のパンフレットから切り抜き・加筆)

 この扉を抜けます。

 左手にある、右手に折れた階段を上ります。

 振り返ると、最初の扉を抜けたスペースはこんな感じのところでした。

 少し廊下を進み、エレベーターの先にある鉄の扉を抜けます。

 更に階段を上ると、小さな踊り場のようなスペースになっていて、このようなトラス構造の天井模型が置かれていました。作中(中巻50頁)に出てくる、入口以外にドアも窓もない、小さく簡素な部屋で、ヴァザーリが設計した宮殿内部の木製建築型を展示したケースが並んでいるという〈建築模型の間〉とは違うようです。床から3フィート浮かせて据え付けられた、縦横1ヤードほどの大きな食器棚らしきもの(中巻52頁)もありません。

 階段を上った方向や、窓があって(写真左側)、そこから見える建物(航空写真の緑の丸印の建物が見えます)などから、この場所は赤の丸印の部分ではないかと思われます。

 天井裏の手前の床面はこんな感じになっています。

 五百人広場の格天井は、大きな梁から木や鉄の棒で吊るされているような感じに見えますが、作中(中巻55頁)にあるようなキャンバスのような布は見当たりません。

 天井裏の空間は、作中(中巻53頁)に支柱や梁や弦材などの構造材が形作る三角形や長方形が木でできた蜘蛛の巣のごとく交差していると表現されているとおりでした。

 手摺の付いた階段のようなものが見えますが、ツアーでここを通ることはなく、作中(中巻56頁)にあるツアー客向けの通路や中央の観覧台のようなものはありませんでした。

 ヴァエンサの襲撃から逃れたラングドン達は、建物の反対側で天井裏から下り、戸口を駆け抜け、深紅のカーテンの裏に隠れたせまい一角を見つけ、アテネの階段を下りました。

② アテネ公の階段と扉

 アテネ公の階段と扉(Scala e Porta del Duca d’Atene)は、1342年から1年間独裁政治を行ったフランス人のアテネ公ゴーティエ・ド・ブリエンヌが襲撃に備えて造らせた秘密の脱出路で、事実、彼は1343年の聖アンナの日(7月26日)にここを使って逃走したそうです。「秘密の通路」ツアーでは、ラングドン達が通った秘密の階段を実際に通ることができます。ただし、下から上への見学になりますので、この旅でもその順序での紹介になります。第2の中庭からニンナ通りへの出口に通じる階段付近の扉(下の見取り図の印)から始めます。

ヴェッキオ宮殿のパンフレットから切り抜き・加筆)

 この頑丈そうな扉を入ります。

 ダンテが着ていたことで知られる執政官の赤い衣装が展示された部屋に通じています。左側に階段が見えていますが、この階段がラングドン達が脱出の際に下りたアテネ公の階段で、この部屋が階段を下りきったときに辿りついた「石の小部屋」(中巻77頁)です。

 扉を入ってすぐ左手、4段程の階段と短い通路の先に、アテネ公の扉と呼ばれる小さな扉があります。作中(中巻77頁)、鉄の鋲が打たれた高さ4フィート足らずの頑丈な木の扉で、内側に重たげな閂がかかっているとありますが、写真のとおり扉の内側に鉄の鋲や重たげな閂は見あたりません。

 ツアーでは、一度この扉から外に出てみます。

 扉の外側の方は、鋲が打たれた、見るからに頑丈そうな造りになっています。

 映画でも、ラングドン達はこの扉からニンナ通りに出ていきます。

(58分47秒)

 外へ出て見上げると、扉のほぼ真上に、ウフィツィ美術館とヴェッキオ宮殿を繋ぐ、プリンチペの通路が見えます。

 ツアーでは、再度扉を通り抜けて、元の小部屋に戻ります。

 石の小部屋で、扉やこの小部屋、執政官の衣装などについて説明があります。見えている石積みは宮殿建設当初のものだそうです。

 説明が終わると、ランブドン達とは逆向きに、小部屋の左手奥からアテネ公の階段を上っていきます。

 作中(中巻76頁)にはジグザグに続く造りになっているとありますが、直線と螺旋の階段が交互に続く構造になっています。

 映画では、螺旋階段から直線の階段に通じるここを下りています。

(58分27秒)

 直線の階段の方はそれほどでもありませんが、螺旋階段の方は小説にあるとおり恐ろしく狭く、また一段一段の幅が狭いので、非常に上りにくい階段でした。ラングドン達は、この螺旋階段を下った、しかも急いで下ったのですから、さぞ大変だったことでしょう。

 折り返しの直線階段を上ります。

 二つ目の螺旋階段を上ると、この踊り場に着きます。

 ここには、アテネ公の階段周辺の構造を示す鳥瞰図が掲示されていました(着いた場所は、緑の矢印が示す現在地です)。この図を見てわかるとおり、階段は更に上に続いていますが、どのような場所に行き着くのでしょう。残念ながらツアーでもここから先には行けませんが、作中(中巻76頁)にある、前述の深紅のカーテンの裏に巧みに隠された狭い一角に当たる場所に出るのでしょう。

③ ヴェッキオ宮殿の模型のある小部屋

 そこはヴェッキオ宮殿の模型が置かれた、このような小部屋になっており、宮殿の増築拡張の歴史などの説明がありました。

 続いて図①の矢印に従い、上の写真の右側に進みます。

④ フランチェスコ1世の書斎

 フランチェスコ1世の書斎(Studiolo di FrancescoⅠ)は、トスカーナ大公フランチェスコ1世のコレクションを保管するためヴァザーリとジョヴァンニ・バッティスタ・アドリアーニの指揮の下、芸術家グループによって1570〜72年に完成された部屋です。大公の死後に解体され、展示されていた絵画は複数の美術館に分散しましたが、その後1920年に復元されました。

 ラングドンが中に立つと巨大な宝物箱にはいったような気分になると評している、この窓のない小さな長方形の部屋は、天井がアーチを作ったかまぼこ型をしていて、ポッピヤコポ・ズッキによるフレスコ画で覆われています。

 また、四方の壁には、 短辺に3か所、長辺に8か所、2列ずつパネルが並び、そのうち上列の角8か所はブロンズ像を配置した壁龕(下図2・4・8・15・24・26・29・36)になっており、2か所を除いた残り34か所に絵画が隙間なく飾られています。1920年に集められた絵画は、四元素(空気、水、火、土)のテーマに従って再配置されました。

フランチェスコ1世の書斎のパンフレットから切り抜き)

 図14にあるのが、アレッサンドロ・アローリの《真珠採り》です。

 図33にあるのが、理髪師としても知られていたアレッサンドロ・フェイの《金細工工房》です。

 大公はこの部屋で錬金術の研究を行っていたと言われていますが、ジョヴァンニ・ストラダーノが描いた《錬金術の実験室》の絵(図34)の右下には、大公自身を鋳造工場の仕事に従事する職人として描かれています。

 作中(上巻277頁)に「珍品奇品の陳列室」 と評しているように、大部分の絵が隠し扉の形になっていて、扉を開くと秘密の戸棚が現れます。そこには、大公の風変りな収集品 ー 珍しい鉱石の標本や美しい鳥の羽、オウムガイの完全な化石、手作りの銀細工で飾られた修道士の脛骨まであったと言及しています。

 1920年の復元時に設置されたこの扉(図6)を開けると、ガラスのドアを挟んで五百人広間に通じています。先ほど、広間側から見たガラスのドアです。

 両サイドのルネット(半円形の部分)には、アレッサンドロ・アローリによるフランチェスコ1世の両親の肖像画が飾られており、五百人広間の扉側(図1)がコジモ1世の肖像画です。

 そして、部屋の奥側(図23)がエレオノーラ・デ・トレドの肖像画です。

 図22の絵の額縁に、こんな鍵が差し込まれていました。

 そこは隠し扉になっていました。

 プシャールがラングドン捜索のために開けてもらった隠し扉です。因みに、隠し扉の左側の絵(図21)が小説(上巻276頁)に紹介されているジョヴァンニ・バティスタ・ナルディーニの《夢の寓意》です。

(53分56秒)

 図②の矢印に従い、上階への階段を上りましょう。

 拡大図のとおり左手に上がります。

 格子模様の床の小部屋に着きます。

⑤ コジモ1世の秘密の書斎

 コジモ1世の書斎(Studiolo di CosimoⅠ)は、1545年頃に彼の寝室に近い中2階に造られた最初の書斎です。

 私的な宝物庫として使用されたもので、壁の木製の扉を開くと、隠しキャビネットになっています。

 天井のフレスコ画は、1590年にヴァザーリにより改装され、中央に4人の伝道師、側面に天文学、哲学、詩、幾何学、四隅に絵画、彫刻、建築、音楽を表す絵画が配置されました。

 図③の矢印に従い、フランチェスコ1世の書斎に戻ります。

 階段の途中にこんな小部屋がありました。

 階段を下りると、フランチェスコ1世の書斎の図16の絵の扉に通じていました。

 図①の進路を逆に進み、ヴェッキオ宮殿の模型がある小部屋に戻ります。因みに、扉の左側の絵(図28)が小説(上巻276頁)に紹介されているマソ・ダ・サン・フリアーノの《イカロスの墜落》です。

 そのまま小部屋を抜けて、左側の通路へ進みます。

 数メートルの通路を抜けます。

⑥ ライオンのバンデルーラ(風見鶏)

 このようなスペースに出ます。

 そこには、アルノルフォの塔の先端に取り付けられているライオンの風見鶏のオリジナルが展示されています。

 この通路を下ると、1階(日本でいう2階)の五百人広間への入口の扉に達します。この回廊は、先に紹介したビアンカ・カッペッロ大公妃のテラスから下を覗いたときに見える回廊ではないかと思います。

 「秘密の通路」ツアーでは、この後五百人広間とレオ10世の間を見学して、五百人広間の天井裏へと進みます。


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 今回の投稿での旅はここまでです。次回、第1部の続き、第20節からいながら旅を続けます。

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