高田崇史の小説『陽昇る国、伊勢 古事記異聞』de いながら旅(2)

● 高田崇史
● 高田崇史9 古事記異聞9-5 陽昇る国、伊勢

 第2章の続き、第6節からいながら旅を続けます。雅は、再び伊勢の千木の謎に悩まされます。内宮にも訪れますが、御子神から課された『外宮先祭』の理由を突きとめることはことはできるでしょうか。


第2章 豊受大神宮の待伏せ(続き)

6 倭姫命陵墓参考地

 倭姫命(やまとひめのみこと)は、第11代垂仁天皇の第四皇女で、前旅(第4節)で紹介した豊鍬入姫命の役目を引継ぎ、天照大神の御杖代としてその鎮座地を探して、大和国から伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国の諸国を巡幸し、伊勢に辿り着いたときに天照大神から「この国におりたいと思う」との神教を受け、内宮(皇大神宮)を創建しました(『日本書紀』垂仁天皇25年の条 300頁)。

(『知識ゼロからの伊勢神宮入門』(幻冬舎)17頁から引用)

 タクシーが停まった倭姫命御陵墓参考地は、三重県伊勢市倭町に位置する、尾部御陵と呼ばれるところで、昭和3年(1928年)に御陵の有力な候補地として指定されました。作中にあるとおり、道路と平行に細い緩やかに登る坂道があり、その袂に「倭姫命御陵」の石標(写真中央)、少し登ったところには「金刀比羅神社 神落萱神社」という社号標(写真左)が立っています。また、手前には、廃寺になってしまった「常明寺跡」(写真右)の石標もあります。

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 瑞垣に囲まれた御陵は、坂道を上った右側にあり、数段の石段を上ると、左手に「宇治山田陵墓参考地」と墨書された駒札が立ち、正面入口は鉄柵で閉ざされています。タクシーの運転手の話では、ここが元々の倭姫宮だったと言われているとのことです。

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 鉄柵の先を覗くと、作中にあるとおり、庭園のような緑の木々の中を縁石に縁取られた砂利道が緩いカーブを描いて続いています。

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 坂道の上には、雅がその手前で遥拝したという鳥居があります。笠木の両端に反り増しを設けた神明鳥居が複数並んでいます。

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 鳥居の向こうには、右側に「金刀比羅神社」と刻まれた社号標が立つ社殿があります。金刀比羅神社は、常明寺の鎮守として香川県の金刀比羅宮から勧請された神社で、常明寺廃寺後は倭町の産土神として信仰され、神社合祀令により一時箕曲中松原神社に合祀されていましたが、昭和22年(1947年)に同社から分祀されました。

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 金刀比羅社の祭神は、大物主神で、同じ時期に箕曲中松原神社から分祀した、稲荷社の宇迦之御魂神、尾上社の倭姫命、三輪社の三輪大神、神落萱社の神落萱神を合祀しています。由緒書によれば、神落萱神とは、鵜萱草萱不合尊とその妃の草野姫命の二神の総称で、子授けの神として子孫繁栄に御利益があるとのことです。

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 タクシーに戻り、次の倭姫宮に向かいます。車で約3分です


7 倭姫宮

 内宮(皇大神宮)の別宮である倭姫宮は、倭姫命陵墓参考地のすぐ近く、博物館が集まる倉田山にあります。内宮と外宮を結ぶ御幸道路に面し、鳥居の左側に「皇大神宮別宮 倭姫宮表参道」と刻まれた石標が立つ表参道は、緑の中を右へ左へとカーブし、地形に沿ってなだらかな石段が続きます。

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 雅は、タクシーが駐車場に着くと、正殿まで近い裏参道の方に向かい、表参道と同じ社号標を眺め、鳥居の前で一礼して、下り参道となっている緩い坂道を道なりに進みました。写真右端に見えているのは、「倭姫宮宮域」と刻まれた石標です。

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 作中にあるとおり、参道は月夜見宮と同じく、低い石垣に突き当たり、左に折れ、こちらの地図の中央下側に描かれている宿衛屋に向かって右手に大きくカーブしており、雅は、倭姫宮も怨霊を祀っているのではないかと疑います。

伊勢神宮ウェブサイト掲載のイラストマップから切り抜き)

 (この写真では右から左に通じている)参道が突き当たったところの手水舎で手水を使うと、右手(写真では奥)に進みます。

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 雅が思わず目を見張ったという、真っ白に輝く玉砂利の奥に小さな社がポツリと建つ左側の古殿地(新御敷地)と、照明を浴びた舞台のように日が燦々と降り注ぐ右側の正殿の景色です。ただ、この配置は、平成26年(2014年)12月の遷宮後のもので、雅が訪れた2008年当時は左右が逆だったはずですが。

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 倭姫宮は、大正12年(1923年)に創建された、最も新しい別宮です。屋根を見ると(拡大)、千木は内削ぎの女千木、鰹木は6本と、女神を祀る造りになっており、雅を安心させます。

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 雅が宿衛屋で尋ねると、タクシーで来たときに通った徴古館前の道も昔は参道であったと聞き、そこから直角に折れて鳥居をくぐり、曲がりながら参道を進むことから、倭姫命が怨霊という可能性が出てきたと考えます。

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 駐車場で待っているタクシーに戻ると、次の月讀宮に向かいます。国道23号線を通って5分です


8 月讀宮

 内宮(皇大神宮)の別宮の月讀宮は、御幸道路の中程、伊勢市中村町の森に、月讀宮、月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮の4社が鎮座しています。

伊勢神宮ウェブサイト掲載のイラストマップから切り抜き)

 参道は、御幸道路側(表参道)と国道23号線側(裏参道)と両方から通じていますが、雅は正宮に近い裏参道の方に向かい、「皇大神宮別宮 月讀宮」と書かれた社号標を眺めて、その先の鳥居をくぐりました。

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 入ってすぐ右手、石段を5段ほど上った場所にある葭原神社に向かいます。

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 葭原神社は、『延喜式』に記載されている、内宮第3位の末社で、瑞垣に囲まれた中に、切妻平入りの神明造の社殿が鎮座しています。祭神は、大歳神の子神である佐佐津比古命(ささつひこのみこと)、宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと=宇迦御魂大神)、伊加利比賣命(いかりひめのみこと)の三柱ですが、屋根の千木は内削ぎで鰹木は4本と女神を祀る造りになっています。

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 雅が見た、参道に立てられた駒札がこちらで、4社の参拝順序が書かれています。

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 右から、月読荒御魂宮月讀宮伊佐奈岐宮伊佐奈彌宮と並んでいます。『皇太神宮儀式帳』によれば、かつては月讀宮として一つの瑞垣に四つの宮が祀られていましたが、貞観9年(867年)に伊佐奈岐宮と伊佐奈彌宮に宮号が下され、月読荒御魂宮と月讀宮、伊佐奈岐宮と伊佐奈彌宮をそれぞれ一つの瑞垣で囲っていました。現在の各別の形になったのは、明治6年(1873年)からです。古殿地は隣接せず、上のイラストマップのとおり現在は背後(北側)にあります。

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 駒札の順序どおり、右から2番目のひときわ大きな月讀宮から参拝します。萱葺きの神明造の社殿は、伊弉諾尊を祀る社も含め、4社とも屋根には内削ぎの女千木と6本の鰹木を載せており、主祭神の性別で社殿を造るルールが通用しません。

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 雅は、頭を抱えながらタクシーに戻り、次の猿田彦神社に向かいます。車で15分程です


第3章 猿田彦神社の蠱もの

 猿田彦神を祀る神社は、全国に2,000社以上あるとされており、その総本社は、本章で紹介する猿田彦神社ではなく、作中に登場する伊勢国一の宮の椿大神社(三重県鈴鹿市)です。

 最近巡ってきた神戸の猿田彦神社はこちらを参照してください。

9 猿田彦神社

 神社正面のタクシー専用駐車場に到着すると、雅は、「猿田彦神社」と厳めしく刻まれた社号標と狛犬を左手に眺めながら、手水舎に向かいます。

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 手水舎の屋根を支える柱は、作中にあるとおり、猿田彦神の御神徳である「方位祓い」を象徴する八角形で、様々なステッカーなどが貼られています。

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 境内入口の大鳥居の柱も八角形です。笠木と島木の太さが通常と逆で、どっしりとした島木の上に細い笠木が載った、変わった神明鳥居です。

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 また、笠木と島木の端の木口は、伊勢鳥居の特徴である五角形になっており、笠木の木口は猿田彦神社の神紋である「五瓜に梅鉢」で、島木の木口はそれをアレンジしたような文様の金細工で飾られています。

Googleマップから切り抜き)

 猿田彦神について確認するため、雅が境内で見た由緒板がこちらです。猿田彦神社は、天孫瓊瓊杵尊をこの国に案内した後、ここ伊勢の狭長田五十鈴の川上の地を中心に国土の開発・経営を行った地主神である猿田彦大神を主祭神とし、猿田彦大神の子孫で、神宮創建に際して倭姫命にこの地を献上した大田命を相殿し、その直系の子孫(宇治土公家)が祭祀を司ってきたとあります。創建時期については明記されていません。

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 境内に入った雅が近づいた拝殿前の八角形の石柱というのがこちらです。昭和11年(1936年)まで本殿があった場所に置かれ、中央に「古殿地」と書かれ、周囲に十干十二支の方位が刻まれた方位石で、自分の干支やその年の干支等を撫でると、運気を上昇させることができると言われているパワースポットです。

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 拝殿は、「さだひこ造り」と呼ばれる、二重破風妻入造りという特殊な構造となっています。

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 脇に回って本殿を見上げると、男神であるはずの猿田彦大神を祀っているのに、千木は内削ぎの女千木で、特徴的な八角形の鰹木はおそらく偶数本と、女神を祀る造りでした。

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 雅は、伊勢における千木の謎に頭を抱えながら境内社の佐瑠女神社に向かいます。途中、大鳥居の東側には、宝船を連想させる船形石で、金運の象徴である白蛇が乗っているように見えることからたから石と呼ばれる、金運を上昇させるパワースポットがあります。

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 また、佐瑠女神社の手前には、岐阜県揖斐郡春日村の山中で採取し奉納された石灰質角礫岩、「君が代」の歌詞にもみられるさざれ石も置かれています。

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 天宇受売命(あめのうずめのみこと=天鈿女命)を祀る佐瑠女神社は、作中にあるとおり大鳥居の外(南東)にあり、八角形の柱の鳥居の向こうに、「佐璢女神社」という扁額が飾られ、「舞鶴」の神紋が染め抜かれた紫の神殿幕が掛かる切妻造り妻入りの社殿が北向きに鎮座しています。

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 こちらの鳥居も、大鳥居と同様、太い島木に細い笠木を載せ、五角形の木口に神紋付きの装飾金物が付いています。雅は、夫婦神であり、後述のとおり「猿女」となったのに、神紋が違っていると疑問に思います。

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 左右には赤字で「佐瑠女神社」又は「さるめ神社」と書かれた幟が立っています。そして、屋根には内削ぎの女千木と偶数本(6本)の鰹木が見え、雅をホッとさせます。

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 佐瑠女神社の由緒板はこちらで、天宇受売命は猿田彦大神とともにこの地に来て「猿女(さるめ)」という姓が与えられ、また、天照大御神が天岩戸に籠られたときに岩戸の前で神楽を踊り、そのため芸能・鎮魂・縁結びの祖神として信仰されているとありますが、作中にある「元気で明るく、おおらかな女性の神様として」云々とは記されていません。

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 雅は、夫婦神とされる猿田彦神と天鈿女命が並び建たず向き合ってもいないことを訝しみ、水野教授から教わった「神様の神徳とは、自分が叶わなかった望みや自分たちを襲った不幸が降りかからないようにしてくれることだ」という理論によれば、猿田彦神と天鈿女命は結ばれなかったことになるのかと考え、「猿田彦神は天鈿女命に色仕掛けで殺されてしまった」という沢史生の言葉を思い返しながらタクシーに戻り、内宮に向かいます。車で3分程です


第4章 皇大神宮の風は招く

10 内宮(皇大神宮)

 内宮は、正式には皇大神宮といい、その宮域は約5500万㎡、正宮を中心とする神域は約93万㎡の禁伐林となっていて、正宮のほか2つの別宮と10の所管社を有します。祭神の天照大神は正式名を天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)といい、黄泉の国から逃げ戻った伊弉諾尊が禊ぎを行った際に左目から生れた神様です。

伊勢神宮ウェブサイト掲載のイラストマップから切り抜き)
宇治橋

 バス停で千鶴子と再会すると、早速、伊勢の千木の謎について尋ねます。千鶴子が神宮司庁に問い合わせた結果などを聞きながら宇治橋を目指して歩いていくと、高さ7.44mの宇治橋大鳥居が見えてきます。外側の鳥居は、外宮の旧正殿の棟持柱が使われており、次の式年遷宮時には、桑名の七里の渡しの鳥居になるようです。冬至の頃には、大鳥居の中央から昇る美しい日の出が見られます

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 宇治橋は、五十鈴川にかかる長さ約101.8m、幅8.42m、欄干の上に16個の擬宝珠を据えた純日本風の反り橋で、内宮(皇大神宮)への入口にあたり、俗世と聖なる世界をつなぐ象徴的な橋です。橋板や欄干は檜で、橋脚の部分は水に強い欅を39本使用しています。宇治橋も式年遷宮に合わせて架け替えられており、戦後は遷宮の4年前に行われるのが慣例となっています。

 橋の向こう側の鳥居は、内宮の旧正殿の棟持柱が使われており、次の式年遷宮時には、三重県亀山市の関の追分の鳥居になります。

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 雅たちは、緑の木々を縫うようにしてゆったりと流れる五十鈴川を見下ろしながら、ゆっくりと橋を渡りました。内宮は、外宮とは逆で、右側通行です。五十鈴川は、神路山から流れる神路川と島路山を源とする島路川が合流した川で、倭姫命が御裳の裾を濯いだことから、「御裳濯川(みもすそがわ)」とも呼ばれています。また、いすゞ自動車の社名はこの五十鈴川に因んでいます。

 なお、写真に写っている杭は、木除杭といい、増水時に流木が宇治橋の橋脚に直接あたるのを防ぐためのもので、現在は8本立っています。

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 千鶴子は、橋の袂に棲んでいた河童に投げ銭をした話を持ち出し、スマホでこの画像見せて、河童は河辺でくらしていた人々で、伊勢神宮に参拝する人に銭をもらって代垢離をしていた(代わりに川に入って禊ぎをする)のではないかと話します。

(『伊勢参宮名所図会』より「宇治橋 五十鈴川 御裳濯川」)
神 苑

 宇治橋を渡ると、右手にある神苑に進み、美しい緑の庭園の中の玉砂利の参道を歩きます。

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 途中、大正天皇御手植松の横を通り過ぎます。明治24年(1891年)、大正天皇が皇太子のときにお手植えになった記念樹です。

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第一鳥居

 御池から流れ出る川に架かった火除橋を渡ると、第一鳥居が見えてきます。

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 すぐ右手にある、五十鈴川の水を引いているという、大きな手水舎で手と口を清めます。

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五十鈴川の御手洗場

 鳥居をくぐって右手、広く緩やかな石段を数段降りた場所が五十鈴川の御手洗場で、雅たちはここでもう一度手を清めます。広場のような石畳は元禄5年(1692年)に徳川綱吉の母の桂昌院が寄進したと言われています。

 なお、五十鈴川が増水したときは、利用できなくなります。

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 こちらが作中に出てくる「五十鈴川に入らないでください」という注意書きで、隣には「五十鈴川に投銭をしないで下さい」という木札も立っています。

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瀧祭神

 るるぶの「お伊勢まいり」でも案内されていますが、雅たちは、御手洗場の近くにある、五十鈴川を守護する水神(瀧祭大神)を祀っている、所管社の瀧祭神(たきまつりのかみ)へと向かいます。社殿はなく、御垣と御門で囲まれた石畳に石神として祀られています。

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風日祈宮

 参道に戻って、第二鳥居をくぐります。

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 正宮を先に参拝するのが一般的ですが、雅たちは、ここで参道の順に従って別宮の風日祈宮に向かいます。参道を神楽殿授与所前で右手に折れると、鬱蒼とした木々に包まれます。

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 二人は、平安時代においても天照大神や伊勢神宮が無名だったという話をしながら、風日祈宮橋の袂に立つ鳥居をくぐります。

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 五十鈴川の支流の島路川を渡る風日祈宮橋は、全長15.6m、幅4.6mで、この橋も式年遷宮に合わせて新しくされ、現在の橋は、雅たちが訪れた後、平成22年(2010年)に架け替えられたものです。

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 『蜻蛉日記』では天照大神を河伯(河童)とされ、『更級日記』では天照大神が神か仏かも分からないとされていることを聞かされ、雅は、橋を渡り終えて風日祈宮の境内に入ります。

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 巨木が並ぶ緑深い林に四方を囲まれた境内です。

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 本殿は古殿地を挟んで参道の右手に鎮座していますが、本文にあるとおり、内宮に背を向けて建っているので、拝殿に辿り着くには右に直角に回り込む必要があります。

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 外宮の風宮と同じ、級長津彦命・級長戸辺命の男女神を祀り、神風を吹かせて元寇から救ったことで別宮になった風日祈宮は、風宮とは違って、本殿の千木は内削ぎの女千木、鰹木は偶数本(6本)です。

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 千鶴子の話が信じられないという雅に、千鶴子は、持統天皇3年(689年)の草壁皇子の葬儀に際して柿本人麻呂が詠んだ挽歌(万葉集・巻2-167)に「天照らす日女尊」と詠まれているとして、当時は「天照大神」という名称がなかった、あるいは口に出せなかったと話します。

正 宮

 内宮の正宮(正殿)は、内側から瑞垣、蕃垣、内玉垣、外玉垣、板垣の五重の御垣に囲まれています。板垣に囲まれた全体を御垣内といい、広さは6,807㎡あり、瑞垣の内側を内院といいます。東宝殿と西宝殿は、外宮と違って、正殿の後ろにあります。現在(2013年から)は、東側に古殿地がある配置となっていますが、雅が訪れた2008年は西側に古殿地がありました。

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 30段ほどの石段を上って、板垣南御門の鳥居をくぐり、白絹の御幌(みとばり)が掛かる外玉垣南御門の前で参拝します。二人が遥拝した、御垣内の北西隅にある「輿玉神」は、内宮第2位の所管社で、一般に内宮の守護神又は地主神とされますが、千鶴子が言うように猿田彦大神(又はその子孫である大田命)の別名とも考えられており、また、「宮比神」も天鈿女命と同視されています。

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 古殿地越しに正殿の屋根を眺めると、千木は内削ぎの女千木で、鰹木は偶数本(10本)でした。

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 二人は、正宮の左隅(南西)にある高さ約2.5mの籾種石(もみだねいし)を右手に見て右に進み、荒祭宮に向かいます。

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荒祭宮

 途中、神田で収穫された稲が納められる高床式の御稲御倉(みしねのみくら)や古い神宝を納める外幣殿の横を通り過ぎ、正殿の裏に回ります。

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 立て札に従い、左手に下りる長い石段を下ります。途中、40段ほど下ったところにある、割れ目が「天」の字のように見える踏まぬ石と呼ばれる石は避けて通らなければならないとされています。

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 荒祭宮は、内宮に属する10の別宮のうち第一位に格付けされ、祈年祭、神嘗祭、新嘗祭の奉幣の儀は正宮に続いて執り行われ、外宮では行われない5月と10月の神御衣祭も、内宮とともに行われます。

 なお、内宮の神域の森は斧が入れられたことがない禁伐林であり、写真左の石段途中に写っている杉の巨木も、石段が造られた天明年間からそのままあったものだといいます。

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 祭神は、天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま=天照大神の荒御魂)とされますが、千鶴子は、荒御魂が祓戸大神の一柱である瀬織津姫の別名とする説を紹介します。外宮の第一別宮の多賀宮と同じく、神明造の社殿の前には鳥居はなく、萱葺きの屋根に載る千木は正殿と同じ内削ぎの女千木で、鰹木は偶数本(6本)です。

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 参拝を終えた雅たちは、帰りの道を神楽殿の方へ向かいます。

神楽殿

 忌火屋殿と五丈殿の間にある四至神に立ち寄ります。外宮のそれと同様、内宮神域の守護神です。社殿や御垣はなく、小さな2段の石段になっている石畳の上に祀られている石神です。「死に至る神」ではないかという雅の発想を、千鶴子は素敵だと言います。

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 こちらは、四至神の東にある、神饌の調理を行う忌火屋殿(いみびやでん)で、その前庭が祭典の前に神饌と奉仕する神職を祓い清める祓所です。

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 忌火屋殿の対面には、雨天の際に祓所に代わって神饌などのお祓いや遙祀を行ったり、式年遷宮の際の饗膳の儀が行われる五丈殿があります。

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 五丈殿の奥にある、写真中央の大きな建物が御酒殿(みさかどの)、右側の小さな建物が由貴御倉(ゆきのみくら)です。

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 神宮で行われる祈祷は「御神楽」と「御饌」の2種類があります。雅楽や舞を伴う御神楽を行う神楽殿は、銅板葺き、唐破風を2つ並べた向拝を備えた入母屋造りの建物です。

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 神楽殿の西隣の御饌殿(みけでん)で行う御饌は、雅楽や舞がなく、お神礼と神饌を供え、願い事を奏上する方法による祈祷です。

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御 厩

 御池近くのもう一つの火除橋を渡り、外御厩(そとのみうまや)へ向かいます。

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 御厩では、外宮同様、皇室から奉納された神馬が2頭飼育されています。こちらは「草新号」という「皇大神宮御料御馬」です。

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参集殿

 参拝者用の休憩所である参集殿には、作中にあるとおり能舞台があり、奉納行事などに使われるようです。

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大山祇神社・子安神社

 最後に、神苑に戻って宇治橋の手前を右折して、内宮所管社の大山祇神社と子安神社に向かいます。

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 右手にある駒札を眺めながら、向こうに見える鳥居の方に進みます。

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 低い石段を3段上って神明鳥居をくぐります。神路山の山裾に位置します。

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 まず、奥に鎮座している、伊弉諾命と伊弉冉命の子であり、山の守り神とされる、大山祇神(おおやまつみのかみ)を祀る大山祇神社を参拝します。かつては山神社と称し、式年遷宮の最初の祭儀である「山口祭」はここで催行されていたようです。前に「皇大神宮所管社 大山祇神社」と刻まれた小さな社号標と伊勢鳥居が立つ社殿は、一段高い石積みの上に、例のごとく高い瑞垣に囲まれ、内削ぎの女千木と偶数本(4本)の鰹木が載る屋根しか見えません。この社殿前の石段の下には、伊勢神宮では通例見られない賽銭箱が置かれています。

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 続いて、入口近くの子安神社に戻ります。祭神は、大山祇神の娘の木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)です。瓊瓊杵尊と結ばれ、一夜で身ごもりますが、国津神の子でなないかと疑われ、疑いを晴らすために産屋に火を放ち、猛火の中で火照命火須勢理命火遠理命の三柱の子を産んだとされ(いわゆる火中出産。『古事記』上巻144・5頁、『日本書紀』神代下154・5頁、167〜177頁)、そのことから安産、子授けの神様として信仰されています。社殿前に鳥居はありませんが、「皇大神宮所管社 子安神社」という社号標や賽銭箱があり、社殿の造りは父神の社と同じです。社殿に置かれているのは、安産を願って奉納された小さな鳥居です。

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 千鶴子は、雅と並んで宇治橋を渡りながら、伊勢神宮にないものとして、狛犬、おみくじ、賽銭箱(上記2社のほかにもう一つ例外がありましたね)、拝殿前の鈴、注連縄の5つを挙げます。


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 今回の投稿での旅はここまでです。雅は、月讀宮や猿田彦神社でも「男千木・女千木」の謎に出くわしましたが、第三旅以来良きアドバイザーとなった千鶴子と合流し、これから謎解きが始まるのでしょうか。次回、第4章の続き、第11節からいながら旅を続けます。

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