第1部フィレンツェ編の続き、第16節からいながら旅を続けます。前回、ヴェッキオ宮殿の五百人広間で「チェルカ・トローヴァ」の秘密のメッセージを確認したラングドンとシエナ、宮殿職員のマルタの登場により次の手掛かりがダンテのデスマスクであることが判明。「宮殿特別ツアー」に沿って、次の謎を追います。
第1部 フィレンツェ(続き)
16 ヴェッキオ宮殿
① レオ10世の間
フランチェスコ1世の書斎の反対側にある上がり口(下の見取り図にある白色の矢印)を上がった、同図の5の部屋がレオ10世の間(Sala di Leone X)です。
五百人広間の北側ステージの中央に彫像があり、写真右端に胸像がある、レオ10世は、本名をジョヴァンニ・デ・メディチといい、メディチ家最盛期の当主ロレンツォ・デ・メディチの次男で、父と教皇インノケンティウス8世の後押しにより、13歳で枢機卿となります(その若さゆえ記章が認められたのは3年後でした。写真奥の絵は枢機卿に選出された場面を描いています)。兄ピエロの失政で1494年にメディチ家がフィレンツェから追放されたときは、イタリア各地を転々としましたが、1503年に兄の死に伴いメディチ家当主となり、教皇ユリウス2世の支援を得て、1512年に神聖同盟に加わっていたスペイン軍とともに入城し、フィレンツェ復帰を果たし、実質的な統治者として君臨します。ユリウス2世の死後、1513年に史上最年少の37歳で教皇となり、甥のロレンツォにフィレンツェの統治を委ねます。左側中央の絵は、レオ10世が支援したロレンツォがウルビーノを攻撃して勝利した《サン・レオの戦い》です。教皇としては、サン・ピエトロ大聖堂の再建のため贖宥状(免罪符)の販売を認めたことで宗教改革を招き、ルターを破門する一方、ラファエロを支援するなどルネサンスの庇護者としても知られますが、放蕩者でもあったそうです。左側の下の絵は、サン・ピエトロ大聖堂の建築主任ドナト・ブラマンテがレオ10世に建設途中の聖堂を見せているところだそうです。
こちらの天井画に彼の教皇選出が描かれており、壁中央の絵には彼が教皇として凱旋し、フィレンツェ初の教皇誕生に歓喜する市民に迎えられる様が描かれています。
天井の絵は、レオ10世の功績をテーマとしており、中央の絵はヴァザーリによる《ミラノ占領》です。
窓側の柱(右側)には、コジモ1世の肖像画が飾られています。
床は、サンティ・ブリオーニの作品で、赤と白のテラコッタで絡み合ったメディチ家のリングを表しています。
映画では、ラングドン達もこの部屋を通過しています。
階段を上って上の階に向かいましょう。上り口の左壁面には、ジョヴァンニ・ストラダーノによる《シニョリーア広場における聖ヨハネの日の花火》があり、1558年当時のシニョリーア広場が描かれています。花火大会は、フィレンツェで続いている伝統行事で、現在でも聖ヨハネの祝日である6月24日の夜に開催されています(場所はミケランジェロ広場に移っています)。
映画のラングドン達は、この階段を上りました。
その階段がここです。
階段の天井には凝った装飾が施されています。
踊り場の天井です。
② 元素の間
下の見取り図左側の階段を2階(日本でいう3階)に上がって、小説では右側のバルコニーに進みますが、左側に少し寄り道します。
元素の間(Sala degli Elementi)(見取り図1)は、四大元素(空気、水、火、土)に捧げられており、それぞれの寓話をモチーフにしたヴァザーリによるフレスコ画で占められています。写真は、空気の寓話が占める天井画で、中央の絵は《土星による天王星の切断》です。
右側(東側)の壁には、水の寓話として《ヴィーナスの誕生》が、左側(北側)の壁には、火の寓話として《バルカンの鍛冶》が描かれています。写真中央下の絵の右側の扉(見取り図5の部屋(ジュピターの間)に通じる扉です)を覚えておいてください。
映画では、階段を上ったラングドン達は、マルタに先導されて、先ほど覚えていただいた扉から部屋に入ってきます。階段を上ったところとの位置関係が変ですね。余談ですが、この部屋を歩きながら、ダンテのデスマスクが悲し気な表情をしている理由はペアトリーチェとの別離にあるという考えが述べられるのですが、小説(上巻297頁)ではマルタの発言であったのに、映画ではシエナの発言になっていましたね。
こちら(西側)の壁には、土の寓話として《土星に捧げられた地球の最初の果実》が描かれています。左側の扉がこの部屋への入口で、階段を上った左側にあります。
映画では、ラングドン達は、この絵の前を左へ通り抜けて部屋を出ていきますが、ジュピターの間から階段を上がったところに向かうことになり、やはり方向がおかしいですね。撮影上この部屋を見せたかったのでしょうか。
窓の間の柱の部分には、水星と冥王星の寓意像が描かれています。
③ 五百人広間が見渡せるバルコニー
小説どおり階段を上ったところから、右側に進みましょう。
右側に進むと、五百人広間が見渡せるバルコニーに出ます。
ここから眺めた広間が一番好きだとマルタが言ったバルコニーです。ラングドンが最初に目を引かれるとしていた、黒い格子柄が描かれた深紅の床の様子もよくわかります。
マルタは、壁画が全く違って見えるとも言っています。こちらが「シエナ攻略」の壁画です。
こちらが「ピサ攻略」の壁画です。
そして、秘密のメッセージ「チェルカ・トローヴァ」とちょうど同じ高さで、裸眼でも文字が見えると指し示します。実際は、光が反射してなかなか難しいと思いますが。
映画でも、ラングドン達は、このバルコニーを通り抜けますが、壁画には目もくれません。
そして、映画では、マルタに、デスマスクの展示室としてバルコニーを抜けた先をすぐ右に入った部屋に案内されます。
④ エレオノーラの区画
実際の宮殿では、バルコニーを抜けた先は、エレオノーラの区画(Quartiere di Eleonora)と呼ばれる、コジモ1世の最初の妻エレオノーラ・ディ・トレドのために設計された部屋群(見取り図の10〜16)になっています。小説(上巻299頁)では、展示室の区画を「ほどほどの広さの部屋と廊下の迷宮が連なって、建物の半分ほどを取り巻くような造りになっている」と紹介していますが、実際、この区画は第1の中庭を取り巻くように続いています。
緑の間
最初の部屋は、といっても通路のような一画ですが、緑色の壁とリドルフォ・デル・ギルランダイオの天井装飾が印象的な緑の間(Camera Verde)(見取り図10)です。その名は、壁の色が緑色からなのではなく、かつて飾られた風景画に由来しているようです。
なお、写真左に見えているのは、エレオノーラの執筆室(Scrittoio di Eleonora)(見取り図12)への入口です。
左側奥にある、この扉が先に紹介したウフィツィ美術館と繋がるプリンチペの通路への扉です。作中(上巻262頁)には「こちら側(美術館側)からは非常口として使えるが、向こう側(宮殿側)からはカードキーがなければ回廊に出られない仕組みになっている」とされていますが、この扉にカードキーシステムはなく、南京錠で施錠されていました。
なお、この扉から向かって左手(上の写真の右奥)に通路が続いており、第1の中庭を囲む建物に至りますが、前述したように中庭に向かうには2階分下りる必要があります。
エレオノーラの礼拝堂
エレオノーラの礼拝堂(Cappella di Eleonora)(図11)は、緑の間の一画を区切って造られた小さな部屋で、アンマナーティが設計した大理石の扉から入って、覗いてみてください。アーニョロ・ブロンズィーノによって描かれたマニエリスムのフレスコ画が部屋全面を埋め尽くし、採光の効果もあり、迫力を感じます。
サビニの間
サビニ、エステル、ペネロペ、グアルドラーダの4つの部屋は、エレオノーラの美徳を讃えるために、過去の高潔な女性をイメージして装飾されました。最初の部屋がサビニの間(Sala delle Sabine)(見取り図13)です。サビニの女たちの略奪(後に紹介するジャンボローニャの彫像作品の題材となっています)を端緒にローマとサビニが戦争となりますが、誘拐された女性たち(その中には後にローマの建国者ロムルスの妻となったヘルシリアもいます)が両軍の間に入って戦いを止めるよう懇願したという挿話が天井装飾のテーマになっています。
エステルの間
2番目のエステルの間(Sala di Ester)(見取り図14)の天井画は、アハシュエロス王の妃となったエステルがユダヤ人の虐殺を止めるよう王に懇願する姿を描いています。
また、天井下の四辺には、エレオノーラの本名 Leonor や Florentina の文字をあしらった装飾が施されています。
なお、この部屋にはレオナルド・ダ・ヴィンチの《アンギアーリの戦い》の中心部分をなす「軍旗争奪」の部分の模写(作者不詳)が展示されています。先に紹介したウフィツィ美術館所蔵の《タヴォラ・ドーリア》とは別バージョンです。
ペネロペの間
ペネロペの間(Sala di Penelope)(見取り図15)の天井装飾のテーマ、ギリシャ神話(叙事詩『オデュッセイア』)に登場するペネロペは、夫であるオデュッセウスが冒険から帰るのを待ち続ける、貞淑の象徴として知られています。小説(上巻300頁)では、この3番目の部屋で、付いていけなくなったマルタがラングドンを引き止めています。
グアルドラーダの間
グアルドラーダの間(Sala di Gualdrada)(見取り図16)の天井装飾のテーマ、グアルドラーダは、ダンテの『神曲』にその道徳的美徳が引用されている美しい女性で、夫への忠誠を宣言し、皇帝オットー4世へのキスを拒む姿が描かれています。
⑤ ダンテのデスマスクの展示室
映画の展示室は、五百人広間を見渡せるバルコニーを抜けてすぐ右手にある、このような部屋でした。
実際は、独立した部屋ではなく、グアルドラーダの間から次の礼拝堂に繋がる廊下のようなところ(見取り図に☆印で表示しました)に展示されています。
小説(上巻299頁)でも、「通廊」と呼ばれるせまいスペース又は二つの部屋をつなぐただの廊下と紹介しています。そして、壁際の古いケースに収められているとし、ケースに赤い繻子の内張りがしてある(上巻304頁)とのことから、小説が書かれたころの展示はこちらだったのでしょう。
マルタが「真横に行くまで見えないせいで、見学者の多くが気づかずに素通りしてしまう」と言っていますが、宮殿に浸入したときに緑の間からこちらの方向に進んでいたのであれば、ラングドン達も素通りしたのでしょうか。そのときはデスマスクではなく、五百人広間を目指していましたからね。
改めて、現在の展示ケースはこちらです。
横から見ると、デスマスクの裏側はこんな感じでした。
ひどく悲しげに見えるというデスマスクのこの表情をよく覚えておいてください。
物語では、ここで展示ケースからダンテのデスマスクが消えていることが発覚し、監視モニターを確認するため、ラングドン達はマルタとともにモニター室に向かいますが、「宮殿特別ツアー」に従い、もう少し宮殿内部の紹介を続けます。
⑥ プリオーリの礼拝堂
プリオーリの礼拝堂(Cappella dei Priori)(見取り図17)は、バッチョ・ダニョーロによって建てられたもので、通路をまたぐように配置されています。サヴォナローラは、火刑に処せられる前にここで最後の祈りを唱えたとされています。祭壇の聖家族の絵は、マリアーノ・グラツィアデイの作品です。
通路を挟んだ身廊側。壁と天井のフレスコ画は、リドルフォ・デル・ギルランダイオの作品です。
⑦ 謁見の間
謁見の間(Sala dell’Udienza)は、宮殿2階の北西角(見取り図18)に位置し、ジュリアーノ・ダ・マイアーノによって彫刻、金メッキが施された格天井が印象的です。
礼拝堂から入ってきた入口を振り返ると、上にはバッチョ・ダニョーロによるキリストを讃える碑文が刻まれています。
フリオ・カミッロの物語を表現した壁の大きなフレスコ画は、1543〜45年にフランチェスコ・サルヴィアーティによって制作されたものです。写真中央の扉を抜けて次に進みます。
⑧ 百合の間
百合の間(Sala dei Gigli)(見取り図19)という名前は、フランス国王の紋章フルール・ド・リスに由来しています。フィレンツェの紋章のアイリスと異なり、雄しべがありません。
部屋に展示されているブロンズ像は、ドナッテロが1453〜57年に制作した《ジュディスとホロフェルネス》の像です。
東側の壁は、1482~84年にドメニコ・ギルランダイオによって描かれた一連のフレスコ画で占められており、中央の玉座に座るフィレンツェの守護聖人の聖ザノービを、聖ロレンツォと聖ステファノが囲み、左側にブルータス、ムキウス・スカエヴォラ、カミルス、右側にデキウス、スキピオ、キケロが描かれています。また、見取り図20の部屋への入口には、ここが拡張される前に建物の東端であったこと示す窓枠装飾が見られます。
⑧ アルノルフォの塔及び階下への階段
百合の間の南側の扉(3つ上の写真の右奥)を出ると、歩廊(Camminanento di Ronda)及びアルノルフォの塔(Torre di Arnolfo)へ上る階段(写真)と、階下へ下りる階段に通じています。
階下へ通じる階段を下りていくと、地上階の第1の中庭と第2の中庭の間にある、「塔」のマークのところに行き着きます。
作中(上巻263〜4頁)には、「長い通路」から「中庭」へ階段を下りる記述はありません。仮にここを下りたとすると、五百人広間に向かうには、先に紹介したように、地上階ですぐ向かい側の階段を上ることになりますので、前述の「中庭を壁に沿って回り込んだ反対側から柱廊に至る」過程を実証することは難しいようです。
17 シニョリーア広場、ヴェッキオ宮殿
ラングドン達がヴァザーリ回廊を経由してヴェッキオ宮殿に向かったことに気づいたヴァエンサは、ヴェッキオ橋を離れ、オートバイを宮殿の北側に乗り捨て、シニョリーア広場の外周を歩いて宮殿に向かいました。
映画でも、騒然となった広場にオートバイで現れます。
ヴェッキオ宮殿に直角に接しているランツィのロッジアは、1376〜82年にベンチ・ディ・チオーネ・ダミとシモーネ・タレンティによって建設され、様々な彫像が並んでいます。この柱廊は、いながら旅の第3旅で紹介したフェルトヘルンハレ(将軍廟)のモデルになっています。
ヴァエンサは、通り抜けた彫像がみな男尊女卑を暴力で表現していることに気づかされます。作中(中巻23頁)に挙げている一つの作品が、こちらのジャンボローニャの《サビニの女たちの略奪》です。作品の基になった事件については、先に紹介したとおりです。この作品のオリジナルの石膏像は、アカデミア美術館にあります。
こちらもその一つ、《切断したメドゥーサの首を掲げ持つペルセウス》です。ヴェッキオ橋に胸像があったベンヴェヌート・チェッリーニの作品です。
ヴァエンサは、宮殿美術館への順路表示に従い、(日本でいう)2階へ至る堂々とした階段を上りました。作中(中巻24頁)には「二つの中庭風広間を抜けて」とありますが、入口から「宮殿」マークの階段に行くときに通るのは第1の中庭だけです。
映画でも、(ヴェロッキオのキューピットが立つ)噴水のあるこの中庭を通っています。
その頃、モニター室では、前日にラングドンがイニャツィオとともに、マルタが展示室から出ていったすきに、ケースからデスマスクを持ち去っていたことが明らかとなり、ラングドンとシエナは、モニター室から逃走します。
****************************************
今回の投稿での旅はここまでです。次回、第1部の続き、第18節からいながら旅を続けます。
コメント